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人生はあきらめるとうまくいく

2023.05.11 公開 ツイート

「幸福」だけを見つめるには ひろさちや

がんばるのは悪、あきらめるのは善、「もっと」をやめよう——。過去を追わず、未来を願わず、今この瞬間の幸せを堪能できるヒントが詰まった『人生はあきらめるとうまくいく』(ひろさちや著、2012年刊)。静かに読み続けられている本書から、試し読みを抜粋してお届けします。

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手段を目的化しない

「しっかりあきらめる」ことができれば、がんばることもなくなるし、負け惜しみを言うこともなくなります。ただし「しっかりあきらめる」のも実際にはなかなか難しい。手に入れるもの、手に入るものを正しく見つめて、評価しないといけないからです。私たちはつい、目的のために何かをおこなっている最中に、行為や手段が目的と入れ替わったり、まざったりしてしまうのです。

たとえばイソップ物語のキツネが「すっぱいぶどう」と言ったとき、キツネが何回もジャンプした努力を評価してしまうと、負け惜しみになります。そうではなく、「すっぱいぶどう」とは、最終的に手に入れたいぶどうに対する評価でなければなりません。みなさんそれが、途中でわからなくなるのです。

目的物がすっぱければ、ジャンプすること自体、無駄になります。にもかかわらず、それを忘れて、すっぱかろうとなんであろうと手に入れないといけないと思ってしまう。その努力に酔いしれ、やがて疲れきったときに、投げやりになり、負け惜しみを言ってしまうのです。

行為や手段にしか目が行かなくなっていたら要注意です。得られるものと、行為・手段とを、掛け算割り算して、得られるもの、あるいは、得たいものの正しい姿を評価しないといけません。

欲しいのはおいしいぶどうです。ぶどうを見てください。そしてぶどうが、うまいかうまくないか、すっぱい可能性はどのくらいあるのか、あきらかにする必要があります。最初からおいしいぶどうだと決め込んで、得たいと思う。それが間違いの元です。

(写真:iStock.com/Mihaela Rosu)

誰もがみんな幸福になりたいでしょう。しかし、得られるものは不幸かもしれない。社長になって、幸福になりたい。幸福になりたいと思って社長になる。にもかかわらず、幸福自体を忘れて「社長になる」ことが目的化してしまうのです。

手段が目的化したあとは、なかなか達成できないと絶望感で投げやりになってしまう。「どうせ俺なんか」という負け惜しみにたどり着くのです。絶望感でいっぱいだ、などと言いますが、多くはこれだと思います。

長生きは幸せか?

たとえば「出世」をあきらめるということは、断念する、ということを意味します。でも、そこで終わってはいけません。大切な「あきらめ」は、目的をあきらかにすること。「出世」を断念しても、「幸せになりたい」という目的は頭に置いておきます。それまで断念してはいけないのです。

福島から避難してきた男の子が「どうせ僕たち死んじゃうんだ」と言ったという話をしましたね。仏教的に言えば、誰もがいずれ死ぬのです。でも死ぬまでのあいだ、幸せに生きればいい。

つい投げやりになったり、負け惜しみを言いたくなってしまうのは、長生きすることが幸せだと間違って捉えているからです。

長生きは手段です。長生きすることで不幸になることだってたくさんあります。親は子どもに病気をさせず、長く健康に生きて欲しいと願う。それは当然の親心というものです。

でも仏教ではその親心すら否定します。長生きさせたいと思った途端に、間違いが起こる。長生きさせるにはどうしたらいいかと、親はついつい考えはじめるでしょう。

長生きさせるのではなく「この子を幸せにするにはどうしたらいいか」をしっかりあきらかにすればいい。たとえ命短く終わるようなことがあったとしても、命短く終わらせる。それによって得られる幸せを、しっかり大事にする。これが親のつとめです。

日本人は、あきらめる生き方ではなく、がんばる生き方しか教わってこなかったのです。困難に直面すると、いつもがんばりによってなんとかしようとする。がんばれば幸せになれると思っている。でも、がんばればがんばるほど、不幸になっていきます。その結果が今の時代です。今回の震災によって起こったさまざまな出来事は「がんばる」生き方の結果の一つかもしれません。

真理に気づく瞬間を待つ

がんばる生き方でずっとやってきた人が、あきらめる生き方に急に方向転換するのは難しいものです。でも、あきらめる対象をしっかり考えていくと、ふと吹っ切れるように真理に気づく瞬間が訪れます。

私はもともとカラオケが大嫌い。カラオケに行くと、他人が音痴にまで歌わせようとするでしょう。あれが嫌で、いつも「音痴だから歌えません」と固辞していました。

あるとき、「待てよ……」と思いました。「私を音痴にさせたのは私でも親でもない。ほとけ様だろう。ほとけ様の采配で私を音痴にさせてくださった。だとしたら、別に音痴が歌ったって悪いことなどないではないか」

歌いたいときには歌えばいい。聞いている奴が困ればいい。ここで開眼しました。行きつけのクラブのママさんなんて、私が歌いはじめると困ってしまう。ほめようがないからです。「ひろさんの歌は味がある」なんて言います。

自分がカラオケで歌うようになって、気づいたことがあります。カラオケがうまいと言われていた人たちは、うまいわけではなかったということです。あれは全員サル真似です。三橋美智也の真似、美空ひばりの真似。その点、私は独創的に歌います。どの歌を歌ってもオリジナリティが出ます。うまくなる必要はありません。音痴は音痴なりに、練習などせず、歌うことを楽しめばいいのです。

ただ、今は私にも少しだけ悩みがあります。歌っているうちにだんだんうまくなってしまったようなのです。音痴が少々うまくなると、今度はありきたりの下手になる。今まではオリジナリティのある音痴だったのに、単なる下手くそ。困ったなぁ、もう一度元に戻そうかな、と思うのですが、戻れませんね。

関連書籍

ひろさちや『人生はあきらめるとうまくいく』

「がんばろう日本」「絶対にあきらめない」……。そう言って日本はここまできたけれど、震災後、どう生きたらいいのかわからない。 どうやったら幸せな人生を送れるのか?充実した人生を送れるのか?長生きは幸せ? 欲望を追いかけるがんばりは、あなたを不幸にしてしまう。人生に意味を求めず、あきらめてこそ、本当の幸福が手に入る。 お釈迦様の教えに基づいた、驚きの不安解消法!

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人生はあきらめるとうまくいく

人生に意味を求めず、あきらめてこそ、本当の幸福が手に入る。 お釈迦様の教えに基づいた、驚きの不安解消法!

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ひろさちや

1936年大阪府生まれ。宗教評論家。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。気象大学校教授を経て、大正大学客員教授。「仏教原理主義者」を名乗り、本来の仏教を伝えるべく執筆、講演活動を中心に活躍。また、仏教以外の宗教もわかりやすく語り、人気を博している。ペンネームの「ひろ さちや」は、ギリシア語で「愛する」を意味する「フィロ」と、サンスクリット語で「真理」を意味する「サティヤ」から。『魂は千の風になりますか?』『知識ゼロからの般若心経入門』『知識ゼロからの禅入門』(幻冬舎)など著書多数。2022年逝去。

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