
「終わらない悪夢を見ているようだったよ……」
若い頃を振り返るとそう思う。
母みたいな女になりたくない、と子どもの頃から思っていた。男に依存しなくても生きていける、自立した女になろうと決めていた。
「男に選ばれるのが女の価値」みたいな母の生き方に反発して、自分の価値は自分で決めると思っていた。
でも大学生になるとモテない自分に絶望して、「男にモテたい……!!」と血管が切れそうになった。ダイエットや美容に血道を上げて、フェロモン香水まで購入した。
そしてうっかりビッチになって、酒と男とセックスに依存した。
社会人になるとセパ両リーグ(セクハラ&パワハラ)な職場に疲れ果て「結婚に逃げたい」と思った。
婚活に全力投球しながら「つまらない大人になっちゃったな」と自分で自分に絶望していた。
当時はフェミ本とモテ本を同時に読むという、とっ散らかった状態だった。
でも人間ってそんなもんじゃないだろうか。さまざまな混乱や矛盾や葛藤を抱えて生きるのが生身の女なのだろう。
そんな生身の女たちが必死にもがきながら、自分の人生を見つけていくストーリーを紹介したい。
今回のゲストは「恋愛も結婚も子どももいらない」と非婚宣言した、雪代すみれさん(34歳、ライター)
雪代さんには重度知的障害を伴う自閉症の弟がいて、きょうだい児として発信や執筆をしている。
「幼い頃から、弟がかんしゃくを起こして暴れることが度々ありました。弟が勝手に部屋に入って、ものを使ったり壊したりとか……嫌なことをされても「障害があるんだからしかたないでしょ!」と親に言われて、我慢を強いられてきました」
思春期になると、弟からの性加害にも苦しんだ。
スカートの中や風呂を覗かれる、脱いだ下着をチェックされる、サニタリーボックスを漁られる……そうした性被害を母親に訴えても「そういうこと気にする年になったんだww」とからかわれ、我慢するしかなかったという。
「母に弟に注意するよう訴えても、適当な感じで注意するだけで、本気でやめさせようとはしてなくて傷つきました。他のきょうだい児と比べて「なんであんたはあのお姉ちゃんみたいになれないの」とダメ出しされるのもつらかったです」
ちょっとお母さん!!!
そりゃお母さんもめちゃめちゃ大変だったと思うけど、あんまりじゃないですか?!
娘さんもケアされるべき子どもなんだから、尊重してあげて下さいよ!!
とゴン詰めしたくなるけど、当時の彼女は何も言えなかったという。
「嫌だと言っても聞いてもらえないと、嫌でも嫌と言えなくなるんですよ。そうやってNOと言う力を奪われてきました」
嫌知らずという言葉があるが、「子どもの嫌は聞かんでよし」と毒親クラウドに刻まれているんじゃないか。
うちの親も何百回嫌だと言っても連絡してきて、無視すると職場に凸ってきた。
「うちは『弟に障害があるから、障害児育児は大変だから仕方ない』という強い要素があったので、親の理不尽な言動に気づくハードルが健常児家庭より高かったと思います」と雪代さんは振り返る。
「嫌でも我慢しなきゃいけない」という呪いを刷り込まれ、どんなにつらかっただろう。つらくても子どもは家から逃げられないから、幾重にもつらい。
「一番つらかったのは、家でリラックスできないことでした。大人になるまで外付けの鍵の存在を知らなくて、勝手に部屋に入られるのも我慢するしかなくて。夜中も弟の叫び声で目が覚める。あと食事中に弟がいきなり吐くんですよ。それを見るのが嫌で、家でごはんを食べるのも苦痛でした。親が弟を怒鳴ったり叩いたりするのを見るのも嫌で、あれは一種の面前DVだったと思います」
そんな過酷な少女時代を過ごしながら「弟をかわいいと思えない自分は冷たい人間だ」と罪悪感を抱えていたという。
24時間テレビ的なやつも嫌だったんじゃない? と聞くと
「そうですね。『家族みんな仲良しで支え合う』的なキラキラ家庭を見るのは苦しかったです。あれって毒親は出てこないじゃないですか? 現実は親がヤバいケースもあるのに、キラキラばっかり浴びてると『こうあらねばならない』と洗脳されちゃうんですよ」
その洗脳が解けて「うちの親ヤバくね?」と気づくのは、だいぶ先の話である。
私もうちの親は毒親だと認めるのに時間がかかった。もっと早く気づいていれば、実印を膣にしまって逃げられたのに……(『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』参照)
うちはネグレクト&搾取系だったけど、雪代さんちは? と聞くと「うちは両親共にからかい系でした」とのこと。
子どもの頃、歌が好きだったのに「音痴ww」とからかわれて歌うのをやめた。テストで90点とっても「あと10点取れないのはゲーム脳だからww」と揶揄された。もともと勉強が好きだったのに「真面目ww」とからかわれて勉強する気もなくなった……
親のバカバカ! 子どもの翼をバキバキに折るんじゃねよ!!
