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「自分が嫌い」という病

2025.07.02 公開 ポスト

「価値」や「利益」を生み出さなければ駄目という呪いはどこから来るのか泉谷閑示(精神科医)

薬に頼らない独自の精神療法で、数多くのクライアントと対峙してきた精神科医の泉谷閑示氏。最新刊『「自分が嫌い」という病』は、昨今たくさんの人が悩んでいる「自分を好きになれない」「自分に自信が持てない」という問題に真正面から向き合った1冊です。親子関係のゆがみからロゴスなき人間の問題、愛と欲望の違いなどを紐解きながら、「自分を愛する」ことを取り戻す道筋を示しています。本書から抜粋してご紹介していきます。

*   *   *

「価値を生み出し続けなければならない」という呪い

自分を愛せない状態にある人は、自分が何か「価値のある存在」になれば人から愛されるのではないか、と考えていることも珍しくありません。自分が親から愛されなかったのは、自分が「価値」のない子どもだったからだと思い込んでしまったのが、その出発点になっています。自分のマイナスな分を何らかの価値を生み出して補えば、どうにか人並みのゼロレベルに持っていけるのではないか、と考え続けてしまいます。

厄介なのは、のちになってそれが親の側の問題であったと気づいてもなお、この思い込みがそのまま残ってしまうところです。そもそも、親を否定できなかったので自分を否定したのが始まりなのですが、親を批判的に見ることができるようになっても、自己否定の思い込みがセットで外れてくれはしないのです。

しかし、そもそも、人間存在について「価値」という概念をくっつけるような考え方は、今日の経済至上主義の風潮の中から出てきた不自然なものであって、製品でも生産マシーンでもない人間というものについて、本来はそんな捉え方をする必要はないはずです

いずれにせよ、常に「何らかの価値を生み出さなければならない」と考えて追い立てられるようにして生きることは、終わりのない宿題を抱えているような苦しい生き方に違いありません。ちょうど、アーティスティック・スイミングの選手が、水中で絶えず足を動かして体を浮かし、水上で演技しているような状態です。もちろん、あれは短い時間だから可能なのであって、それをずっと続けることなどできません。しかし、この考えに取り憑つかれている人は、もし足を止めたら、直ちに水中に沈んでしまうかのような危機感を抱いて日々を暮らしているのです。

はたから見れば、こういう人はとても努力家で何事にも一生懸命、責任感が強く常に期待以上の成果を出してくれるので、とても重宝されることも少なくありません。しかし本人にしてみれば、いつも薄氷をふむような思いで物事をこなしているので、周囲からの評価を得ても、それがいっときの安堵感にはなっても、達成感や自信には結びつかないのです。

どこまで頑張ったとしても、必ず上には上がいるもので、「自分はまだまだだ」ということになってしまい、キリのない努力を求められます。私たちの「頭」というコンピューターのような場所は、そもそもの基本性質として比較をしたがるところがあるので、これに支配された状態では、いつまでも安心した状態が訪れないのです。

それにしても、なぜこれほどまでに、自分が「価値を生み出さなければならない」と思うようになってしまったのでしょうか。その出発点は、やはり「親に愛されるため」「親に認めてもらうため」であったことがほとんどです。そしてそれが、先生に認めてもらうため、周囲に一目置かれるため、上司に評価されるため、世の中に認めてもらうため……などに拡大していくのです。

しかし、ここで気づくべきは、もし「価値」の有無で自分を愛したり愛さなかったりする親だったのだとすれば、それは条件を課してこちらを値踏みしているということであり、それは親の「欲望」であって、こちらが求めている無条件の「愛」ではないということです。つまり、もし自分が分かりやすく何らかの「価値」を生み出せたとして、それで親が突然こちらを称賛したり優しくしてきたとしても、それは生み出した「価値」に対しての反応を得たに過ぎないので、自分が欲しかったものとは質的に違うものだということに気づかされることになるでしょう。

つまり、こちらが「価値」を生み出すか否かで基本的な態度を変えてくるような親は、自分を「愛して」くれているのではなく、親の分身であるかのようにこちらを捉えて「欲望」を向けてきているに過ぎないことに気づかなければなりません

「常に価値を生み出さなければ」という思い込みは、ほとんどの場合、親との関係の中で原型が作り出されてしまうものですが、その後もずっと、自分の中で強迫観念のように付きまとってきます。仕事をすれば自分が「価値ある人材」だろうかと気になり、プライベートな関係でも自分は果たして「愛してもらえる価値」があるだろうかという不安をいつも抱えてしまうのです。

しかし、「愛」とは、決して生み出せた「価値」に向けられるものではなく、存在そのものに向けられるものです。つまり、「こうしたら愛されるのではないか」という考え方は、もうすでに条件を課してしまっているので、初めから「愛」とは逆方向の「欲望」を目指したものになってしまっています。

ですから、「愛されたい」がために「価値」を生み出し続けるという努力奮闘は、どこまでいっても人の「欲望」を引きつけることはあっても決して真に求めている「愛」は得られないという、報われない構造になっているのです。

関連書籍

泉谷閑示『「自分が嫌い」という病』

「自分を好きになれない」と悩む人は多い。こうした自己否定の感情は、なぜ生まれてしまうのか。 その原因は幼少期の育ち方にあると精神科医である著者は指摘する。 親から気まぐれに叱られたり、理不尽にキレられたりすると、子どもは「自分は尊重され るに値しない」と思い込むようになる。その結果、自信を持てず、人間関係にも苦しみやすい。 では、この悪循環から抜け出すにはどうすればよいのか。 本書では、自分を傷つけた親への怒りを認め、心のもやもやを解消するための具体的な方法を解説。自信を持って生きられるヒントが詰まった一冊。

泉谷閑示『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える』

働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い。しかし、それでは人生は充実しないばかりか、長時間労働で心身ともに蝕まれてしまうだけだ。しかも近年「生きる意味が感じられない」と悩む人が増えている。結局、仕事で幸せになれる人は少数なのだ。では、私たちはどう生きればよいのか。ヒントは、心のおもむくままに日常を遊ぶことにあった――。独自の精神療法で数多くの患者を導いてきた精神科医が、仕事中心の人生から脱し、新しい生きがいを見つける道しるべを示した希望の一冊。

泉谷閑示『「うつ」の効用 生まれ直しの哲学』

うつは今や「誰でもなりうる病気」だ。しかし、治療は未だ投薬などの対症療法が中心で、休職や休学を繰り返すケースも多い。本書は、自分を再発の恐れのない治癒に導くには、「頭(理性)」よりも「心と身体」のシグナルを尊重することが大切と説く。つまり、「すべき」ではなく「したい」を優先するということだ。それによって、その人本来の姿を取り戻せるのだという。うつとは闘う相手ではなく、覚醒の契機にする友なのだ。生きづらさを感じるすべての人へ贈る、自分らしく生き直すための教科書。

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「自分が嫌い」という病

「自分嫌い」こそ不幸の最大の原因。「自分を好きになれない」と悩むすべての人に贈る、自身を持って生きられるヒントが詰まった1冊。

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泉谷閑示 精神科医

1962年秋田県生まれ。精神科医、作曲家。東北大学医学部卒業。東京医科歯科大学医学部附属病院、(財)神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法専門の泉谷クリニック(東京・広尾)院長。著書に『「普通がいい」という病』『反教育論』『仕事なんか生きがいにするな』『あなたの人生が変わる対話術』『本物の思考力を磨くための音楽学』などがある。

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