
親愛なる綾へ
外が一面の緑になった。
いま住んでいる部屋は、目の前が公園。窓が切り取る範囲に一本だけ桜の木が生えていて、花を楽しんでいたけれど、もう葉桜になった。せめて別のかたちで春を堪能しようと、スーパーマーケットで山菜を買ってきた。夕飯は山菜うどんにするつもり。
失恋の経験はあるけれど失敗はないって、とっても綾らしい回答をありがとう。それにしても、失恋を研究している脳科学者と知り合いだなんて! 綾から聞く話はいつも、私が住んでいたロンドンと同じとは思えない。綾だからこそのネットワークだね。
自己物語と現実のギャップから失恋の苦しみが生まれるという話、興味深く読みました。たしかに「愛していて一緒にいたい」という気持ちと、「相手はそうではない」という現実のずれが、恋する者達を苦しめるわけだものね。
<恋愛でのひらりさの「自己物語の調整」、つまり失恋からどう立ち直っていくのかについても聞いてみたい。>
うーん。たぶん、調整できたことがない気がする。感情の鮮度が落ちてきたときに、新しい恋愛がやってきて、古い恋愛を忘れちゃうってだけだ。立ち直っているのではなく、乗り換えているだけから、心のレジリエンスがちっとも高まらない。そうして毎度、同じ激しさで破局に苦しむ。
いま、私は「失恋」の代わりに、意識的に「破局」という言葉を使った。交際や関係を相手に拒絶されるなどして、相思相愛でないことが明らかになった状態は、私にとってまだ「失恋」ではない。なぜならば、私の恋愛感情は引き続き失われていないから。失恋って、英語ではhave one's heart brokenとかbe crashedっていうよね。関係が壊れた時点で感情がダメージを受ける人もいるだろうけれど、私は違うのだ。綾が手紙のなかで紹介してくれた『Mon Mari』の主人公も、彼女の恋愛感情と婚姻関係は継続しているけれど、相思相愛は破綻しているといっていい状態だよね。それも「破局」なのではないかと思う。新しく恋愛がやってきたときや、いろいろあってどうでもよくなったときにやってくるのが失恋、というのが、私にとって正確な用法かもしれない。つまり失恋は、ある恋愛における、自己物語と現実のずれを何かしら受け入れた後の状態を指す言葉となる。
私は破局を迎えたあと、失恋までの期間が長い。「彼こそが運命の人。きっと必ずうまくいく」という物語に毒されているからだね。ちなみにこれは、ジャパニーズ少女漫画とボーイズラブ(要はハーレクインジャンル)の読みすぎで陥った症状! だって、ロンドンの大学院で書いた論文も、「BLの読書体験が女性愛好家達の現実に与える影響」だよ(笑)。
私のオールタイムベストBLに、『美しいこと』(木原音瀬)という小説がある。元恋人が残して行った服で女装をして街に出かけ、仕事のストレスを晴らすサラリーマン・松岡は、その姿でトラブルに遭い、同僚男性・寛末に助けられる。女装姿の松岡に一目惚れしてしまう寛末。彼の好意をかわそうとする松岡だけど、彼の「僕はあなたがおばあちゃんになっても、子供になっても、どんな姿になっても、きっと探し出して愛してしまいます」という言葉に心を動かされ、正体を明かす。そこで大団円となるのではなく、修羅場になるのが本作の(ハーレクインジャンルとして)面白いところ。寛末が「男だったら話が違う」「中身が同じでも無理」と掌を返すのだ。すでに寛末に恋していまった松岡も、相手の小物ぶりに呆れ離れようと決める。でもそうすると今度は、寛末のほうが未練を見せてくる。ぐじぐじした果てに、どうにかハッピーエンドになだれ込む。私の知る限り、最もみっともないラブストーリーが『美しいこと』だ。
ああ、私の思う「運命」って、究極「なんなんだこいつ…」と思いながらも、離れがたいってことなのかも。それはもしかしたら「どんな私でも受け入れてほしい」という欲望かもしれない。