ちなみにジェンダー系の呪いはあった?
「普段は『結婚も孫も期待してないから』みたいなことを言ってるんですけど、私が家事を失敗すると『そんなんじゃ結婚できないよww』とか言ってくる。ジェンダーの呪いを攻撃手段として使う親でした」
そこで空を見つめるように「でも私自身は『彼氏いないと恥ずかしい』という呪いがすごく強かったんですよ……」とおっしゃる。
大学生になって彼氏ができた時も「この人が好き」というより「とにかく彼氏作らなきゃ」という一心だった。それでもいざ付き合うと、相手に嫌われないよう必死で努力したんだとか。それはなぜ?
「うーん……自分には弟というハンデがあると思わされる出来事が積み重なって、この人と別れたら誰とも付き合えない、誰とも結婚できないっていう不安と恐怖があって。今思えば、世間のレールから外れたくなかったのかもしれません」
わかる……わかるぞ!!
私も「普通」にずっと憧れていた。ごく普通の人と結婚してごく平凡な人生を手に入れたかった。
毒親育ちじゃなくても「結婚出産するのが普通」という呪いに縛られている人は多いだろう。
「私も普通になりたいってずっと思ってました」という雪代さん、大学卒業後は公務員として市役所で働き始める。
「地域の人のために働きたい」と黄金のような夢を抱いていたが、職場のおじさんからひどいセクハラを受けてしまう。
このドグサレがァーーーーーーッ!(©ポルナレフ)とジジイの指を切り落としてやりたいが、新人の立場で何も言えなかったという。そりゃそうだよね(涙)
「おじさんに触られるのも嫌だけど、またいつ触られるかわからない不安な状態で働くのが本当に苦痛でした。しかも日々一緒に仕事をする上司もセクハラしてくるおじさんだったんですよ」
フジテレビか? 今からそいつをこれからそいつを殴りに行こうか。
その後、人事にも相談したが「毅然とした態度で断ってください」と言われて「断れないから困ってるのに」と途方にくれたという。
誰も助けてくれない状況で「NOと言えない自分が悪い」「仕事できない新人なのに迷惑かけて申し訳ない」と自分を責めたんだとか。
わかる……わかるぞ!!
