
等身大の老いをテーマに日々を綴る、大竹まことさんによるエッセイ。7回目の今回は、愛猫の「染子」の死に思いをはせる内容です。生きとし生けるもの、いつかは死を迎える運命だとわかっていても、身近な人やペットの死に対して、そこはかとない悲しみや喪失感にくれることは、誰しもが経験したことがあるのではないでしょうか? 染子さん、ありがとう。
* * *
家に帰ると飼い猫の背中は、もう冷たくなって、いつものマットにタオルにくるまれていた。首のあたりに手をあてる。身体が硬くなって毛だけがフワフワと指にからむ。
染子は、もう、何日も前から水しか飲めなくなっていた。
スポイトで口の端からピチャピチャピチャピチャとすする。寝返りさえ打てない。家人や、私は数時間おきに体の向きを反対に返した。
手足も伸びたままで、体を返されても、足を縮めたり首を動かすこともままならなかった。少し前三半規管をやられたせいか、フローリングの床をくるくる回ったりしていた。それが兆候であった。
医者に聞けば、止めたりせずに、そのままにしてあげて下さいとの返答であった。この輪が回転する大きさが徐々に小さくなって、まるで己のしっぽにじゃれつくように小さくなっていく。
いや、私のベッドからずり落ちたりしていた時から病は進行していたと思う。それが2階の階段から二度ころげ落ちて、あぶないので、私の部屋から出ないように工夫した。
寝たきりになった時、「染子」と呼んだり首の回りをなでたりすると、唯一肉球の先をギュッと閉じて、アイヅが返ってきたが、それもできなくなった。それでも固くなった身体を抱きかかえると、まだ見えている方の左目が動く。名を何度か呼ぶと、声にはならないが口の端がわずかに開いて、小さな音が聞こえる。鳴き声とはほど遠い。ガムを噛んでいるような音だ。
いや、もう声ではない声であった。
染子は二十四年生きた。医者も驚くほどの年齢であった。
染子が階段から落ちた前後、私も二度程立ちくらみで昏倒した。一度は自室の床で後ろには何もなく、倒れたまましばらく動かずにいた。情けなくて笑ってしまった。
二度目はそうはいかない。本棚のカドに背中と後頭部をしこたまぶつけた。またその音の大きさから、家族が飛んできた。
「大丈夫だョ」
大丈夫なわけはないだろ。頭の右後ろにできたたんこぶの腫れは、いつまでも引かなかった。
八十三歳になられた嵐山光三郎さんがラジオに来た時、ころび方のコツを教えてくれた。
「前にネ、こうゴロンと回るようにするんだョ」
御本人も何度か転んでいて前歯を全損していた。
いくら教わっても、いざという時には役に立たない。大体二度とも後ろ向きに倒れたのだから。
染子は、あまり大きくならないタイプの黒猫で、いつまでも子猫みたいに見えた。親子で捨てられていたのを医者が見つけ、子猫のほうを飼ってくれないかといわれて我家にやってきた。
当所は腹がへっていたのか与えられたキャットフードをガツガツと食べていたが、そこに餌がいつもあるとわかったらしく、何日もしない内に普通になった。
年を取ってからは、私のベッドが寝床になって、帰るといつもベッドの真ん中にドンと寝ていた。私を見上げてニャーと鳴く。私が染子をほんの少しずらして、フトンに入ると、迷惑そうな顔を私に向ける。部屋は陽あたりがよく、私がいない時は染子専用になる。
暑い時はふとんの上に、少し寒くなるとフトンの中に。時々足が出ていたり、シッポがフトンからたれていたりする。
平気で私の体を跨いでゆく。後年段々ひどくなって、顔の上を跨ぎ始めた。またぐだけならいいが、後ろ足で顔を踏んづけて行く。
何故かそれが当たり前になって、家族は笑っていた。たいして重たくないし、私もされるがままに放っておいた。
時々、愛想のつもりか、体に乗ったまま染子の鼻が私の鼻のあたりにくっつく。ジワーと冷たい。
居間のフローリングの上に猫マットを置き、何枚かのタオルがかけられて、もう必要のない尿もれパンツもせずに置かれている。頭が苦しくないように、首が変な風に曲がらないように、薄めのタオルが頭の下にもある。
そっと、タオルをめくる。長々とまるで染子は寝ているようだ。
長い付き合いであった。
「よくがんばったなあ」
六月の三日、小さな庭に木漏れ日が射す。どこから飛んで来たのか、庭にはタンポポや花にもならない紫陽花が生きている。その根元には、これも何故なのか、一面に毒イチゴが小さな赤い実をつけて地面を覆っている。風が吹く。木々がゆれる。こんなにゆっくり庭を見たことはない。手も加えていない梅の木は、いつの間にか青い小さな実をたくさんつけている。
六畳ぐらいの広さの庭には命があふれていた。
去年、庭の前に家が建ち、ほとんど陽が射さなくなったというのに。
命はつよい。そしてはかない。染子は己れの死を知っていたのだろうか。
もう一度、その体を撫ぜた。すでに硬直が始まっている。
私は右を下にして横たわっている染子を一度持ち上げて腕に抱いた。
静かな時が過ぎる。今度は苦しくないように左を下にして戻した。
曲がった足先をみると、いつも喜しい時するように、まるで何かを掴むように肉球側に爪が回りこんでいた。
ジジイの細道

「大竹まこと ゴールデンラジオ!」が長寿番組になるなど、今なおテレビ、ラジオで活躍を続ける大竹まことさん。75歳となった今、何を感じながら、どう日々を生きているのか——等身大の“老い”をつづった、完全書き下ろしの連載エッセイをお楽しみあれ。