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2023.03.23 公開 ツイート

化粧は自分を裸にし、失われた本能を取り戻す行為 - ヴィヴィアン佐藤〔PR〕 幻冬舎plus編集部

人は、なぜ化粧するのか――? 2022年12月23日にオープンしたYouTube【I HOPE.】chでは、化粧する姿、化粧を語る言葉を通じて、化粧の持つ新しい可能性を探る試みを始めました。第1回の登場者は、アーティストで映画評論家のヴィヴィアン佐藤さん。YouTube未収録分も含めた、インタビュー全編をお届けします。

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こうとしか生きられない自分を化粧に託す

――初めて化粧をしたのはいつですか。

ヴィヴィ 幼少の頃、まだ小学校に上がる前、お母さんの口紅などを借りてちょっとやってみたことがありました。人形遊びが好きだったのですが、市販の人形は初めからメイクがプリントされている場合が多いんですね。それを見て自分の顔と比べたり、いろんな想像をしたりしておりました。

 

――初めて化粧をして外へ出掛けたのは。

ヴィヴィ 高校生ぐらいの時でしょうか。お化粧というか、口紅くらい。最初は後ろめたい気持ち、背徳感があったような気がしますね。今はもう微塵もないですけども。

 

――「後ろめたさ」というのは、「化粧はするべきではない」といった気持ちでしょうか。

ヴィヴィ 「やっちゃいけない」という気持ちはあんまりなかった気がします。「背徳感」というのは何て言うのかしら、デカダンスみたいなものに憧れてたようなところもあったので、どちらかというと新しい服を着て出かける時のような、わくわく感と期待感とちょっとドキドキ感みたいな、そんなものが入り交じってたと思います。中学校から高校にかけて、ニューウェーブやニューロマンティックが流行っていたので、世の中もお化粧することにそんなに抵抗がなかったと私は思っています。

―― 今の化粧に行き着くまでの経緯を教えてください。

ヴィヴィ 最初に本格的にお化粧をしたのは、ゲイバーやショップで働きだした時。そこでお化粧を教えてくれたママさんが非常に特殊な方で、ニューハーフが流行ってた時期だったんですけども、女性らしいこと、女性に見えるようなこと、万人が見て美しいと思うようなこと、そういったものを真っ向から否定する方で、なるべく中心からずれて、自分だけの価値観や美意識といったものを表に出すことを推奨してくれたんですね。

 例えば、アイラインもかわいく女性らしく見せるのではなくて、どぎつく周囲の目を引く。そういったことを教えられました。それがだんだん発展していって、今のようなメイクになっていきました。

 

――中心から外れる化粧に何か感じるものがあったということですか。

ヴィヴィ そうですね。でも、ただ中心から外れればいいというわけではなく、自分の美意識や哲学が表に出るような、そういったことを突き詰めていってこの形になっていきました。

 

――「美しさ」とはどういうものだと考えますか。

ヴィヴィ 万人が認めるようなものではなくてもいいと思うんですね。自分の哲学、自分が信じていることを表すもの。それがお化粧という最も身体に近いところの表現方法なのだと思っております。

 

――化粧している時の自分と、していない時の自分はどのように違いますか。あるいは、どう同じですか。

ヴィヴィ 私、実は現代美術の作家でもあるんですけれども、心理テストや精神分析で使うロールシャッハ・テストのような作品をたくさん作っております。インクを垂らした紙を半分に折ってできる左右対称の絵です。美術の言葉で言うと「デカルコマニー」といって偶然できるものなんですけれども、反対側に写った被写体は鏡像関係になって、オリジナルと複製画が同時に存在しているんですね。私はそれが世界最古の複製技術だと思っていて、ドッペルゲンガーみたいなイメージにもなってます。

 お化粧も同じで、お化粧してる自分もいるし、お化粧してない自分も同居している。お化粧してない時でもお化粧してる自分もそこに常に同居している。そのようにふたつでひとつ、必ず両方とも共存してる。そのようなイメージがあります。それが振り子のように振幅が激しければ激しいほど釣り合いが取れる。そのような感じだと思ってます。

――面白い考え方です。それはオリジナルも複製もない、どちらがいい・悪いということではないということでしょうか。

ヴィヴィ はい、どちらかがオリジナルではないということですね。“お化粧してる自分”と“してない自分”も釣り合いが取れて両方存在しているという感じなんですけれども、どちらかひとつだけでは存在し得ないと思ってます。