今でこそ「フェミ様のお通りだ!!」と闊歩している私だが、若い頃は「自分は仕事できないんだからセクハラぐらい我慢しなきゃ」と思っていた。クライアントとの飲み会に接待要員として呼ばれても「役に立たなきゃ」と張り切っていた。
そんな若い女の立場の弱さにつけこむおじさんが蔓延(はびこ)っている、日本列島全体がフジテレビである。
22歳の雪代さんはストレスで体調を崩し、「実は職場でセクハラに遭って……」と母親に打ち明けると「アッハッハー」と爆笑されたという。脳ミソがクソになってるのか?(©ワムウ)
「母が結婚前に勤めていた職場もセクハラが日常だったらしく、感覚が麻痺していたのかもしれません」とおっしゃるが、娘の性被害を笑うなんてヤバすぎる。
そんな家族にも頼れない状況で数年間耐え続けたが、26歳のときに「仕事を辞めて自殺しよう」と決意したんだとか。
「休職して迷惑をかけるのは、公務員として市民にも申し訳ない気持ちでした。私が退職したいと伝えると、当時の女性上司が「とりあえずゆっくり休んで」と休職を勧めてくれて……あの言葉がなければ死んでいたかもしれません」
その女性の上司がいてくれてよかった……(涙)
セクハラ加害者は「軽い気持ちで触った」「コミュニケーションのつもりだった」と言い訳するが、被害者は人生を奪われるのだ。
病院でパニック障害の診断を受けて休職した後も、働けない自分を責めて苦しんだ。
そんな折、布団乾燥機の使い方を間違えただけで「おまえは本当に何にもできないね!」と母親に責められて、とっさに窓から飛び降りようとしたそうな。
「でもこの高さだと死ねないな、と思って踏みとどまったんですよ」
建物の高さが足りなくてよかった……(涙)
「当時は性暴力の知識がなくて、どうしていいかわからない状態でした。『時間が解決するよ』という周りの言葉を信じて耐えていたけど、むしろ体調は悪化していく。カウンセリングにも通ったけど回復しなくて、もう死ぬしかないと追いつめられてました」
転機になったのは、性暴力に詳しいカウンセラーを調べたことだった。ようやく的確なサポートにつながれて、少しずつ体調も回復していった。
「それで転職を考えるようになったんですけど、セクハラの影響で男性恐怖症になってしまって。いろいろ調べても、男性と関わらなくていい仕事ってほとんどないんですよ」
性暴力実態調査によると、職場で性被害に遭った4人に1人が「職場に全く行けなくなった・辞めた」と回答している。
被害者は仕事やキャリアを奪われて、その後の就職にも苦労する。一方の加害者はのうのうと暮らして出世していく。このクソカスどもがァーーッ!!(©吉良吉影)
「結局、その時の自分にできそうなことがフリーランスのライターしかなかったんです」
これしかないからやるしかない、と経験もコネもゼロの状態からネットでこつこつ仕事を探してライター業をスタート。
収入は公務員時代よりかなり減ったけど、1年後、29歳でひとり暮らしを始めたことが大きな転機となる。
「実家を出る時も「お金が無くなったら自殺すればいいや」と思ってました。それで家賃4万円の小さな部屋に引っ越したんですけど……」
ひとり暮らしの初日「家ってこんなに静かなんだ……」と感動して涙が出たんだとか。
夜中に起こされず朝まで熟睡できる。ごはんもゆっくり食べられる。トイレに行くたび部屋に鍵をかけなくていい。それってこんなに楽なんだ、こんなに安心できるんだ……と、ひとりの幸せをかみしめて涙が出た。
という話を聞いて、私も泣いてしまった。
ひとり暮らしの初日、ホームシックで寂しくて泣く人もいる。でも私たちは違う。家族がいない幸せ、自由になった喜びに涙するのだ。
18歳の時、私がひとり暮らしを始めた4畳半のアパートは日当たり最悪だった。窓の外はビルの壁で太陽光が1ミリも入らなかった。
そんな座敷牢チックな暗黒空間で、安心して眠れる場所を手に入れたことが嬉しかった。
ひとりの幸せを嚙みしめた雪代さんだが、「一生ひとりで生きていこう」という決意にはまだ至らず。
そこから数年かけて、家族の呪いや性被害のトラウマ、さまざまな生きづらさの呪いを解いていく。
後編では具体的にどうやって呪いを解いたか? に迫ります。
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