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脱北航路

2022.04.23 公開 ツイート

月村了衛インタビュー「北朝鮮、潜水艦、亡命というキーワードは頭の中にずっと残っていました。それで、ある日ひらめいたんです」 月村了衛

北朝鮮の軍人が拉致被害者を連れ日本を目指す『脱北航路』を月村了衛さんが上梓されました。
胸が熱く躍り、手に汗握る、一気読み必至の社会派エンターテインメント大作です。4月13日の発売以降話題となっている本作について月村さんに伺いました。

(構成:タカザワケンジ 撮影:吉成大輔)

装丁 片岡忠彦(ニジソラ)

*   *   *

──北朝鮮の軍人が拉致被害者を連れて潜水艦で日本を目指す『脱北航路』はポリティカル・サスペンスであり、潜水艦アクションであり、拉致問題に切り込んだ社会派エンターテインメントとしても出色の作品です。着想のきっかけを教えてください。

月村 「数年前に出版関係のある人から「北朝鮮版の『レッド・オクトーバーを追え』を書いてくれないか」と言われたのがきっかけでした。「今それを書けるのは月村さんしかいない」と言われたのですが、それは「ウチで書いてほしい」という意味ではなく「自分が読みたいから」ということでした(笑)。私としては「いやいや、ほかに適任者はいるでしょう」とお答えしたんです」

──トム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え』は、東西冷戦下でソ連のミサイル潜水艦「レッド・オクトーバー」がアメリカに亡命しようとする物語で、映画化もされたベストセラーです。その時は食指が動かなかったのでしょうか。

月村 「“北朝鮮版の『レッド・オクトーバーを追え』”といった時に、完成形が見えるんですよ。小説家は未知なる創造の喜びを求めて日々書き続けているので、完成形が見えているものにあえて着手する気にはなれなかったんです。また私はいわゆるテクノスリラーには興味がないもので。

でも北朝鮮、潜水艦、亡命というキーワードは頭の中にずっと残っていました。どういう人が潜水艦に乗っているんだろう、どういう理由で亡命先に日本を選んだのか、とぼんやり考えていたわけです。それで、何年かたって、ある日、突然、ひらめいたんです。拉致被害者が乗っていたら? と。一気に構想が広がりました。しかも、それは今の日本で書かれるべき、そして、読まれるべき物語だと確信しまして、実現に向けて動き出しました」

──拉致被害者が乗った北朝鮮の潜水艦とは、すごいアイディアです。

月村 「常に考えていたわけではないですけど、思いつくまでに時間がかかりましたね。執筆にあたっては、当初、新聞連載を考えました。新聞がもっとも適したメディアであろうと。何人かの方に相談しまして、中には実際に動いてくれた方もいたんですが、残念ながら実現には至りませんでした。しかしそのとき力を貸して下さった方々には今でも感謝しています」

常にある誰かを傷つける覚悟。 それでも状況を良くしたくて

──なぜ実現しなかったのでしょうか。

月村 「次にやろうとしたのは今から五、六年前なんです。その頃、北朝鮮がしきりにミサイルを発射していました。今にもアメリカと交戦状態になって北朝鮮という国自体がなくなるかもしれない、という見方をマスコミがしていた時期でして、こちらは「それはあり得ない」とする専門家の方々の見解を確認した上で提案しているのですが、出版社としては、もしも北朝鮮という国がなくなったら出版は不可能だから、そういうリスクをとるわけにはいかない、と。それはそうですよね」

──それでいったんは諦めたのでしょうか。

月村 「当時は北朝鮮がなくなるんじゃないかという見方も確かにありまして、一旦保留にしていたのですが、私がいたずらに手をこまねいている間に、横田滋さんがお亡くなりになられました。これはショックでした。拉致被害者のご家族もご高齢です。早くしないと間に合わない」

──急がなければ、と思われたんですね。

月村 「同時に、このことを題材にエンターテインメントを書いていいのだろうか、という葛藤が生まれました。今まさに被害を受けている方たちとそのご家族がいるのに、小説に書いていいのだろうか、と。悩みましたね。

最終的には、書かれないよりも書かれたほうが関係者の方々の役に立てるんじゃないか、と考え、覚悟を決めました」

──小説として発表することで、この問題を広く訴えることができる、と。

月村 「私はテーマを訴えるために書いているわけではありません。しかし、文芸のあり方として、ある題材を書くことでどこかに傷つく人がいるかもしれないという覚悟はしています。傷つく人がいるかもしれない。それでも、書くことで状況が変わるきっかけになるかもしれない。書くべきか、書かざるべきかを天秤にかけるようにしていつも書いています。この作品に関しても、そういう状況をすべて踏まえ、それでも書くべきであろうと決断しました。