――「化粧をする」という行為にはどのような意味がありますか。

ヴィヴィ お化粧や着飾ることは、よく「自分ではない何かに変身すること」と思われてます。例えば、渋谷のハロウィンなんかでも若者たちは、「自分じゃないものになれる、普段じゃないものになれる、非日常になれる、だから楽しい」、そのように思ってますけども、私はそうではなく、お化粧をすればするほどどんどん裸になっていく、そぎ落としていくという考え方です。最終的にはもう全裸になってしまって、もっと突き進むと、自分の皮膚を完全に裏返しにするような、そのような露出することがお化粧だと思っております。

 着飾ることも同じで、激しい格好、目立つような格好をすることが目的ではなくて、内面にある精神性や気持ち、そういったものがほんの少しだけせり出したことが着飾ることなのかなと思ってます。なので着飾ることもお化粧することもどんどん裸になっていくことだと思っております。

 フランスの詩人のボードレールは、お化粧は自然の美を模倣するものではなく完全に人工的なものである。また、シミなどを隠したり若さを競い合うものでもない。人間が美に仕えざるを得ないことを証明するものがお化粧である、といったことを言ってるわけですけども、私もそのように思っております。

 

――着飾りながらも裸になったヴィヴィアンさんは、街中で注目されるのではないかと思うのですが、見られることをどう受け止めていますか。

ヴィヴィ 昔はよく声をかけられたりしましたけれども、今はもう他人はほとんど気にしていないというか、石ころ以下に思ってます。新幹線や飛行機もお化粧したまんま乗っていきますし。他人がどう見ようと、どう思おうともうほとんど気にしないようになってしまいました。

 

――化粧をすることで見えてくる世界はどんな世界か教えてください。

ヴィヴィ お化粧すること、もしくは着飾ること、特にヘッドドレスなんですけれども、そのことによって普段気付かないこと、普段見えないことが見えるようになることがあります。アンテナや網のような役割があって、普段感じないものをキャッチするのかなと思っております。

 例えば映画を見る時も、お化粧して見る時とお化粧しないで見る時と見え方が変わってきます。視野が広がるということではなく、視野が変わる。見える角度は一緒でも見える方向性が変わっていくように思っております。

 

――化粧を始める前は、どんなことを考えていますか。

ヴィヴィ 精神統一って言うんでしょうかね。普段考えないようなこと、大袈裟なことを言うと政治のこととか世界情勢のこととか、そういったことをふと思い出したり、会っていない人のことを思い出したり、普段思考しないようなことを考える傾向にありますね。

 

――化粧の好きなところはどういうところですか。

ヴィヴィ 気が進まない会合であったり、イベントであったり、そういった気が重い時はお化粧をするのが大変ですけれども、お化粧することで自分を奮い立たせていく効果もあると思ってます。

「フィフス・エレメント」というSF映画には未来のお化粧の仕方が出てきます。シャネルであったり、ディオールであったり、そのようなデザイナーのお化粧が数秒でできる未来のお化粧装置が出てくるわけですけれども、当時「ヴィヴィアンもああいう機械があったら、イベントやパーティーや打ち合わせに遅刻しなくて済むんじゃないの」と言われたりもしました。しかし、私はそうとは思わなくて、お化粧に20分や30分、時間をかけることは、この顔になることではなくて、自分の脳が変わるのに20分や30分かかるのかなと思っております。

 例えば、今はワープロやパソコンが発達していて、原稿を書く時もワープロ、デザインやグラフィックもPhotoshopやIllustratorを使うことで「作業が速くなって能率的になった」と思っている人が多いと思います。しかし私はそうは思わなくて、原稿を書く時も実はマス目を埋める時と同じ時間を要しているのではないか。デザインをする時も色鉛筆や絵の具で描いたり塗ったりするのとほぼ同じ時間がパソコン上でも費やされているのではないかと思ってます。

 というのは、カットアンドペーストは速くなっているけれども、推敲したりデザインを考えたりする時間は、以前手で作業をしていた時とほとんど変わらないと思ってるんですね。要するに、手を使う時間と脳が変わっていく時間がほとんど同じなのかなと思うわけです。

 なので、自分の手を使ってお化粧をする時間。その時間が自分の脳内が変わる時間とほぼ同じなのかなと思っております。この形になることではなく、儀式のように脳内が変わる時間として20分や30分必要なのかなと思っております。

 

――逆に、化粧の嫌いなところはありますか。

ヴィヴィ お化粧をする時よりも落とす時の方がエネルギーがいることが多いんですね。なので、お化粧を落とす時に面倒くさいと思ったりもします。

 

――もし「化粧をしてはいけません」と言われたらどう思いますか。

ヴィヴィ 「どこまでが化粧なのか」みたいな屁理屈を言うと思いますね。お化粧は嗜好品みたいなもので、食事の後にコーヒーやスイーツをいただくようなこと。それがないと死ぬわけではないですよね。けれどもコーヒーとかスイーツがないと、どうも完成しない、居心地が悪い、そのようなものなのかなと思っております。

