
SNSが日常に溶け込んだ今、いつでも誰とでも繋がれるようになりました。しかし、ふとした瞬間に覚えるのは「つながっているはずなのに、満たされない」という奇妙な感覚です。
生活者の"選ぶ瞬間"を分析し続けてきた元・電通プランナー、小島雄一郎さんの著書『「選べない」はなぜ起こる?』(サンマーク出版)が出版されました。「選択疲れ」の時代にモノ・サービス・人間関係まで含めた「選ばれる構造」をマーケティング・心理・社会の視点から解き明かし、「なぜ選べないのか」から「どうすれば選ばれるのか」への視点転換を促してくれる一冊。本書から、一部をご紹介します。
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私たちは誰かの「選択肢」になった
何気なくスマホを開くと、LINEの未読は10件、Instagramの通知は30件、マッチングアプリからは「新しい候補者が追加されました」という通知。そして私は思わずため息をついた。
「全部返すのめんどくさい」
この感覚、あなたにも心当たりがあるのではないだろうか。
もし私たちが「(誰かを)選ぶのがめんどくさい」と感じているなら、他の誰かもまた、あなたのことを「めんどくさい選択肢」の一つに感じている。
SNSが関係を軽くした
この状況の一因は、人間関係でも選択肢が増え「選び放題」になったこと。つまりは「つながりのインフレーション」だ。
SNSの登場により、私たちの「友達」や「つながり」の数は爆発的に増加した。これまでは「世界には数十億人いる」と言われても、それは教科書上の話であって、実際に自分の周囲に存在するのは数百人程度だった。
それが今やSNSをひらけば、数億人がそこに実在していることを確認できる。「友達100人できるかな?」は、とうの昔の話で「(SNS上の)友達1000人」が珍しくない。LINE、Instagram、X……それぞれのプラットフォームで何百人ものつながりを持ち、その全てと何らかの形で交流することが期待されている。
これは単なる数の増加ではなく、関係性の質の変化をも意味している。
以前なら「友達」と呼べる関係の人とは、日常的に顔を合わせて会話を交わし、お互いの感情や経験を共有したものだ。それが今では「友達」と「フォロワー」が混在し、表面的なつながりだけが常時接続で維持されている。
「つながっているのに満たされない」という感覚
私たちが抱える「つながっているのに、つながっていない感じ」という矛盾した感覚は、こうしたSNSをベースとした人間関係から生まれる。
数百の「友達」がいても、本当に自分の喜びや悲しみを深くわかち合える相手は、ごくわずかしかいないという現実。それなのに日常には誰かからの通知やメッセージが溢れ、誰もが常に人間関係に関する選択を強いられている。
「誰の投稿に反応するか」「誰からのメッセージに返信するか」「誰と実際に会う時間を作るか」無意識のうちにジャッジしている。そして私たち自身も、誰かの選択肢の一つとして、日々選ばれるか選ばれないかジャッジされている。
一つひとつの人間関係の「重み」は変化した。そして、「つながることに対して感じる手応え」が薄れてきたのだ。かつては「会うこと」自体が特別だった。しかし、今はオンラインでいつでもつながれるからこそ「わざわざ会う理由」という別の特別さが必要になってしまった。
マッチングアプリに代表される「出会いの革命」は、この現象をさらに加速させた。
マッチングは、そこにいる全ての人が「出会いを求めている」という前提の上で成立する。これが今までは当たり前ではなかった。
マッチングという概念が浸透する以前、出会いの形は「偶然」か「紹介」の二択だった。パートナー探しの例で言えば、お見合い結婚が主流だった時代は「紹介」が基本。そして数年前まで、結婚相手と出会ったきっかけの一位は「同僚」。つまり「偶然」の出会いが基本だった。
それが今、結婚相手と出会ったきっかけの一位は「アプリ」。つまり「マッチング」だ。現代において「良い出会いがなくって」と嘆いたところで「アプリやればいいじゃん」と返されて終わりだ。
恋愛以外の「出会い」でも同じだ。
