「推しとの距離」は人それぞれである。
ライブなど、推しと直接交流できるイベントには極力参加し、できれば自分を認知してほしいと思っている人もいれば、部屋は推しの関連グッズだらけだが、会いに行くどころか外では推しのファンであることを公言すらせず、会社では「あいつ何が楽しくて生きているんだ枠」のセンターを務めるような陰ながら応援タイプもいる。
こういうステルスタイプは「推しのファンであることが恥ずかしい」と思っているわけではない。
確かに「昔、森脇健児のガチ恋だった」というたびに「なんで!?」と聞かれるのがダルいから言わない、というのはあるし、今となっては自分でも説明できないのだが、少なくとも本人は何も悪くない。
ちなみに他人の推しに「なんで?」はご法度だとは思うのだが、やはり思ってもみない名前が出てくると「ナンデ!?」とニンジャがマスター化するのは避けられない。
それに「なんでそんな奴のこと好きなの?」という侮蔑ではなく「ぜひ経緯を伺いたい」という知的好奇心で聞いている場合が多いのだ。
その経緯を聞くことにより、今まで気づかなかったその人やキャラの魅力に気づくことも多く、格好の布教チャンスなので、もし心に余裕があれば不躾な「ナンデ!?」に「ゴボボー」とならず、理由を説明していただけるとありがたい。
ともかく、推しのことが恥ずかしくて隠しているわけではない。
自分如きが推しのファンであることが推しの恥になるのでは、という一周回った恥ずかしがり方をしているのだ。
オタクの中には推しのことを好きになればなるほど「恐れ多い」という感情が増し、逆に推しとの距離が開いてしまう者がいる。
私は典型的そのタイプであり、FGOの土方さんに対しては、自分如き技術の人間が描くべきではないと、全く自分では描かなくなってしまい、せっかくの新規絵も直視できず、無料でもらえたカードすら、半年プレゼントボックスから出せない、という珍現象が起こるようになった。
このような「推しの神格化」はあまりしない方が良い。
特に相手が生身の人間の場合、「相手を人間と思ってない」ということであり、「寝起きの口が臭い」など、人として当然の減少を見せただけで「裏切られた」と怒りだすなど、逆に相手の人権を侵害することになる場合もある。
おそらく私は、相手を崇め、自分がへりくだっているように見せかけて、人一倍自己防衛心が強いため、推しに対してこうなってしまうのだと思う。
推しの姿に1ミリでも自分の期待と違う部分を発見し、自分が傷つくのが嫌だから推しを直視できなくなるのかもしれない。
私の「おキャット様」に対するスタンスはまさにそれである。
「おキャット様」とは、通称「猫」と呼ばれる生物ピラミッド頂点であり、結局お前の最推しは何なのかと問われたら「猫」と答えざるをえない。
しかし、私は猫を飼っていない。
猫をお迎えするというのは、アクスタを集めるのとはわけが違う、安易な気持ちで飼ってはいけないし、少しでも自信がないなら「飼わない」という英断を下すのが猫推しとしてできる最善である。
しかし、おキャット様の身を慮っているようで、やはり猫を飼うことで自分の情緒がハチャトゥリアンになるのが怖い、改めて自分の不甲斐なさを目の当たりにするのが嫌という、自己保身が強いことは否めない。
やはりそんな「可愛くてごめん(自分が)」な人間がおキャット様を飼うべきではない。
そう思っていたのだが、突然我が家に子キャット様がやってきた。
経緯は省くが、突然夫が「うちで子猫を一時預かるかもしれない」と言い出したのだ。
驚きはしたが、これはおキャット様原理主義過激派にとって「トム(クルーズ)とキアヌ(リーブス)がうちに来る」と言われたようなものであり、何故か「来るわけがない」と思ってしまった。
しかし、二日後、本当にやってきてしまったのである。
当初は起こった現実が信じられず、触れることはもちろん、直視すらできなかったのだが、相手は子キャットどころか赤キャットであり、食事すらこちらが与えてやらなければいけない存在である。
「あんたなんちゅうもんを」と京極さんになりながら、恐る恐る子キャット様の世話をしていたのだが、そこで「猫はカワイイ」という大真理に改めて気づかされた。
しかし、こんなかわいい生き物が私の不手際一つで召されるかもしれないと思うと気が気でない。
一体これからどうなってしまうのか、と思った矢先、子キャット様は別の場所に移送され、現在もういない。
実は来た当初から「連休の間だけ預かる」と言われていたのだが、1日目には「この子は一生うちの子なんやで」という気持ちになっていたため3日目に「明日出立する」と言われた時は素で「ナンデ」と言ってしまった。
だがここで「この子は私が一生面倒を見ますがかまいませんね!」とフーゴになれない自分が不甲斐なくもあった。
子キャット様と過ごした3日は幸福であり、正直今すぐ再会したいが、同時に緊張感がありすぎたのも事実だ。
おキャット様をお迎えしたい欲は増したが、やはり今の自分のポケットにはでかすぎる気もする。
推しに向き合っていたはずが、気づくと自己と向き合って変な気持ちになっている、私は推し活に向いていないのかもしれない。
カレー沢薫の廃人日記 ~オタク沼地獄~
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