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奈良監獄から脱獄せよ

2023.10.31 公開 ポスト

四-2 羽嶋の教育から解放されて訪れた、久しぶりの静謐。和泉桂

時は大正。舞台は日本で最も美しい監獄。言われのない罪で監獄に投獄された数学教師と印刷工が、頭脳と胆力で脱獄を目指すバディ小説、『奈良監獄から脱獄せよ』の、試し読みをお届けします。

(1話目から読む方はこちらから)

*   *   *

仕上げの作業を始めて、三十分ほど経っただろうか。

「これでどうですか?」

羽嶋から手渡されたものを再び検品し、僕は頷いた。初めての作品なので一流とはいかないが、それなりに値段はつくだろう。少なくとも、はねものにはならない水準だ。

「うん、いいよ。まずは一本完成だな」

「やっぱり、教え方上手いですね」

「褒めなくていいから、次だ。本数をこなしたほうが成績が上がる」

「はい!」

嬉しげに目を細め、羽嶋が自分の作り上げた羽織紐を撫でる。

それから彼は「よし」と言うと、糸束を手に取った。

しばらく作業に没頭していた僕が再び彼の手許を見ると、羽嶋は比較的順調に組み玉を作り始めていた。これなら、もう教えることはなさそうだ。

久しぶりの静謐が僕には心地よく、同時に、少し物足りなかった。

昼食の時間になり、僕は自分の麦飯と味噌汁を受け取った。隣の席には、やはり、羽嶋が座っている。

「喫食!」

合図とともに食事を始めた僕は、相変わらず豪快に味噌汁を呷る羽嶋に目を向けた。

毎日毎日、彼はこの調子で味噌汁を一滴残らず飲み干すのだ。

指導が最後であれば、一緒に食事を摂とる機会もなくなるから、ここは一度聞いてみたい。

「……あのさ」

「はい?」

「砂、平気なのか?」

「砂?」

羽嶋はまったく気に留めていない様子で首を傾げた。

「砂だよ。お椀の底に溜まってるだろう。食べてて気づかないのか?」

「あ、えっと、ええ。じゃりじゃりしてますね。これ、砂だったのか」

怪訝そうな素振りのまま彼はもぐもぐと口を動かし、ごくりと飲み込んでから口を開いた。

「慣れてるんで。まあ、いずれ身からだ体からも出ていくし」

やはり、異物が入っていることは認識していたようだ。それでも平気だという言葉に、僕は愕然とする。

「慣れていても、腹を壊すだろう。周りも心配する」

「周りって?」

慣用表現だったが、確かに、同じ雑居房の囚人が羽嶋を案ずるかは疑問だった。

「その……君のご家族だ。病気になれば連絡がいく」

「そんなの、いませんよ。それに、生まれつきどこもかしこも丈夫なんで」

「そうか」

世間話のようにごまかそうとして、かえって踏み込んだことを聞く羽目になってしまった。

だとしたら、このあいだ面会に来ていたのは誰なのだろう?

「君は、もっと自分を大切にすべきだ」

「え」

羽嶋はきょとんとして、まじまじと僕を見つめる。

「どうして?」

「どうしてって……せっかく生きているのに。こんなところで病気になって、早死にするのも悔しいじゃないか」

「どうせ、無期だし。早死にしたっていいですよ」

それについては気安く相槌を打てず、僕は困ってしまって視線を落とした。こういうときの上手い言葉を考えるのは、僕には不得手な課題だ。

「ありがとうございます」

出し抜けに羽嶋が礼を告げたので、僕は顔を上げる。

「……なに?」

「気にかけてもらえて、嬉しいです」

「違う。これは……ただの野次馬根性だ」

「でも、嬉しいですよ」

にこにこと笑う羽嶋が不気味で、僕は「わからないな」とぼやいた。

「わからなくて、いいです。俺が勝手に嬉しいだけだから」

本当に、意味がわからない。

羽嶋はいったい、どういう人間なんだろう?

終身刑なのだから、大きな罪を犯したのは間違いがない。そのうちに噂は回ってくるかもしれないが、僕はいつしか彼の罪状に興味を覚えていた。

羽嶋はどんな鮮やかな焔を燃やし、ここまでやって来たのか。

──だめだ。

僕にだってささやかな好奇心はあるが、ここで発揮するのは禁物だ。山岸のように下手に懐かれても困るし、逆に嫌われて厄介ごとの種になるのもまずい。

いずれにしても、羽嶋との師弟関係も今日でおしまいだ。

明日からはまた静かな日々が戻ってくる。それが待ち遠しかった。

監獄の地下に向かう階段は一段一段が狭く、一人しか通れないようになっている。左右の壁が迫って圧迫感があり、体格のいい人間は難儀するだろう。人が殺到したら将棋倒しになるようなこうした構造も、脱獄や暴動対策に違いなかった。

「ふう……」

辿り着いた先は半地下で、昼間なのに薄暗い。特にこの時期は陽射しが届かないせいで一際寒く、構造的にも半分は外なので、吐き出す息が真っ白だ。

ここには主に水回りが配され、広々とした炊事場と洗濯場、囚人が交代で使う浴場などがあった。壁は独房と同じで煉瓦の上から漆喰が塗られているが、ところどころ剥げてしまっている。

本来ならば日中は作業に従事しているはずなのに、僕がこんなところにいるのは理由がある。

朝一でやって来た看守に、工場に行かずに掃除夫代理を務めるようにと伝えられたのだ。

監獄でも冬から春にかけて断続的に風邪が流行し、今回は炊事夫と掃除夫が集団で感染したそうだ。

彼らがいないと囚人の生活が成り立たないので、急遽、何人か補充することになり、僕が選ばれたのだ。

羽嶋の指導が終わったばかりで、やっと自分の作業に集中できると思ったのだが、拒否する権利はないので致し方ない。

「あれっ、弓削さん」

薄暗い地下空間の入り口で僕を呼び止めたのは、目を丸くした羽嶋だった。

次の瞬間、彼の顔がぱっと輝いた。

「どうしてここに?」

「風邪が流行ってるから、掃除夫が足りないって」

「おい、421号」

見慣れない看守が近づいてきて、僕を見てにやにやと笑いを浮かべる。

「センセイなんだから、きちっと指導してやれよ。せっかくおまえの生徒にも声をかけてやったんだからな」

揶揄の入り混じった言葉に、ほかの掃除夫から低い笑いが漏れる。そんな中で、羽嶋だけが神妙な面持ちだった。

関連書籍

和泉桂『奈良監獄から脱獄せよ』

数学教師の弓削は冤罪で捕まり、日本初の西洋式監獄である奈良監獄に収監されていた。ある日、殺人と放火の罪で無期懲役刑となった印刷工の羽嶋が収監される。羽嶋も自分と同じく冤罪だったことを知った弓削は、彼とともに脱獄をたくらむ。典獄からの嫌がらせ。看守の暴力で亡くなった友人。奈良監獄を作った先輩からの期待。嵐の夜、ついに脱獄を実行する――。 人気BL作家が描く、究極の友情。

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