 もしお化粧をしなくなったら、先ほど言った振り子のようなもので、すっぴんの方がちょっとお化粧してる方に近づいていくのかなとも思っております。

 

――人間の歴史の中で化粧は古くからある行為ですが、人はなぜ化粧をするようになったと思われますか。

ヴィヴィ お化粧だけではなく、入れ墨や皮膚を傷つけて盛り上げさせるようなスカリフィケーションもそうだと思いますし、あらゆるアート、建築、絵画、彫刻、それは空間のアートですけれども、他に音楽、それから歌、ダンス、これは時間のアートと言われてますけれども、すべてですね、お化粧品もお化粧をするという行為も含めてアートと考えると、アートは呪術的なもの、古代にあるような、まじないであったり、もともとは何かそういった機能、役割があったはずなんですね。

 例えば、入れ墨は見えないものであったり、自然であったり、人間以外のもの、もしくは過去や未来のようなもの、そういったものと対峙をしたり、コミュニケーションを取るようなものであったはずなんですね。今、呪術的なものがほとんど信じられないような世の中になりつつあって、そういった世界で何かしら「皮膚に入れ墨を施したい」という欲求が多少残っていて、それがタトゥーという文化になってるのかな。

 お化粧ももともとは呪術的な意味があったけれども、そういったことが失われつつある、信じられなくなる現代社会で、残された本能みたいなものがほんの少しあって、それを満たすためにお化粧してるのかなと思ってます。

 なので「お化粧」も「アート」も暫定的な言い方、暫定的なあり方なのかなっていうふうに思ったりもしています。

 

――歴史の中では男性も女性も化粧をしていたわけですが、現代は「化粧は女性がするもので、男性はしないもの」となったことに対してお考えを聞かせてください。

ヴィヴィ そういうのはもう本当にバカげた話で。例えば子どものおもちゃが男の子用はブルーで、女の子用はピンクみたいな取り決めがあるようですけれども、18世紀、19世紀のヨーロッパでは赤は男性的な色で勇ましいと軍隊の制服であったりもしたわけなので、「お化粧は女性がすること」と決めるのは、非常に今だけの話なのかなと思ってます。そういったことに引っ張られたりこだわることがちょっともったいないなと思ってます。

 

――これからやってみたい化粧はありますか。

ヴィヴィ 結構いろんなことをやってますけども、私、人にお化粧してもらったことがほとんどないんです。尊敬するメイクアップアーティストや画家の方でもいいかもしれませんし、そういった方に自分の顔がどうなるのか、他人にお化粧してもらうことを今後やってみたいなと思ってます。

――ヴィヴィアンさんが化粧をする時に好きな色はありますか。

ヴィヴィ 私は寒色、ブルー、紫、グリーンといった冷たい色がわりと好きですね。

 青い口紅はもう20年近くしてるんですけれども、なぜ青か。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」というエッセイがあります。日本の美は線や形にあるのではなく陰影のあやにある。要するに、表面の暗さと明るさのせめぎ合い、その塩梅に存在している。そのようなエッセイなんですけれども。その中で京都の商売女は、当時の日本では闇の中に埋もれていた。建物の中は真っ暗で、女性は着物を着ていて、首から上と手首から先しか存在しなかった。あとは全部闇に埋もれていた。口の中にすらお歯黒といって闇を持ってきて、暗闇を愛する、暗闇を同居させる、そのような考え方だったわけです。その中で彼女たちは唇を青く塗ってその上に螺鈿をまぶしている。そのような一節があり、それを私なりに現代風にやってみたのが始まりです。

 

――化粧のインスピレーションはどういったところから得ているのでしょうか。

ヴィヴィ お化粧だけじゃなくてアートもすべてそうだと思うんですけれども、個人の創造性が継続していくと歴史に回収される。化粧史であったり、文化史であったり、芸術史、美術史といったものに必ず回収されていくわけです。なので自分はいろんな歴史的なお化粧に影響を受けているのかなと思ってます。

 例えば歌舞伎や、70年代のパンクロック、KISSのようなお化粧も入ってるかもしれない。それからあらゆる近代のモードのお化粧も自分の中に入ってるのかなと思ってます。

 

