9月はどんなふうに神様とお付き合いしたらいいでしょう。現役の神職・桃虚が指南します。
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月見だんごは、お月様へのお供え。完全体としての満月にあやかる、仲秋の名月
秋といえば「仲秋の名月」。
月見だんごを連想する方も多いでしょう。月見だんごは、かならず木の台にのせられていますね。これは、三方【さんぼう】と呼ばれるもので、神様へのお供えものをのせる台です。
ということは、月見だんごはお供え物なのです。誰にお供えしているのかというと、「お月さま」です。
神社では、神様にお供えした食べものを下げてきていただくことは、「ご神威(しんい)をいただく」ことを意味します。平たく言うと、お供えした食べ物には、神様の威力がそなわっているので、それを体に取り込むという行為なのです。お祭りのあとの直会(なおらい)で、お供え物を下げてきてみんなでいただくことには、そういう意味があります。
いやあ、ご神威と言われると、すこしハードルが高いなあ。と思われる方も、いったんこちらを想像してみてください。
三方にのせられ、名月の月光を浴びただんごと、そうでないだんご。
正直、だんごの成分が変わるわけではないけれど、名月の月光を浴びただんごのほうが、なんかいい気がしませんか?
私は、この「なんかいい気がする」という感覚がとても大事な気がしています。
同様に、空の澄んだ秋に満月を眺める、ということも、「なんかすごくいい」気がしますよね。根拠はないけれど、なんだか自分の心身にいい作用をおよぼして、運が拓かれる感じがします。ただ眺めるだけなのに。
この感じをあえて言語化してみると、ちかいところで日本語には「あやかる」という言葉がありますよね。漢字で書くと「肖る」、肖像画の肖です。
辞書で調べてみると、「めでたいもの、幸福な人に似て自分も幸福に恵まれる、またはそうなるように願うこと」とあります。
「あやかる」の語源は「あや(形、模様)を借る」だと考えらえていますが、形や模様とは、視認するもの、つまり光ですよね。ある物体が反射している光が、目を通して、私たちの脳で形や模様として認識されているわけです。私は美術館に行くのが好きなのですが、絵や作品を見るということも、つまりはその物体が反射する光を、目を通して体に入れている感覚です。だから、美しいものを見ると、自分が美しくなる気がするのです。
そう考えると、「満月を見る」ということは、「円のかたちをした光」を見ている、摂取していることになりますよね。
円のかたちをした光。
いかにも、福徳のごりやくがありそう。と感じますよね。名月のように、しずかであかるく、まるく美しくなれる気がします。
神社の拝殿に、丸い鏡があるのをごらんになられたことがあるでしょうか。鏡そのものは、ご神体ではありません。ご神体は、本殿の御扉(みとびら)の中に鎮座されています。あの丸い鏡はとてもいろいろなことを示しているのですが、そのひとつは「鏡に映し出されるものすべて(自然界のあらゆるもの)は神であるということ」だと言われています。
また、仏教では「円」は空、風、火、地を含んだ世界全体を表し、悟りや真理の象徴であり、見た人の心を映し出すものでもある、とされています。
満月を見上げ、円のかたちをした光を見るということは、これらのことを体感し、「満ちた状態、完全体としての満月にあやかる」ということのように思われます。
月見だんごは、満月に似せた丸い形をしていますよね。満月を眺め、月見団子をお供えして、月光をあびた月見だんごをいただくことによっても、月の力をいただく。そんな意味があるように思うのです。
ああ。ここまではシンプルにまとまったのですが、そうはいかないのが季節のお話です。
私は大阪に引っ越してきて、「月見だんごが丸くない」ということに衝撃を受けました。関西の月見だんごは、楕円形をしていて、こしあんのお布団をかぶっているのです。
実はこれ、里芋のかたちを模しただんご、と言われています。秋に収穫した里芋をお供えした、古来の「十五夜」の名残りと言われています。里芋は、お米より前から食べられていて、縄文時代後期以前から日本に入っていたとされていますから、古くは芋と言えば里芋のこと。「仲秋の名月」は別名「芋名月」とも呼ばれますが、この芋は、里芋のこと。だんごの上にあんこをかぶせるのは、昭和に入ってから京都で考案されたそうです。
そもそもお月見は、秋の収穫を月に感謝するお祭りでした。すすきは稲の穂に見立てた、神様の依り代。依り代とは、神様が降りてくるもののことです。その他に、土地でとれた里芋、栗、豆などの収穫物をお供えしていたのです。
関西の月見だんごは、里芋に見立てただんごを月にお供えして収穫に感謝し、月の力をいただく、というもので、「見立てる」と「あやかる」の二段がまえになっているわけですね。
そこで、関西以外の月見だんごも調べてみました。
名古屋はしずくの形をした、ういろう素材で三色(白、桃、茶)。これも里芋の形を模したものだそうです。
静岡県の中・西部地方は、白い団子を平たくして中央をへこませた「へそもち」。
北南部と神奈川県はあんこの入った白丸だんご。
沖縄は、小判形もしくは俵形のもちに、ゆであずきがまぶしてある「ふちゃぎ」。
もはやだんごの域を越えたものもありますが、どの月見だんごも、その地域の方が「小さなころに家のみんなで作った」「おばあちゃんと一緒に作った」という思い出とともにブログなどで紹介されていて、見ているだけでたいへんほっこりします。
月見だんごは、お腹のなかにおさまって消えるけれど、家で季節の行事を楽しんだ記憶は私たちの脳に刻まれて、大人になってからふと思い出したり、傷ついた心を癒してくれたりしますよね。
食べ物には、成分表には上がってこない要素があります。形(光)、色、触感(手触り、歯触り、舌触り)、匂い。これらを、「時」と結びつけて、記憶という栄養にするのが、月見だんごのような「行事食」なのかもしれませんね。
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毎日がみるみる輝く!神様とあそぶ12カ月
「小さな一瞬一瞬の幸せを感じる」を毎日続けていけば、「一生幸せを感じ続ける」ということになる。――当たり前のことだが、これが、神社神職として日々、神様に季節の食べものをお供えしたり、境内の落ち葉を履いて清めたり、厄除開運の祈祷を行って参拝者さんとお話ししたりする中でたどり着いた、唯一、確実な開運法なのです。
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