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キリスト教の100聖人

2023.10.04 公開 ツイート

聖母マリアの母と父 アンナとヨアキム 島田裕巳

イエスの母と父である聖母マリアとヨセフは謎の多い夫婦だったが、聖母マリアの父母つまりイエスの祖母と祖父は、さらに聖書に記述の少ない謎だらけの夫婦だった。

※この記事は島田裕巳『キリスト教の100聖人』(幻冬舎新書)から抜粋・編集したものです。

*   *   *

聖母マリアの母アンナが妊婦や子供のいない夫婦の守護聖人となった理由

聖母マリアの母とされるのがアンナである。ところが、福音書のどこを見ても、アンナについての記述を見つけることはできない。夫であるヨセフについては、ダビデ王からの系譜が示されているものの、マリアの生まれについては、まったく語られていないのだ。その点では、アンナが崇敬の対象とされる余地はどこにもないはずだ。

福音書がどのような形で成立したかについては、聖書学において詳しく研究されており、最初の「マルコ」は紀元70年頃の成立とされる。その後、80年頃に「マタイ」が、90年頃に「ルカ」が、そして100年頃に「ヨハネ」が成立した。ただ、これが正典として定められるのは2世紀半ばになってからである。

その間に、正典とはならなかった福音書がいくつか生まれた。それは「がいてんふくいんしよ」と呼ばれる。そのなかには、「ヤコブ原福音書」「トマスによるイエスの幼時物語」「ペテロ福音書」などが含まれるが、アンナが登場するのが「ヤコブ」で、3世紀頃に成立した。「ヤコブ」の主人公はイエスではなくマリアで、マリアの伝記ともなっている。

聖アンナ教会

それは、マリアの誕生からはじまり、マリアの神殿へのほうけん、ヨセフとの出会い、イエスの出産とその後が語られていく。アンナはその最初の部分に登場するが、夫はヨアキムとされる。二人は信心深い夫婦だったが、長い間子どもを授かれなかった。それを悲しんだヨアキムは、荒野で40日間断食し、子どもを授かれれば、必ず神に捧げると誓う。この話が創世記のアブラハムの話をもとにしていることは明らかだ。アブラハムも高齢でようやく子を授かり、神の命じるところに従って生まれた子を犠牲にしようとした。

マリアを授かったことに感謝するため、二人は、3歳になったマリアをエルサレムの神殿に献じ、彼女は成人するまでそこで養われた。それはマリアを神聖視することに結びつくが、マリア崇敬が高まりを見せるようになると、アンナもマリアをしよじよかいたいしたという伝承が生まれる。キリスト教では「原罪」の教義が確立されるが、マリアはアンナの胎内に宿ったときから原罪を免れていたとする「げんざいの御宿り」の教義が生まれ、1854年には正式に認められた。そのマリアを宿したアンナは、妊婦や子どものいない夫婦の守護聖人となっている。

一応ヨアヒムとされるが、じつは誰がイエスの祖父かはっきりしない

ヨアキムは聖母マリアの父であり、妻はアンナである。したがって、イエスの祖父にあたる。ただ、これは外典の「ヤコブ原福音書」によるもので、「マタイ」の冒頭にあるイエスに至る系図ではヤコブとあり、「ルカ」の系図ではエリとある。どちらの系図でもそれ以外に列挙された人物はかなり異なっている。

このじゆんについて、これまで二つの解決法が示されてきた。

一つは、「マタイ」の系図をイエスの養父ヨセフの方のものととらえ、「ルカ」の系図をマリアの方のものとしてとらえるものである。ただ、「ルカ」にはマリアの名が登場するわけではなく、エリの子がヨセフとされ、「マタイ」の場合と変わらない。むしろ、「マタイ」にマリアの名が登場する。ただ、「マタイ」にしても、ヤコブがマリアの夫ヨセフをもうけたとされるだけである。

もう一つは、古代から多くの社会で見られた「レビラトこん」によるとするものである。レビラト婚では、夫が死亡した際、となった妻は夫の兄弟と再婚する。最初の結婚によって生まれた二つの親族集団の関係を継続させるためである。ユダヤの社会では、レビラト婚が律法によって定められていた。ただ、「マタイ」にも「ルカ」にも、それを思わせる記述があるわけではない。

共観福音書の成立については、研究の結果、「マルコ」ともう一つ「Q資料」と呼ばれるものがあり、「マタイ」と「ルカ」はこの二つをもとに生まれたとされている。複数の伝承があったわけで、イエスの祖父の名が定まらないのも、そのためと考えられる。

ヨアキムとアンナについて重要なことは、二人についての伝承が、とくに正教会で早くから伝統になってきたことである。ヨアキムとアンナは、「神の祖父母」として、「せいたいれい(カトリックのミサにあたる)」といった正教会の重要なとうの終結部でその名があげられる。これを正教会では「記憶」と表現する。

ヨアキムは、アンナとともにマリアを神殿に奉献したわけだが、正教会では、マリアが誕生したことを祝う「しようしんじよたんじようさい」とともに、「しようしんじよしん殿でんさい」が「じゆうたいさい」の一つに定められている。十二大祭には、受胎告知を記憶する「しようしんじよふくいんさい」や死を記憶する「しようしんじよしゆうしんさい」も含まれ、マリア崇敬が正教会でいかに重要かが分かる。

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続きは幻冬舎新書『キリスト教の100聖人 人名でわかる歴史と教え』でお楽しみください。

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島田裕巳『キリスト教の100聖人 人名でわかる歴史と教え』

宗教では聖人と呼ばれ崇められる人物がいる。キリスト教の信仰世界では、〈神と神の子イエス〉はその絶対性ゆえに一般の信者からは遠い存在であるため、両者の間で、信者の悩みや問題を解決する存在として聖者が浮上する。本書では、聖者たちを、イエスの家族と関係者、12人の弟子、福音書の作者、殉教者、布教や拡大に尽力した者、有力な神学者や修道士、宗教改革者など8つのパートに分けて列伝化した。数多の聞き覚えのある名前を手がかりに、歴史だけでなく教義や宗派の秘密まで教えてくれる画期的な一冊。

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島田裕巳 作家、宗教学者

1953年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著作に『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『靖国神社』『八紘一宇』『もう親を捨てるしかない』『葬式格差』『二十二社』(すべて幻冬舎新書)、『世界はこのままイスラーム化するのか』(中田考氏との共著、幻冬舎新書)等がある。

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