失恋は、互いの「運命の人」性を否定すること。すべての関係が代替可能であることを受け入れること。それは逆説的に、どんな関係も、感情も、自分の自分らしさや人生を損なうほどの価値はないという境地でもある。素晴らしいことのはずなのに、私はどうしても寂しいと思ってしまう。
私は「まあ、異性に愛されなくたって、恋人いなくたって、私って価値ある人間じゃん」という自己肯定がとても苦手だ。だから、古い恋愛から新しい恋愛に乗り換えるしかできないのだろう。当然、苦しむ期間は長く、現実とのずれによる摩擦で生まれるエネルギーも半端ない。
<ひらりさは『恋愛をしてしまう自分』、そして恋愛の『酩酊に執着してしまう』について語ったけど、酩酊だけではなく、そこから何か生きる力や強さも得ているのかな?>
まあたしかに、「ずれ」ている間、ただ布団のなかでじっと苦しんでいるというわけではない。哲学者に振られれば、何か見返そうとしてイギリスの大学院まで留学するし、作家に袖にされれば急に小説を書き上げたりする。それは私の人生を面白くしてくれていると思う。友人から、「ひらりさって、木のぼりを頑張るシャチみたい」と言われたことがある。私は「だって、シャチがうまく泳いだからって、おもしろくもなんともないじゃん」と返した(笑)。すべての異性愛は、私にとって木のぼりだ。
『浮雲』、読んだことなかったので、今Kindleでダウンロードした! 私にフィットしそうな小説だね。私は感情移入できる恋愛小説が好き。綾は、自身にはないエネルギーをはらんだ恋愛小説に惹かれるのかな、と思ったのだけど、綾の手紙にあったこの言葉を読んで、ちょっと印象が変わった。
「私は、恋愛を含め、全ての人間関係に失敗はなく、全ては経験と学びだと思っている。」
綾がこれまで明かしてこなかったアイデンティティも含めて、書いてくれてありがとう。綾自身、とてつもないエネルギーで恋愛に向き合ってきたのがわかるくだりだった。だから、シチュエーションや感情の発出の仕方は違えど、「得た経験」のかけがえのなさが丁寧に描かれた小説に惹かれるのかなと勝手に思った。
そうそう、昔、信頼している人から「あなたは、悲しい体験や辛い体験を『失った』と考えて苦しんでいるように思うんだけど、『得た』と捉えてみてもいいと思います」と言われたのを思い出した。これはまさに、綾のマインドだね。
さて。今回の私が、内的摩擦を克服しようと選んだアクティビティは……、パーソナルトレーニングジムの契約(笑)。バレエとピラティスとあわせて、この春は週6運動している。5キログラム痩せようと思って。健全な精神は、健全な肉体から。
お分かりだと思いますけど、私って、本当に、異性を見る目がないんですよ。シャチなので。自分のファンタジーに合わせて、少しでも「ありのままの私を受け入れてくれそうな人」を精査すればいいのに、容姿で一目惚れして、感情に溺れる。
彼氏に振られたという現実のあと、「今度こそ運命の人」という自己物語に苦しんでいる私は、さすがに負のループを抜け出そうと決めた。つまり、物語のキャラクターをすげ替えたくてよく精査せずに新しい恋愛に飛びつくことを、やめようと思った。ありのままの私を愛してもらうギャンブル(ギャンブルだよね?)をやめて、私が私を、愛することを優先しよう。そのためには、破局から失恋までの摩擦で生まれるエネルギーを、今までやったことがない形で昇華させる必要がある。思い浮かんだのが、ボディメイクだ。なにも脂肪吸引するとかフェイスリストするとかではない。週2回のパーソナルトレーニングと栄養バランスを保ったカロリーコントロールが、ジムとの契約内容だ。将来を見越した予防医療の範疇とも言える。
と言いつつも、予防医療の観点でいえば、5kg減という目標は、不当に高い(私のBMIは健康体重の範囲だ)。トレーナーからも眉をひそめられた。ここまで読んだ綾の頭には、きっと、lookismという単語浮かんでいるところだろう。
