近ごろ、ネットのおすすめに「イボの治し方」の記事が出てくる。今のところイボはないし、イボで検索したこともないのに。
という話を初老フレンズにしたら「私は首に老人性イボがたくさんあるよ!」と自慢された。イボ自慢よ~♪
「私は尿漏れパットを使い始めた」「フェスには介護用おむつがいいらしい」と盛り上がる彼女らとは、生理が始まった頃からの付き合いである。
初潮から初老まで友情が続いてラッキーだし、このまま墓場まで持続してほしい。
私は親ガチャはハズレだったけど、友情運には恵まれている。ポルナレフさんの気持ちがよくわかる。
愛猫ラーメンマンの介護中も友人たちが支えてくれた。関東に住むMちゃんには特にお世話になった。
「私は最近、血圧の薬を飲み始めました!」と元気はつらつに話す彼女は2歳年下の友人で、名医と評判の獣医さんだ。
関東の某所にある病院には全国から患者さんが訪れて、いつも忙しいのに「遠慮なくなんでも聞いてくださいね!」と言ってくれた。スーパードクターMちゃんの的確なアドバイスにものすごく救われた。
私自身の子宮全摘手術のときも実感したが、病院選びはめっちゃ大切。ラーメンマンの病院選びも紆余曲折あったが、それはまた書くとして。
地元神戸の公園を散歩していると、子どもよりトイプードルのほうが多いんじゃないかと思う。
2021年の調査によると、ペットの飼育数は犬710万頭、猫894万頭、子どもの出生数は84万人であり、ペットの数のほうが断然多い。
介護中は大体週イチで動物病院に通っていたが、待合室はいつも混んでいた。乳母車におむつ犬をのせたお年寄りがいっぱいいて「老々介護」の文字が浮かんだ。
48歳の吾輩は老人界ではまだまだ若輩者である。
ある日、待合室でよぼよぼのヨークシャテリアと目が合った。
「かわいいね」と微笑むと「もう18歳の年寄りですわ」と犬に負けないぐらいよぼよぼのおじいさんが返事をした。
「10年前に嫁さんが死んでこいつと二人暮らしで飲みにもいかれへん、どっちが先に死ぬか競争ですわ」という話を民生委員の気分で聞きながら「犬が先に死にますように」とつい思ってしまった。
もちろん見知らぬおじいさんにも長生きしてほしいが、おじいさんが先に死んでしまうと犬の行く末が心配だ。
犬を残して死んだらおじいさんも心残りで成仏できないんじゃないか、ていうか犬が死んだらおじいさんも寂しくて死んじゃうかもな……とか考えつつ「どうかお元気で」と微笑んだ。
人の心配している場合じゃねえわ。
私もラーメンマンが死んだら寂しくて死んじゃうかも、死ななくても鬱になるかも……と予想して「猫が死んだら寝込みますのでよろしくお願いします」と友人たちに宣言していた。
みんな「全力で慰めるから任せとけ」と言ってくれたが、死ぬのも鬱になるのもなるべく避けたい。そう思ってペットロスの予習に励んでいた。
もともと猫エッセイや犬エッセイが好きでいろいろと読んでいた。
愛猫や愛犬との別れの場面を読むたびにオイオイ泣いて、号泣する準備はできていたけど、やっぱり怖い。怖すぎる。
その怖さに慣れるため、よぼよぼになったラーメンマンを膝に乗せて、ペットロスに関する本や記事を読んでいた。
『ペットロス いつか来る「その日」のために』は、ペットロスの予習におすすめの一冊である。
ペットが死ぬ直前とかに読むとつらすぎて自律神経がハチャメチャになるので、まだ元気なうちに読んでおくのがいいと思う。
本書にはペットロス当事者のさまざまな体験談が載っている。
愛猫が亡くなった後におしっこの固まった砂を捨てられなかったとか、ブラッシングした抜け毛を保存して今でもにおいを嗅いでいるとか、共感しすぎて心臓が痛くなった……誰か救心をください!!
