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昭和からの遺言

2025.07.21 公開 ポスト

「西太平洋」ってどこ?昭和の少年も気付いていた戦争の嘘 真珠湾攻撃と大本営発表鈴木健二

迫りくる戦闘機、燃え上がる家々、耳をつんざく叫び声――あの日の記憶は消えない。

東京大空襲を体験した元NHKアナウンサー・鈴木健二が、太平洋戦争の混乱と喪失を赤裸々に語る書籍『昭和からの遺言』より、一部を抜粋してお届けします。

戦争は突然始まる

多くの戦争は、夫婦げんかや兄弟げんかと同じように、実にさいな事柄、もしくは不意打ちのような奇襲や悪だくみから始まります。国際法ではちゃんと宣戦布告をしてからという定めがあるそうですが、大東亜戦争の発端となった真珠湾攻撃は不意打ちの奇襲でした。

また終戦間際のソビエトの満州侵攻は、一方的な条約無視で、一説によると、この条約を結んだ時、すでにソビエトのリーダーであったスターリンは、ソビエトから満州国境に至る軍需物資輸送のための鉄道敷設計画を立てていたとも言われています。

こういった戦争を体験した我々穴呂愚(アナログ)人からすると、今の自衛隊派遣やそれにからむ憲法論議は、まるで絵に描いた餅のようで、具体性がまるでありません。

アメリカがなんとかしてくれるだろうと、棚からのもちを、口を開けて落ちて来るのを待っていたら、突然棚ごと落ちて来て、をすることもあるのです。

いっそのこと、自衛隊幹部や軍事評論家も国会の議論に参加して、北朝鮮が日本海側の原子力発電所を宣戦布告以前に奇襲して、発電所が破壊されメルトダウンが発生したらどう対応するのかなどの議論を一緒にしたら良いのではと思います。面倒なことが起こってから閣議を開き、国会の承認を得て、それからやっと自衛隊が出動するなどとのんびり討論していたら、国民にわかりにくい論議が、さらにわかりにくくなるのではないかとさえ思うのです。

「西太平洋」で戦闘が始まった、というニュース

こう思った根拠の一つは、私自身のリアルな体験の中にあります。

下町で育った私ですが小学校の先生の勧めで、山の手の中学(第一東京市立中学校)へ入学しました。学校は靖国神社と道路一つへだてた隣り合わせにありました。中学1年の12月8日朝のことでした。登校するために、玄関の上がりかまちに座って、編み上げ靴のひもを結ぼうとした時、隣室の棚の上のラジオからポポポーンというチャイムの音が突然聞こえました。なんだろうと耳を澄ましました。すると緊張した声が言いました。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営発表。本八日未明、帝国陸海軍は西太平洋に於て、米英両軍とせんとう状態に入れり」

母が今何て言ったんだいラジオはと、後片付けの手を休めて、奥の茶の間から聞きました。戦争が始まったんだってと答えると、どことと聞くので、アメリカとイギリスらしいよと言うと、よしゃいいのにねえ、支那とだけでも大変じゃないかと文句をつけたのを耳にしてから、私は家を出て両国駅へと歩きました。

 

初冬の下町はしんと静まり返っていましたが、私はおやっと思いました。西太平洋で戦斗に入ったと言ってたけれど、西太平洋ってどこにあるのだろうという疑問が起こったのです。

学校へ着くと真直ぐに図書室へ行き、世界地図や地理の本や辞典を棚からとって、急いで調べましたが、西太平洋という海はその頃の本にはどこにもありませんでした。

大本営は政府の大臣と陸軍と海軍が集まり、天皇陛下と戦争のやり方について話しあう所と聞いていました。その大本営がありもしない場所を言うとはと、中学一年生の私にしこりとなって残り、これが長く続きました。

天皇陛下の大本営も嘘をつく

真珠湾の大勝利は、軍神と呼ばれる海軍の軍人さんの力に負うところが多大であったことが報じられました。そして、戦争で死んだ人をまつるのが、学校のお隣の靖国神社であることもわかりました。

12月8日に真珠湾の大勝利があり、その後にマレー半島にも上陸し、自転車のぎんりん部隊が敵を破って南下し、ここでも連戦連勝の大本営発表がありました。私はその都度地図をひろげて、場所を確かめました。あの西太平洋はうそだった、ハワイは太平洋の真ん中じゃないか、アメリカからは西だが、日本からは東じゃないか、なんで天皇陛下の大本営は嘘をつくんだと思ったからでした。

 

「西太平洋」という地図にありもしない名称を本や辞書で探すのが徒労に終わった私は、「大本営は嘘をつく」という、今から考えれば極めて単純な少年の不信感を、開戦の初日から抱いてしまいましたが、両親や先生達や友達には話しませんでした。

ただ学校の中の白い壁に、陸軍幼年学校や海軍兵学校をはじめ、やがては予科練とか特幹(特別幹部候補生)などのポスターが数を増していくのを見て、なんであんな学校へ皆行こうとするんだろう、死にに行くだけじゃないかと思ったのを覚えています。

*   *   *

この続きは書籍『昭和からの遺言』をお求めください。

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鈴木健二『昭和からの遺言』

感動なしに人生はありえない。90歳、昭和平成の語り部が、新しい日本に贈る、忘れないでほしいこと。

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昭和からの遺言

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鈴木健二

1929年東京下町生まれ。52年NHK入局。翌53年からテレビ放送が始まると、あらゆる分野の番組に新境地を開拓、博覧強記の国民的アナウンサーと呼ばれて親しまれる。88年定年退職後は一転して社会事業に専心。熊本県立劇場を拠点に、私財を投じて文化振興基金を設立。これを原資に、過疎で衰退した地域伝承芸能の完全復元を通して数々の村を興し、多数の障害者と県民の愛と感動の大合唱「こころコンサート」を最高1万2千人参加で、全国で7回制作上演して文化と福祉を結ぶ。70歳で青森県立図書館長に転じ、「自分で考える子になろう」を旗印に約200の小学校で押しかけ授業をし、読書の普及を図る。75歳で退職。この間テレビ大賞、日本雑学大賞、ユーモア大賞、文化庁長官表彰他多数を受賞。また『気くばりのすすめ』など、ベストセラーを相次いで発刊。昭和の世代に多くの共感を呼ぶ。

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