その上で、どなたに相談しようかと考えた時、幻冬舎の担当編集者、有馬大樹さんを真っ先に思い浮かべました。ひとえに『土漠の花』で培った信頼関係があったからです。この題材をお任せするのは有馬さんしかいない、と」

──『土漠の花』は日本推理作家協会賞を受賞した月村さんの代表作の一つです。ソマリアで海賊対処行動に従事していた自衛隊が、氏族の対立に巻き込まれ、一人の女性を守って逃げ延びようとするポリティカル・サスペンスであり、ミリタリー・アクションです。たしかに『脱北航路』と重なる部分があります。

月村 「有馬さんと何度かお会いしてご説明したんですが、この物語にはこういう人物が出てきて、こういう山場があって、とお話しするうちに、自然と泣けてきたんです。涙声でしゃべっていたものですから、有馬さんも困ったと思います(笑)。そんなやりとりを重ねて『小説幻冬』での連載ということになったんです」

──物語冒頭、政治指導員の辛吉夏(シン・ギルハ)が拉致被害者である広野珠代を確保して潜水艦に乗り込み、軍事演習を煙幕に脱北しようとする展開が実にスピーディに描かれます。日本にいる人たちも登場しますが、ほとんどの場面は潜水艦ですね。

月村 「厳然たる方針がありました。原則として現場の人間の視点に限る。こういった作品を書く時に、司令部や政府の動きも書けばもっとよくなるのに、という人が必ずいるんですよ。聞くに値しない素人考えですね。『土漠の花』でも言われました。

日本に翻訳で紹介されている欧米のテクノスリラーにはそういう作品が多い。いろいろな部署の人間が出てきて多視点で描く。それはおそらく、類型的なハリウッド映画を最終形と考えているから先ほどのような意見が出てくるのだと思います。

言うまでもなく映画と文芸は別物です。作品によってはそういう形式がふさわしいものもあるかもしれませんが、少なくとも『脱北航路』は違う。日米韓北朝鮮の上層部を描いて、この作品に益するところがあるかと言えば、何もないわけです。冒頭に北朝鮮の司令部が出てきますけど、ストーリーテリング上の例外です。それ以外は現場の人間の視点に限っています。

──現場では状況に対応するのが精一杯で、組織の上層部で何が起きているかわからない。だからこそ疑心暗鬼にもなるし、先が読めない。ほんの少しの判断ミスが命取りになるというサスペンスが生まれる効果があります」

苦労を感じさせたら作者の敗北。 ストーリーより人物描写を重視へ

──北朝鮮の軍隊や潜水艦について、とても細かく描写されていますが、かなり調べられたのでしょうか。

月村 「できる限り調べたんですが、調べれば調べるほど、わけがわからない(笑)。複数の専門家のご意見をうかがいつつ進めたのですが、物語の進行上、こうであってほしいという希望がことごとく不可能だと弾かれるんですよ。

それも、専門用語で説明されるので理由が理解できないんです。作品の性質上、専門家の方々のお名前は出せないんですが、熾烈なやりとりをするうちに、はたしてこの小説は完成するのかと私も不安になりました。潜水艦もろとも海に沈むんじゃないかという、執筆の進行と物語がシンクロするような状態でしたね」

──読者としては、これしかない、という展開に思えたのですが、紆余曲折があったのですね。

月村 「読者に苦労を感じさせたら、作者の敗北ですから。自分のパソコンのファイルを見ますと、初稿から修正稿、修正稿改、修正稿再、修正稿再改……と。自分がこれまで手がけた作品の中で一、二を争うくらい大変でした」

──連載から単行本化するにあたってもかなり加筆されたとか。

月村 「連載から単行本までどんどん厚みが増していきました。潜水艦の乗組員がどういう人たちかが肝になるのは最初からわかっていたんですが、連載時にはそれ以外のことが大変すぎて、とても人物描写まで手が回らなかった。連載版では骨格をつくり、単行本にするにあたり肉付けをしていったということですね。連載時にはほとんど名前だけという人物もいたので、この人はいったいどういう人生を送っていたんだろう、とできるだけ書き込んでいきました」

──主人公は潜水艦の艦長、桂東月(ケ・ドンウォル)ですが、彼のほかにも乗組員たちの輪郭がくっきりと描かれています。

月村 「どういう人がどういう思いで北朝鮮の潜水艦に乗っているのか、乗組員一人ずつ考えました。それは大変でしたけど、楽しくもありました。それに、『土漠の花』の頃と比べて、わずかですけど、成長している自分を実感できましたね。たとえば敵の艦長、羅済剛(ラ・ジェガン)という人物がいますよね」