――ヴィヴィアンさんのことは「ドラァグクイーン」という括りで考えてもいいのでしょうか。

ヴィヴィ 人と話して意思を疎通させる時には、「ドラァグクイーン」と言った方が早く伝わるのかなと思うので、基本的にはドラァグクイーンでもいいんですけれども。

 私がゲイバーやショーパブで働き出してこういうお化粧をしだした当時は、ドラァグクイーンという言葉も知らなくて、さまざまな境界、枠組みを越えるような人を探してたんですね。けれども探しても探しても、そういう人が見当たらなくて、結局は「自分がそうなってしまえ」ということで始めたのがきっかけです。

 ですから、カテゴライズ的に「ドラァグクイーン」と呼ばれてもいいわけですけれども、私の中ではドラァグクイーンは定義できない、分類できない、名指せないような人々。そういった移り変わるような人種のことをドラァグクイーンだと私なりに定義してるわけです。ドラァグクイーンはこうすべきである、ドラァグクイーンはこうであらねばならない、そういったあらゆる定義を外していくこと、ズレていくことが、ドラァグクイーンの定義なのかなと思ったりもします。

 17世紀、ベラスケスというスペインの宮廷画家がいました。彼の作品には、スナップショットのように宮廷の人たちを描いた絵、もしくは家族の肖像写真のように宮廷の家族、王族たちを描いた絵があります。その絵の中には、身体の不自由な人であったり、道化師であったり、占い師であったり、いわゆる社会の枠組みには入らないような、分類できないような人たちもたくさん写り込んでいるわけです。一般の国民は、王族や政治を司る人たちと直接会うことができない中で、彼らは宮廷の中を自由に歩き回り、外で遊ぶこともなく日陰で遊んでばかりいて体が弱く長生きしない王族の子どもたちと一緒に遊んだり、王様や政治を司る人に政治的なアドバイスをしたりできたわけですね。

 そのように社会の枠組みに入らない、もしくは社会の制度に入らないような人たち名指せないような人たち、そういった人たちが必ず社会の中にいた。古今東西いたようです。今はドラァグクイーンがその役割のひとつを担ってるのかなと思ってます。定義できないこと、それがドラァグクイーンなので。今となってはドラァグクイーンと呼ばれなくても構わないし、私は私という生き方で生きております

――「個性がない」「個性がわからない」という人が多くいます。ヴィヴィアンさんにとって個性とはどういうものだと思いますか。

ヴィヴィ 個性がわからないっていうのは、ちょっと理解しがたいですけれど。個性とは要するに、その人のアイデンティティー。自分といかに向き合うか、自分はどういう人間なのか どういったものが好きなのか、得意なのか、どういう傾向にあるのか、自分を知るということだと思うんですよね。

 なので個性がわからないというのは、見ることを放棄してることなのかなと思います。土地も人間も均一ではないんですよね。世界は不均一であるし、人間も不均一であり平等ではないわけですね。だけれども物差しを変えれば、劣っているところがあっても優れてるところもあるはず。そのように自分の物差しをどう探していくのか、向き合うことが大事なのかな。それが個性というものを見つけていくきっかけだと思ってます。

 

――ヴィヴィアンさんはどのように自分の物差しを見つけたのか、あるいはその物差しを手放さずに済んでいるのですか。

ヴィヴィ もうずっとこのように生きていたので、別に意識はしてないんですけれども、自分は何が向いているのか、何が得意なのか、何が快楽なのか、そういったことを常に、今もそうですけれども、探求し続けること。これで終わりということはなく、常に変化し続けること。そのように心掛けております。

 

――最後の質問です。ヴィヴィアンさんにとって「希望」とはどういうことでしょうか。

ヴィヴィ うーん……現在から見て未来や将来がどうありたいか、どうなるべきかみたいなことが描けるような生き方、もしくは社会ですね。

 例えば、新築のマンションを買ったとき、その形自体がいいか悪いかではなく、そこに自分が住んだらどのような生き方ができるのか、どのような時間が過ごせるのか、そのようなことが思い描けることが希望であったり、夢であったり、将来の展望だと思うんですけれども。そのようにいかに将来を描けるのか、描こうとするのか。その原動力が希望なのかなとも思ってます。

 

※コメントについては既存書物からの引用を含めて出演者の言葉を尊重し、使用しています。

(構成:安楽由紀子)

ヴィヴィアン佐藤

アーティスト、非建築家、美術家、映画批評家、イラストレーター、文筆家、擂り鉢地形研究、尾道観光大志、青森県七戸市キッズDQ化プロジェクト、他。
芸術全般(映画・音楽・美術・建築など)の造詣が深く、ジャンルを横断して独自の見解で分析。自身もアーティストとして活動中。また江戸時代の歴史にも詳しく才能は多岐に渡る。
個展やヘッドドレスのワークショップを開催中。
Instagram:@viviennesato
Twitter:@viviennesato

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