就職・転職活動では求人票を出して待っていた時代が終わり、求職者SNSで事が進む。ここでは条件が折り合いそうな相手にお気に入りマークをつけて、ストックしておくことができる。
水道管の工事業者だって、電話帳で近所の業者を探す必要はない。アプリを使って希望の日時を入力すれば、予定が空いている複数の業者とマッチするので、その中から選べば良い。
出会いは「選ばれるのを待つ」時代から「自ら選びに行く」時代に変わったのだ。
この変化の規模を数字で見てみよう。
週末の合コンでパートナー候補を探していた時代と、スマホのマッチングアプリで探す時代を比較してみる。
合コンで出会えるのは一度に4人程度。1年間52週、毎週合コンに参加しても208人が母集団の限界だ。
それに対して、国内大手のマッチングアプリの登録者数は2000万人、性別の関係で半数が対象になるとしても、1000万人がパートナー候補の母集団となる。その差は約4万8000倍。
これはもはや変化ではなく革命だ。
今や出会いは「作業」になった
この「出会いのインフレ」が進めば進むほど、一つひとつの出会いの価値は低下する。
かつて「出会い」とはイベントだった。求職なら履歴書を書いて、スーツを着て、緊張して臨んでいたし、合コンなら幹事を決めて、お店を決めて、身だしなみを整えて「その場」に臨んでいた。
それが今や出会いは「作業」になった。
スキマ時間で、スマホで、オンラインで始まるのが出会いだ。私たちはベッドに寝そべりながらSNSをいじり、通勤電車に揺られながらマッチングアプリでメッセージを返す。非日常が日常に変わったのだ。
作業になると、人は途端に楽しくなくなってくる。
SNSへの反応が義務的になり、メッセージの返信が負担に感じられる。「今日は誰とも連絡を取りたくない」と思う日も増えた。ふいに「人間関係を一旦リセットしたい」と感じることもある。
つながりが容易になった分、些細な通知や、瑣末なやり取りも増え、つながることの価値が薄れてしまったのだ。
近年は「マッチングアプリでのメッセージのやり取りが大変」という声を受けて、いきなり電話やデートの機会を提供するサービスも増えてきた。求職の場面では「エントリーシートを書くのが面倒」という声を受けて、SNSのプロフィール欄だけで選考する企業が現れている。
また、モノやサービスと同様に選択肢があまりにも多過ぎると、私たちは「本当に最適な選択ができているだろうか」という不安に駆られるようにもなった。
マッチングアプリで次々と現れる新しい候補者を見るたびに「もっといい人がいるかもしれない」という思いに駆られる。そして一人と真剣に向き合うよりも、次の候補者へとスワイプするほうが楽に感じてしまう。
つまりは選択の先延ばしだ。
この時代を生きる私たちは、二つの顔を持っている。
スマホを片手に「選ぶ側」として疲れている顔、そして誰かのスマホ画面で「選ばれる側」として埋もれないよう奮闘している顔だ。
マッチングアプリの上では、まだ会ってもいない相手から、自分が一瞬で判断される。アイコン写真やプロフィールの一言、趣味欄など、外から見える情報だけで「あり/なし」が決められるのだ。それはまるで、食べる前に判断されるようになった飲食店たちと同じ状況だ。それが人間バージョンで起こっている。
だから私たちは、飲食店がコンセプトを掲げるようになったのと同じように、自分の「キャラ付け」を意識するようになった。「サウナ好き」「料理が得意です」「○○業界特化型コンサルタント」など、自分たちにラベルをつけて、多くの選択肢の中で埋もれないための努力をするようになった。
SNSやマッチングアプリが浸透したことで、これまで必要なかった人間関係に関するコストが発生するようになったのだ。
かつては他人とつながること自体が難しく、だからこそ一度つながった縁や関係を大切にしていた。
しかし今は、つながるハードルは下がったものの、その関係は「選択可能なもの」「維持に手間のかかるもの」「いつでも解消できるもの」になった。
次の選択肢がいつでも手に入る時代では、一つの関係に真剣に向き合う時間も動機も薄れてしまったのだ。