──桂東月の長年のライバルであり親友。

月村 「羅済剛は、昔の自分には書けなかった人物です。敵役ですから、普通だったら、やたらに強い、もしくは冷静な、桂東月と対になる人物にすると思うんですが、彼はちょっと違う。北朝鮮の体制下のエリートで、あらかじめ自分が壊れていることを自覚しているんです。『土漠の花』の頃にはまだどうやってストーリーを進めるかに意識があったんですが、最近はどう人物を表現するかにシフトしてきています」

奪われた人生を取り戻す。 これが冒険小説の魂──

──潜水艦に乗っているのは、広野珠代以外は北朝鮮の軍人ですが、日本にいる四十五年前の拉致事件に関わった人たちもやがて物語に入ってきます。

月村 「潜水艦に乗った北朝鮮の軍人たちの物語が横糸だとすれば、縦糸は四十五年前の拉致事件に関わった人々の物語です。四十五年前の拉致事件によって、さまざまなかたちで人生を奪われた人たちが、奪われた人生を取り戻す──これが冒険小説の魂なんだ、という確信を持って書きました」

──潜水艦の動き、戦い方。未知の世界であり、驚きの連続でした。

月村 「魂を込めたのはドラマの部分ですが、実作業として大変だったのは潜水艦の動きに関する部分です。着手する前に参考にしようと思って、アメリカで話題になった潜水艦ものなどいろいろと読んだんですが、参考にはならなかったですね。

一つはそうした作品が典型的なテクノスリラーだったこと。もう一つは、最新型の原子力潜水艦が描かれていることです。『脱北航路』のロメオ級潜水艦は旧式もいいところですから。旧型で戦うっていうのも、冒険小説の肝なんです(笑)。あくまでもエンターテインメントの基本に忠実に。そのうえで、どうやって独自の人間の物語を載せていけるのかが執筆の苦しみであり喜びです」

──北朝鮮についての専門的な情報は入手しやすいものなのですか。

月村 「情報というのは、あっても関心がなければ目に入らないものです。今回、痛感したのは、関心を払わなければ何も見えてこないということ。拉致問題はその典型だと思います。

主に一九七〇年代にしらけ世代、三無主義と言われて、それが新しくてかっこいいように思われていましたが、今では政治的無関心が圧倒的多数を占めるようになってしまいました。拉致問題が長い間注目されてこなかったのはまさにその時代です。しかし、今思うのは、無関心であることはかっこいいことでも何でもなく罪なんだ、ということです。

かつて拉致問題に対して無関心だった日本人と同じ罪を今の日本人は犯している。もちろん自分も含めて。『脱北航路』を執筆して強く思いました」

──四十五年前、拉致事件を拉致だと思わずに見逃してしまったことが傷になっている日本人たち。体制の中で飼い慣らされてしまった北朝鮮の軍人たち。『脱北航路』は彼らが一矢報いようとする物語だとも言えますが、クライマックスの展開は衝撃的です。怒りと哀しみ、失望と希望、そして感動、さまざまな感情にもみくちゃにされる思いを味わいました。

月村 「最後の方に出てくる政治批判はどうすべきか。いろいろな方に相談しつつ、悩みながらああいうかたちに至りました。

私も人間ですから、火中の栗を拾いにいきたいわけではないです。物語上の必要から外せないということもあり、これは書くべきだろうと。なぜなら、自分の中で怒りが燃えたぎっているから。

小説に政治的な要素が入り込むことはリスクでもあります。しかし作家が自らの偽りなき情動を作品として表現するのが文芸であろうと。そう思い、怒りを物語に叩き込んで、エンターテインメントとして有効に生かそうと努力しました」

──この作品の核心にあるのはまさに「怒り」だと感じました。拉致問題が解決しない理不尽への怒り。この世界に独裁体制があることへの怒り。

月村 「私にも娘がいるんですが、ある日突然、娘が拉致されてしまったら、正気じゃいられません。想像しただけで泣けてきます。本作がそんな理不尽に苦しんでいる方々に心を寄せるきっかけとなれば望外の喜びです」

関連書籍

月村了衛『脱北航路』

北朝鮮の陸海空軍による大規模軍事演習。国の威信をかけたこの行事で、桂東月(ケ・ドンウォル)大佐は潜水艦による日本への亡命を決行した。しかも、拉致被害者の女性を連れて--。だが、そんな彼らを朝鮮人民軍が逃すはずがない。特殊部隊、爆撃機、魚雷艇、対潜ヘリ、コルベット艦、そして……。息つく間もなく送り込まれる殲滅隊の攻撃をくぐり抜け、東月達は日本に辿り着けるか?

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月村了衛

1963年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒。2010年『機龍警察』で小説家デビュー。12年『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、13年『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、15年『コルトM1851残月』で第17回大藪春彦賞、同年『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)、19年『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。他の著書に『白日』『非弁護人』『機龍警察 白骨街道』『ビタートラップ』などがある。

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