ボディメイクのかたわら読んでいる本がある。『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』(エリース・ヒュー)だ。原題は”FLAWLESS:Lessons in Looks and Culture from the K-Beauty Capital”だから、かなりの意訳だ。隣国・韓国に近い状態になりつつある日本人女性達に、広く手に取ってもらおうと狙ったのだろう。本書は、アメリカで育った女性ジャーナリストが、赴任したソウルで、資本主義と美容文化の共犯関係を、自身の美容体験もまじえてスリリングに記録したノンフィクションだ。韓国では、K-POPアイドルに体重制限が課せられるのみならず、一般人を対象にした結婚相談サービスでも、体重を含む「体インデックス」を使って顧客の価値を数値化しているらしい。
「世界じゅうの美のプロジェクトが目指す方向は細さ、引き締まっていること、なめらかさ、若さなのだ」
こんな本を読みながら、安易に痩せようとしているという矛盾! けれど、「体インデックス」で選んだ元彼の内面に賭けて消耗したからといって、いきなり「人間の見た目に価値を置くのをやめよう」と切り替えることは難しい。100パーセント病む。そこでいったん自分の「体インデックス」に投資することにしたのだ。リモートワークの弊害で筋肉が落ち、健康に支障が出ているのも事実だし。なのでまあ、5kg落ちなくてもいいとは思ってる。6月のロンドン観光中も、ちゃんと食べて、ちゃんと運動するつもり!
ダイエットを始めてよかったのは、余計なアルコールを摂取しなくなったこと。そして余計なアルコールを摂取しない副効果に、余計なセックスを避けられることがある。この週末、久しぶりに会った知人男性と飲みに行ったら、「じゃ、ホテル行く?」と言われるという出来事があった。別にその人とセックスをしたいという気持ちがなかったので、断った。もしかしたら、アルコールを飲み過ぎていたり、運動でエネルギーを発散していなかったりしたら、乗った可能性はあるかもしれない。あとは「元彼のことを早く吹っ切りたい」と焦っていたら。セックスそのものが目的ではないセックスは、しないに限る。相手からは「彼氏と別れたっていうし、そういう気分なのかと思っていた」と言われた。
と、書いてみたところで気づいた。私、そもそも、相手から誘われたセックスに応じたことがないな。自己肯定感が低いわりに、望まないセックスをしたことがないのは、相手から誘われた場合に基本断っているからなのでは……。初めて誰かとセックスする際は、必ず自分から誘っている。たとえば「家来ない?」は向こうが切り出すけど、家行ってからどうするか、の部分は私が言うというようなバランス感だ。自衛策というより、単純に性格だろうね。仕事でも人生でも「やりたくないことを本当にやりたくない」という性分のためだ。
とはいえ、男性からセックスに誘われること自体には、ちょっとした自尊心を回復されることもある。そのため、断るときもユーモラスに断る、というのを信条にしている。今回も、「実は、台東区でそういう気分になったことがないんだよね」と返して解散した。
綾には、(特に気乗りしない)男性からの誘いを断る際の常套句などはあるだろうか?(笑)綾に限らず聞いてみたい話題だ。(そういえば、日本にはラブホテルがあるので「ホテル行く?」と聞くけれど、ロンドンの場合はなんて誘うのかも、気になります)。
ピラティスに通っていると言っていたけれど、自分の「性的魅力」の、年齢にともなう変化についてはどのように考えているだろうか。「白人女性」として扱われることがあったり、いろいろな国で「体インデックス」の文化的差異を感じたりしてきた綾だからこその、体や容姿との向き合い方、聞かせてほしい。
4月25日(金)に開催されたオンライン読書会のアーカイブ販売中です!
詳細は、「恋愛に溺れる自分、執着する自分を客観視できる」ひらりさ×鈴木綾『シンプルな情熱』読書会レポートをご覧ください。
往復書簡 恋愛と未熟

まだ恋愛にじたばたしてる――? 30代半ば、独身。ロンドンと東京で考える、この時代に誰かと関係を紡ぐということ。