つか救心って今でもあるのかな、「きゅ~しんきゅうしん♪」ってCMは関西ローカルだったのかな。
救心はさておき、ラーメンマンの去勢手術した金玉も保存しといてピアスにすればよかった。この肉体がなくなるなんてやっぱり信じられないよ。
本書を読みながら涙が止まらなくて、ラーメンマンの頭の上にぽろぽろ落ちた。
ラーメンマンは膝に乗るのが大好きな猫で、大好きな夫がいる時はいつもその膝の上に乗っていた。
あるとき、カレーを食べていた夫がラーメンマンの頭にルーをこぼして「ラーメンマンがカレクックになってしまう!」と言った。
その言葉がおかしくて笑っていたら、ラーメンマンも笑っていた。ラーメンマンはいつも表情豊かで、瞳がキュルンキュルンに輝いていた。
我が家の会話の中心は猫で、猫のおかげで笑いが絶えなかった。
ラーメンマンがいなくなったらこの家はどうなってしまうんだろう。不在に耐えられず、私は飲んだくれてしまうんじゃないか……
怖い……怖いよ恵美子……!!
本書には上沼恵美子と壇蜜のインタビューも収録されている。二人とも好きなので親しみを込めて呼び捨てにする。
愛犬ベベ(フレンチブルドッグ)が亡くなる前の数年間、恵美子は長くやっていた番組が終了し、バッシングにもさらされて、人生におけるもっともつらい時期だったんだとか。
『それでもべべだけは、どんな時でも家で私を待ってくれていて、何があっても傍にいてくれた。どれだけ救われたかわかりません。
どんな辛いときでも、あの子を触っているだけで深呼吸できた。それが今はいないわけです。(略)私、何回撫でたかな、思うんですよ、この手は、あの子を……』
恵美子……!!!
私もつらいことがあった時、回復体位で寝込んでいるとラーメンマンがぴたっと添い寝してくれた。その体温やゴロゴロの振動が伝わってきて、つらさがスーッと抜けていくのを感じた。
猫がつらさを吸収しているのでは? と心配になったが、ラーメンマンは平気な様子であくびしていた。それを見ると大丈夫、何があっても平気やわと思えた。
『三年ぐらい前から「やがては先に逝ってしまうな」と考えることはありました。身体が震えましたね。「あ、あたし絶対に後を追うな」と思っていました。で、今年の四月、それが現実になったんです』
その日はテレビの収録が予定されていたが、プロデューサーに「とてもじゃないけど今日はできません」と連絡を入れたそうだ。
『例えば一曲歌いに来てくださいという仕事だったら行けたと思うんです。実際に母を亡くした当日もNHKホールで歌いましたから。古いですけど「親の死に目に会えない」っていう世界ですから、それはわかっているんです。
でもべべが亡くなった日に、自分が司会をやって二時間、面白いこと言って盛り上げないといけないとなると、これは無理。有難いことにプロデューサーは「お休みください」と言ってくださいました』
プロデューサーはそう言ってくれたが、「犬ごときで何を休んでるんだ!」と怒るファンもいたという。
フアン(←恵美子の言い方)ひどないか?
もし私が「猫ごときで」と言われたら「おまえごときがやかましわ!!」としばき回してしまう。
フアンはそれだけ私の喋りを楽しみにしてくれてる、と理解を示すえみちゃんめっちゃ優しいな。
『べべがいないなら、もう何もしたくないなって。あの日、私は、引退を考えました』
『包み隠さずにお話ししますが、お酒に溺れましたね』
えみちゃん、いっしょに飲もうよ! 梅田でも箕面でもいいよ!
