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幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ

2025.07.30 公開 ポスト

国連を辞めた僕がコーヒーの世界に飛び込んだ理由田才諒哉(坂ノ途中 海ノ向こうコーヒー)

前回の記事では、田才さんが国連を退職し、株式会社坂ノ途中のコーヒー事業部「海ノ向こうコーヒー」で働くことになった経緯をご紹介しました。

NGO職員や国際公務員としてのキャリアを積んできた田才さんにとって、民間企業への転職は大きな方向転換だったそうです。

今回は、「そもそもなぜコーヒーの仕事を選んだのか?」というテーマで綴っていただきます。

*   *   *

大学入学のために地元・新潟を離れ、横浜に住むことになった。初めての一人暮らし。生活費も稼がないといけないので、アルバイトを探していたところ、横浜駅西口にカフェを見つけた。

ガラス張りの扉を開けると、コーヒーの香ばしい匂いが鼻をかすめ、大きな機械が堂々と鎮座する姿が目に飛び込んできた。エスプレッソマシンというやつだろうか。静謐で、でも冷たすぎない灰色のコンクリートの床と、ウッド調のカウンターの木のぬくもりが、絶妙な塩梅でマッチしている。静かな空間に時おり控えめに響く、「シューッ」「キュル、キュルキュルッ」という音を聴きながら、アルバイトの面接をしてくれる店長が現れるのを待っていた。

 

面接では、それなりに最もらしい答えをしていったが、「こんなお洒落なカフェで働くなんて、かっこいいじゃん」くらいの不純な動機が、僕とコーヒーの出会いだった。

3年ほど働いたそのカフェでは、接客などお店運営の基本はもちろん、キッチンにも入らせてもらい、ナポリタンなどカフェの定番メニューやプリン、ティラミスといったデザートの作り方まで、さまざまなことを学んだ。

ただ、唯一経験できなかったのが「バリスタ」だった。カプチーノを中心に、とにかくコーヒーにはこだわりのあるこの店では、プロのバリスタしかエスプレッソマシンを触ることができなかった。まかないにカフェラテをお願いするのが僕の定番だったのだが、クマやサンタクロース、ガチャピンやムックといったキャラクターまで、茶色いキャンバスに自由自在にラテアートを描いていくバリスタの姿は、まるで魔法使いのようだった。このとき、バリスタは僕の憧れの職業になった。残念ながら横浜のこのカフェは閉店してしまったのだが、当時のバリスタさんが働いているお店には、今でもよく遊びに行っている。

一方、本業の学業では、芸術文化を研究するゼミに所属していた。美術館を巡ったり、映画鑑賞の課題をこなしたりしながら、動画編集の勉強にも取り組んでいた。ゼミの最終課題のテーマを考えていたとき、「そうだ、カフェの空間研究をしよう」と思い立った。

僕がアルバイトをしていた横浜のカフェは、郵便局だった跡地をリノベーションしてつくられたお店だった。そうした背景もあり、関東にある、リノベーションによって生まれたカフェの空間研究をして発表した。もう昔のことなので、研究の結果は正直なところはっきり覚えていないが、コーヒーというものは、「そのものの味だけでなく、その空間や一緒にいる人によって、より美味しく感じられたりするものである」みたいに結論づけた気がする。

この研究のためにいろいろなカフェを巡っているうちに、「自分でカフェをやってみたい」と思うようになった。ちょうどこのとき、国際協力に興味を持ち始めたこともあり、横浜・石川町のひらがな商店街で、「国際協力カフェ」というカフェをオープンした。途上国の料理や飲み物を提供しながら、フェアトレードの商品を販売したり、ガーナのカカオからチョコレートを作るワークショップなど体験型のイベントも開催したりした。自分がやりたいことだけを詰め込んだ、どう考えても赤字なカフェ運営だったが、当時まだ学生だった僕に店舗スペースを無料で貸してくださったオーナーのお陰で、なんとか営業していた。カフェ運営って超大変。国際協力というニッチなコンセプトじゃお店は成り立たない。まずはちゃんと美味しいコーヒーが提供できてなんぼということを、身をもって感じた経験だった。

 

学生時代に運営していた「国際協力カフェ」

時は経ち、社会人になり、26歳のとき、無職になった。正確にいうと、大学院に入学するまでの5か月間、自由な時間が急にできた。普段は「長期休みが欲しい」と嘆いていても、いざ何にも縛られない時間がぽんと目の前に現れると、何をしたらいいのか分からなくなる。でも、不意にひとつだけ、ふっと浮かんできた。

「バリスタをやってみよう」

向かった先はニュージーランド。無職になった瞬間に、とりあえず中南米縦断の旅を始めていたため、南半球を横にひとっ飛びで向かうことができて、コーヒーが有名な場所ということで選んだ。しかも国の教育省が認定する、いわば「バリスタの国家資格」が取得できるらしい。

中南米縦断の最終地点であったパラグアイを離れ、アルゼンチンとチリを経由してニュージーランドの首都オークランドに到着すると、バリスタの学校に通いはじめた。学校では2週間かけて、エスプレッソマシンを使った実技を中心に、コーヒーの淹れ方を一通り練習した。憧れのラテアートの練習もやってみたが、魔法使いになるにはまだまだ修行が必要そうだ。バリスタコースの最終日。無事に筆記試験と実技試験をクリアすると、晴れてニュージーランド国認定のバリスタ資格をゲットした。

 

初めてラテアートを勉強した日

僕が経験してきたコーヒーの現場は、カフェやバリスタ修行など、コーヒーの魅力を引き出し、美味しさを伝える、消費者の側と接する仕事だった。そして今は、海ノ向こうコーヒーで、その産地の、生産者さんたちとコミュニケーションをとっている。

コーヒーが生産されている地域は、「グローバルサウス」と呼ばれるアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの新興国や発展途上国であることがほとんどだ。世界のコーヒー生産の約80%は小規模農家によって支えられている。そしてその多くが、貧困や気候変動といった課題と、日々向き合いながら暮らしている。

これまで別々のように感じていた国際協力の仕事とコーヒーの仕事が、同じ地平の先に見えてきた。産地の未来を豊かにすることは、翻って国際協力をすることになる。アジアの山岳地帯。アフリカの赤土の村。ラテンアメリカの高原。かつて国際協力の仕事で訪れていた国々に、僕は再び訪れていくことになる。

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幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ

──元・国連職員、コーヒーハンターになる。

国連でキャリアを築いてきた田才諒哉さんが選んだ、まさかの“転職先”は……コーヒーの世界!?

人生のドリップをぐいっと切り替え、発展途上国の生産者たちとともに、“幻のコーヒー豆”を求めて世界を巡ります。

 

知ってるようで知らない、コーヒーの裏側。

そして、その奥にある人と土地の物語。国際協力の現実。

新連載『幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ』、いざ出発です。

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田才諒哉 坂ノ途中 海ノ向こうコーヒー

1992年生まれ。新潟県出身。サセックス大学 Institute of Development Studies修了(開発学修士)。これまでに、国連職員やNGO職員としてザンビア、パラグアイ、スーダン、マラウイ、ナイジェリア、ラオスに駐在。現在は東京を拠点に世界中のコーヒー産地を飛び回る。2021年、ニューズウィーク日本版「世界に貢献する日本人30」に選出。ニュージーランドにバリスタ留学をした経験もあり、コーヒーが大好き。

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