
TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界133ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)。現在も旅を続けている彼女の紀行をお届けする本連載。本日は「トーゴ編(後編)」をお届けします。
* * *
ロメは海岸沿い、ガーナ国境のすぐ上にある町だ。上というか、まさに国境の町というか。
ベナンを出てガーナまでをつなぐ幹線道路はピンクの砂浜を走る。大西洋は青い。太陽の日差しを反射して「意外にも綺麗」と思った自分に、「意外とは何か」と問う。
ここが当時の「名産」にちなんで奴隷海岸などと呼ばれていたのはどういうことなのだろうかと問う。海風がヤシの葉を巻き上げる。
沿道の緑はロメの町に入ると排気ガスで灰色に染まった。
とはいえ街並みはそこそこ綺麗で、海に沿っておそらく一等地であろう場所にビルがぽこぽこと立ち並んでいた。長年の独裁があったという政治事情くらいしかトーゴ情報を持たなかった私は、ふうんというような気持ちで町を見て、すぐにブードゥー教の市場へ向かった。
バイクタクシーの後ろに乗るとお兄さんは町中を飛ばして、海側を背にして少し坂を上ったあたりにタクシーを止めた。茶色い門の中に同じように土色の市場があり、その名をフェティッシュ・マーケットと言った。
市場に広がる呪物はたしかにいかにも黒魔術という感じの、動物の頭や尻尾やツノの数々で、その乾いても乾ききらない獣スメル、ミイラ・スメルに私はうっと息をのんだ。セメントのようなにおいもした。たくさん写真を撮ったが今見てもグロテスクで、見るたびにハッと目が覚めるので、ちょっと載せないでおく。毛皮の写真だけ一枚。猿、豹、牛、豚、犬、蛇、カメレオン、鳥、蛙、ワニ、あらゆる動物たちのミイラがあった。
市場は、動物の頭骸骨や乾燥させた皮、手首、牙などを置いてある広場と、軒先に毛や骨、毛皮など比較的マイルドなブツのつり下がっている掘っ立て小屋部分に分かれていた。掘っ立て小屋も、広場に面したオープンな小屋と、中に入っていったところにある土間のような部分とで分かれていた。
オープンな小屋には観光客向けのガイドがスタンバイしていて、土間には「呪術師」がいた。
この市場は観光名所なので、入場料を取られるし、ガイドも付けなければならなかった。せっかくなのでいろいろ聞いていると、「僕らは動物たちを殺すのではない、自然に死んだものをミイラにするのだ」と、ガイドは言った。
「それにここは薬屋さんなのだ」と彼は強調する。「病気になったときに、薬局に行くのと同じだ。症状によってハーブと動物のミイラや骨や皮を粉にしたものを混ぜて処方するのだ」と。
「呪いをかけたりもするのか」私は聞いた。
「呪いを解くこともある」ガイドは答えた。「それに、本人たちにとっては呪術が一番、『効く』んだよ。『呪術師』に会っていくかい?」
市場の裏に小さな屋台骨があり、中には長老然としたおじいさんが座っていて、これは旅のお守り、これは金運、これは恋愛成就、などとさまざまなグッズを紹介してくれた。「買わないよ」と私は言った。
呪術師というか、お土産屋さんである。長老が本当に呪術師だったのかもわからない。
私に分かるのは、そこには確かに、何かを買いに来ていた現地のおじさんや、おばさんがいたということだ。彼ら彼女らももしかしたらサクラだったかもしれないし、遊びに来ていただけなのかもしれないし、真剣に心身の悩みを相談しに来ていたのかもしれない。本当のことは一介の旅行者に過ぎない私にはわからないということ。しかしその広場にあるものはすべて売り物で、そこいらじゅうから死んだ動物のにおいがしていたということ。本人たちが「効く」と思ったものが「効く」のだ、というガイドの言葉。本当のことは、本人たちにしかわからないし、本人たちにもわからないのかもしれない。
夕暮れ時、砂浜はてらてらと光っていた。日に焼けた私の肌の色に近い。肌色という表現は今はなくなっているらしい。肌色という日本語の表現は普遍的なものでもなんでもなかった。普遍的な言葉なんて、どこにもないのだ。私はそれを、日に焼けた東洋人の肌の色とか、濃い砂の色といわなければならない。
その日は「ストロング・ブル」という変な名前の酒を飲んだ。
まるで世界共通の強壮剤のようなパッケージだった。
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続・ぶらり世界裁判放浪記

ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと133カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。