世話も介護も大変だし、悲しい別れがやってくるとわかっているのに、なぜ人間はペットを飼うのか? という問いに対して、恵美子はこう答えている。
『そんな面倒の一〇〇倍も一〇〇〇倍も愛おしいからですよ。その子がいなければ、得られないものがいっぱいある、かけがえのない存在だからです』
ほんまそれ。
夫のことも愛しているけど、金玉をピアスにしようとは思わない。夫が死んでもなんとか生きていけると思うけど、猫がいないと生きていけない、というか生きていこうと思えない。
もしいま大地震が起こったら、モノや金は失ってもいい、猫たちさえ生きていてくれればいいと思うだろう。
やる気も根気も五木のセレットもない私は「べつに死んでもいっか」と諦めがちだけど、猫がいれば「この子たちを残して死ねない、生きねば」とふんばるだろう。
原発事故でペットを残して避難しなきゃいけなかった人たちは、どれだけつらかったか。体の一部をもがれるような痛みだっただろう。
かけがえのない存在がいることは、幸せで怖いことだ。喜びも増えるし痛みも増える。
愛猫クインシー(スフィンクス)を亡くした壇蜜のインタビューも痛みに満ちていた。
まだ9歳だったクインシーが体調を崩し、リンパ腫(がん)に侵されていることが判明した後は、病院に通って点滴を受ける日々だったそうだ。
食欲が衰えたクインシーにごはんを食べさせるのは「彼女の意思じゃないのが辛かった」と振り返る。
最期は栄養食を注射器で飲ませた直後に容態が急変し、病院に駆け付けたが助からなかった。
『注射器で無理矢理詰め込んだような栄養食を、ゆるやかに少し吐き戻すようにして死んでいった姿が忘れられないんですよね』
クインシーが亡くなる2年前、彼女は最愛の祖母を亡くしたそうだ。
祖母も最期は食べられなくなり、家族が何とか食べてほしいと病室に食べ物を持っていくと「もう食べろって言わないで」と訴えたという。
『クインシーと祖母の最期がオーバーラップしてしまって……やっぱりトラウマなんです。祖母とクインシーが最期にできなかったこと(食べること)を今、私ができていないんだろうと思います』
彼女は摂食障害になり、体重は三〇キロ台にまで減ってしまった。
『眠れない、食べられない、無理に食べても戻しちゃう。(クインシーを助けられずに)申し訳ない気持ちとか、自己嫌悪みたいなものを、自分の中で浄化するためのルーティンが自分を痛めつけることになっちゃう、という流れなんだと思うんです』
わかる、なんて安易に言っちゃいけないけど、わかるよ壇蜜……!!!
愛するものが苦しむ姿を見るのは一番つらいし、記憶に焼きついて離れなくなる。助けられなかった、苦しめてしまったと自分を責めて罪悪感や後悔に苦しむ。
ペットロスに苦しむ彼女をパートナーや事務所のスタッフは親身に支えてくれた。にもかかわらず、勝手な憶測にさらに苦しめられた。
「ペットロスも辛いんですけど、私がこういう姿になって『やっぱり結婚が失敗だった』『事務所は何やってる』とか根も葉もない噂が立つのが辛い。みんなにこんなによくしてもらっているのに配偶者も身内も傷つけて」
勝手なこと書くなよマスコミ!! あと激痩せだのなんだの見た目のこと言うのもやめんかい。
インタビューを読んで恵美子と壇蜜に手紙を書こうと思ったけど、猫介護と仕事でてんやわんやで書けなかった。なのでこの場を借りてお礼を言いたい。
その節はありがとうございました。おふたりの言葉が心の支えになりました。
そのときの私は恵美子と壇蜜をハグするかわりに、膝の上のラーメンマンを抱きしめた。
ラーメンマンはもう体に力が入らなくてふにゃふにゃで、うつろな目をして表情もぼんやりしている。
かわいい。
めっちゃかわいい。
こんなかわいい子ともうすぐお別れなんて悲しすぎる。でもこれは正当な悲しみだ。
介護中「これは正当な悲しみだ」と何度も自分に言い聞かせた。
ネットで誹謗中傷されたとか、差別やハラスメントを受けたとか、信用する人に裏切られたとか、そういう理不尽な悲しみとは違う。
忍者のように飛び跳ねていた子猫が年をとり衰えていき、やがてベッドに乗れなくなり、ソファに乗れなくなり、最後はトイレの段差も越えられなくなる。
世界で一番大好きな存在が老いて弱って死んでいく、それは感じるしかない悲しみだ。
だから乗り越えなくていい、ただ悲しめばいい。悲しめるだけ悲しみ続けよう、この悲しみを抱えて生きていこう、そう思った。
この世界で老いと死だけは平等だ。すべての生き物は老いて死ぬ。そして生き物の基本は、食べて出すことである。
それを実感する介護の日々だった。次回はごはんとうんこの話を書きます!
アルテイシアの初老入門の記事をもっと読む
アルテイシアの初老入門
大人気連載「アルテイシアの熟女入門」がこのたびリニューアル!いよいよ人生後半になってきた著者が初老のあれこれを綴ります。
- バックナンバー