1. Home
  2. 社会・教養
  3. 戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか
  4. 「お前に軍事機密は言えない」行き先も知ら...

戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか

2025.08.07 公開 ポスト

「お前に軍事機密は言えない」行き先も知らず死地に送られた日本兵保阪正康(昭和史研究家)

世界情勢が揺らぐ今、日本はどこに向かうのか?

ノンフィクション作家・保阪正康さんが、明治から昭和に至る戦争の歴史を解きほぐし、これからの私たちにできることを問いかける幻冬舎新書『戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか』より、一部を抜粋してお届けします。

「自分がどこで戦うか」も知らされなかった日本兵たち

ロシアのウクライナ侵攻で、ロシア軍の兵隊が「演習だと思った」「気づいたら、ウクライナに入っていた」「ウクライナに来ていると知らなかった」と言っているのを報道で知り、「行き先を教えられていないのは、日本の兵隊もそうだった」と思いました。

たとえば、昭和17年(1942)6月のミッドウェイ作戦に、北海道旭川の第七師団の一部連隊2千5百人が参加しました。ミッドウェイ島を占領した後に、第七師団の部隊が駐屯することになっていたのです。

その2千5百人が旭川から乗せられた汽車は、防諜のために昼でも窓はシャッターが下ろされて外が見えないようにしてありました。

うす暗い列車のなかでマラリアの薬をもらったとしても、なぜマラリアの薬を携行するのか、詮索することは許されないし、兵隊が「どこへ行くのですか」と聞いたら、「お前に軍事機密を言えるわけないだろう」と上官に怒鳴られるのが関の山です。

彼らは広島から船でグアムに行き、そこからミッドウェイに向かいました。

ミッドウェイ作戦に参加する海軍艦艇の最後尾に続いて、陸軍の輸送部隊の船が航行しました。「ミッドウェイに行くと告げられたのは出発してしばらくしてからだった」という証言が残っています。

 

戦闘が始まり、次々と日本の艦船が攻撃を受けましたが、第七師団の2千5百人が乗った船は撃沈されることなく、結局グアムに帰還します。その後、北海道へ戻るはずでしたが、グアムで乗った船の行き先は、今度は日本ではなく、ガダルカナルでした。このときも、自分たちがどこへ向かうのか、兵隊たちは知らなかったのです。

日本の兵隊は、最後の最後、戦場に行って、やっとその場で「自分がどこで戦うか」を聞かされることが多かったのです。名も知らぬ島で、「俺はどこにいるのだろう」と思いながら死んでいった兵士が、どれほどいたことでしょう。

日本人の美徳を徹底的に利用した上層部

公表されていませんが、こういう情報は戦友会の資料を調べていると出てきます。

日本の軍事はすべてが上部構造で決まり、下部構造を支える兵士たちは、与えられた命令に従うのみでした。それでも一生懸命に戦った兵隊たちの真面目さ、健気さは、ある意味で日本人の美徳です。

その美徳が、軍事指導者たちに徹底的に利用されました。この「徹底的に利用された」ことへの怒りを、日本軍を振り返るときの柱にしなければいけません。

 

ところが戦後、それが柱にはなりませんでした。前述した憲法九条を聞いて涙を流した兵隊たちのように、この怒りを、日本軍を振り返るための柱にした人たちはいたし、本質的に柱になっている部分はあるのですが、それが知られていないのです。

なぜかと言えば、私たちの国の戦争に関する報道、戦争への理解が、戦争の内実に対する本質的なところまで詳しく検証されていないからです。

私自身は戦争に行ったわけではありませんし、戦争が終わった段階ではまだ5歳ですから、戦争の内実を知っているとは言えません。

しかし、昭和の戦争を、「侵略した」ということだけでしか語らないとするならば、あまりにも情けないのではないかと感じます。なぜ兵隊たちは、鉄砲を担いで名前も知らない土地に行き、死ななければならなかったのでしょうか。その悲しさと悔しさをきちんと残しておくことは、次の世代の役目です。それを少しでも実現しようと、私は様々な軍人経験者に面談し、話を聞いてきました。

軍の上層部になれば死なずに済む

これは余談になりますが、昭和40年(1965)の終わりから50年代にかけて、私は軍の指導者たちにかなり頻繁に会いました。

ある将官から「君は息子がいるのか」と聞かれたことがあります。「まだ4、5歳の息子がいます」と答えたら、「戦争で死んでほしくないだろう」と、重ねて聞いてきました。

私が「戦争では絶対死んでほしくないです」と答えると、「戦争はいつ起こるかわからないが、間違いなく生き残る方法がある」と、彼は言いました。その方法とは「陸大に入れる」というものでした。今なら「防衛大学校」ということになります。

 

彼の年代はかなりの人が死んでいるのですが、陸軍大学校の同じクラスにいた54人のうち、死んだのは3人だけだそうです。「その3人は玉砕戦の司令官や参謀長をやっていたから死んだ。そうでなかったら死ななかった」と彼は言っていました。つまり、日本の軍人は、上層部が死なないような戦争をするのです。

私は反戦主義者でもないし、非戦主義者でもないのですが、いろいろな人から話を聞いているうちに、「日本軍の一員として戦いたい」とはとても思えなくなりました。

*   *   *

この続きは幻冬舎新書『戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか』をお求めください。

関連書籍

保阪正康『戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか』

世界がウクライナ戦争で大きく揺らぎ始めている。再び戦争の時代に戻りそうな端境期にある今だからこそ、歴史から多くを学ぶべきだと主張する著者は、これまで軍指導者や兵士など延べ四千人に取材し、戦争と日本について五十年近く問い続けてきた。なぜ近代日本は戦争に突き進んだのか? 戦争を回避する手段はなかったのか? 明治・大正と昭和の戦争の違いとは? それらを改めて検証する過程で新たに見えてきたのが、これまでの「戦争論」を見直す必要性である。本書では、日本近現代の戦争の歴史から、次代の日本のあるべき姿を提言する。

{ この記事をシェアする }

戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか

世界情勢が揺らぐ今、日本はどこに向かうのか?

ノンフィクション作家・保阪正康さんが、明治から昭和に至る戦争の歴史を解きほぐし、これからの私たちにできることを問いかける幻冬舎新書『戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか』より、一部を抜粋してお届けします。

バックナンバー

保阪正康 昭和史研究家

1939(昭和14)年、北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。編集者を経て作家活動に。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。2004年、一連の昭和史研究で第五十二回菊池寛賞受賞。2017年、『ナショナリズムの昭和』(幻戯書房)で第三十回和辻哲郎文化賞受賞。近現代史の実証主義的研究をつづけ、これまで延べ四千人に聞き書き取材を行った。『昭和陸軍の研究(上・下)』(朝日選書)、『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)、『昭和史 七つの謎』(講談社文庫)、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『歴史の定説を破る』(朝日新書)、『昭和史の核心』(PHP新書)など著書多数。

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP