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2021.11.14 更新 ツイート

【書評】理不尽な人生を前に、誰に祈りを捧げたらいいのか 内田剛

「正直に直向きに生きていても、幸福は訪れない」

これは読む劇薬だ。そして生きづらい現実社会に牙を剥き、休むことなくうごめき続ける生き物だ。獰猛な吐息や荒々しい動き、むせ返るような体温までも伝わってくる。なんと危険極まりない物語なのだろう。眼前を覆い尽くすような暗黒の光景と手に負えないような凶暴さに満ちている。小説だからなし得ることのすべてが凝縮されているのだ。この世の闇という闇をかき集め、ひと思いに白日のもとに曝け出したような迫力がある。

どれほど残忍なシーンが現れたとしても目を背けてはならない。身を震わすスリリングな展開に一度出合ったら逃れることは不可能だ。ここには合法的な秩序はない。だから一線を越えた面白さがある。禁じられているからこそ脳内で膨らみ続ける怪しい魅力に全身が取り憑かれてしまうことだろう。真っ当な感性を麻痺させてしまうほどの毒性もまた感じられる。読む者すべてを徹底的にシビレさせる。正真正銘、まさに悪魔の棲まう作品なのだ。繰り出される言葉は炎となって肌をヒリヒリと焼きつける。心して読むべき一冊だ。

人はなぜダークヒーローを欲するのだろうか。品行方正な正義の味方では、綺麗事だけでは語れないこの世の地獄を救えないのかもしれない。光が眩しいほど、そこにできる影は暗黒だ。人間の営みは危うすぎるバランスで保たれているのだ。理不尽という言葉では語れない事象をこの物語は描き切っている。この世に光がある限り悪は絶対になくならない。考えうる限りの悪をつめこんだこの本は世界にとって必要不可欠な物語であるといえよう。健全な世にこそ圧倒的な闇が必要だ。

新型ウイルスの蔓延、長引く不況、社会的貧困の増大、人種を超えた憎しみ合い、フェイクニュースの暴走……不安、不信、不穏な空気に満ちた現代社会の闇は深まるばかりだ。目を背けたくなる現実の中で、いったい何を信じて生きていいかわからない。人々は刹那的で甘美な快楽に走り、唯一確かな「死」だけを目指して生きているのかもしれない。

既存の価値観や凝り固まった社会体制を、根こそぎひっくり返したい、という願望は誰もが持っているだろう。人間たちが内に秘めたその思いを存分に叶えてくれるのがこの『ヘブン』だ。登場人物たちの破天荒な躍動に手に汗握りながらエールを送る。邪悪と知りながら不思議なまでに共感してしまうのだ。読みながら確かに感じるのは名もなき庶民たちの高らかな声、そして社会に反発しようとする固い拳だ。既存の価値観を押しのけて、みなぎるような力強さがここにはある。

未知なる病原菌の出現で新たな日常が始まった。ソーシャルディスタンスの徹底で、あらゆる場面で非接触が当たり前になった。経済活動でも合理化が進行し対面からAIへの移行も顕著となっている。個人情報保護の観点からプライバシーも過度に守られて、とにかく顔のまったく見えない社会が作られた。だからこそ本作のような汗と涙と血にまみれ、土と埃と人間の匂いに満ちた物語が突き刺さるのかもしれない。

本書『ヘブン』は2015年に刊行された『キングダム』の続編にあたる。どちらからでも楽しめるが、時系列的に『キングダム』から読み始めた方がよりこのダークストーリーの核心に迫ることができる。挑むような堂々たるタイトルに吸い込まれるようなジャケット(文庫版はヘビが真正面から睨みつける画像)のイメージ。この世のすべてを破壊し尽くしてしまうかのような圧倒的な物語の登場に驚かされた。こうもあっけらかんと悪事が蔓延はびこっていいのだろうか。すべてが規格外にして常識はずれ。何度も息を呑み、立ち尽くしながら読んだことを今でもはっきりと覚えている。居ても立っても居られなくなるような衝動がこの物語からはみなぎり溢れていたのだ。

そして『ヘブン』の単行本の刊行は『キングダム』の文庫化に合わせた2018年である。強烈すぎる前作同様、強烈な筆さばきに圧倒させられ、輪をかけた悪のオンパレードには嫌悪感を通り過ぎて爽快感さえをも感じてしまう。この快感にも似た凶暴さの表現も物語の魅力の一つであろう。

大都会・東京の裏社会に欲にまみれた人間たちの象徴でもある「キングダム」を築き上げてその頂点に君臨した元「武蔵野連合」のクールな男・真嶋貴士。並の理性をはるかに超越した凄まじさでヤクザ組織に歯向かいグループを捨て、仲間たちを混乱の渦に巻きこんで姿をくらまし海外へと逃亡した。潜伏先はタイの奥深く、麻薬王のアジトであった。まさに正真正銘の闇である。『ヘブン』のプロローグはこのタイでのシーンから始まる。そして物語は真嶋が再び「東京を手に入れるために」舞い戻り、激しく転がり始める。

東京という街そのものが意思を持った巨大なモンスターのように感じられるが、この作品の読みどころの一つとして、人間の営みが地層となって折り重なった土地の声、地霊の叫びが聞こえる点だ。過去から現在へ、人の記憶は街の表情にも表れる。道のうねりや起伏を感じれば、音をたてながら呼吸する風景が見える。登場する街並みを追いかけるだけであたかも絵巻物に描かれたような生々しい都会の素顔を俯瞰できるはずだ。

陰のあるヒロイン役は芸能事務所の従業員・高橋月子。殺人容疑で逮捕された刑事の娘だ。少女から大人になる年頃の美しく可憐な存在であるが、身も心も悪に染め上げられて復讐の炎をたぎらせる。尋常ならぬ恨みはこれもまた普通の感覚での理解を超える。精神を研ぎ澄ませて肉体を極限にまで昂らせる執念はぜひ本編で体感していただきたいが、その身を賭してまでという思いの丈に驚きを禁じえない。

指名手配を受けている真嶋をめぐる追いつ追われつの展開は息をつかせる暇もない。壮絶に折り重なった復讐譚がジェットコースター並の勢いで畳みかけるのだ。見せ場の作り方が極めて見事だ。五感を巧妙に刺激して、ページをめくる手を止めさせず、まったく飽きさせない手法は映像化を大いに期待させる。

真嶋と月子。復讐する者とされる者。本来まったく相容れない存在である男と女が激しく交錯するという運命の皮肉。偶然と必然が織りなす神様のいたずらのような成り行きに注目してもらいたい。生と死、希望と絶望、善と悪、光と影……対極にあるものが異様な熱を発して火花を散らし二人をつなぎ、まばゆく照らすのだ。互いから同時に見えるのは天使と悪魔。死臭を漂わせながらどうしてこれほど活き活きと躍動できるのか。物語の中に生きる場所を見出し、奇妙な求心力を持った二つの魂の共鳴に、胸が締めつけられ心を奪われるに違いない。

覚醒剤ビジネス、大物政治家との癒着、アイドルの黒い噂、売春斡旋、当籤金詐欺、宗教団体の罠、暴力団の報復……社会の闇のオンパレードだ。そしてその一つ一つの闇には高額の報酬、抜きん出た栄誉、スポットライト、肉体的快楽、精神的な救済、我が身の保全……といった「光」の要素がある事実を忘れてはならない、現代の病理の象徴ともいえるこうした犯罪は決して日常とかけ離れた場所に蔓延っているわけではなく、当たり前の毎日と地続きで、しかもアメーバのようにつながっており、一度染まってしまったら寄生虫のように人の内面まで入りこみむしばんでしまう。極めて恐るべき存在であることをこの物語は教えてくれる。

『キングダム』が心に秘めた激情を外へ外へと溢れ出させた物語であれば、『ヘブン』はそのこぼれ落ちた情念を掬いとって内へ内へと引き寄せたストーリー。どちらも破滅の道へと突き進み、迷わず奈落の底へと誘いながら、まさに合わせ鏡のような存在に感じられた。『キングダム』という過酷でありながらどこか甘美な風景も見られる王国から、『ヘブン』という名の理想郷を追い求める。地獄の中で夢見る天国の存在は死を強く意識しながら生き続ける者たちの最後の希望なのかもしれない。

「神が見えたぞ!」というフレーズから構成される『ヘブン』は本物の「神」のありを問いかける。ただ正直にひたきに生きていても幸福は訪れない。悪魔の手先となって罪多き人生に光が注がれることもある。理不尽な運命を目の当たりにした者はいったい誰に祈りを捧げればよいのだろうか。虚しい感情が押し寄せながらも、己を信じて突き進む道と愛か憎しみか分からずとも誰かのために捧げる命の中に真実の信仰も見てとれるのだ。人生のある瞬間に信ずべきもの、それを「神」と呼ぶのかもしれない。『ヘブン』はそんな哲学的な思いを呼び起こす力を持っている。文字通り神がかった物語であるといえよう。

さてここで著者である新野剛志について触れておこう。1965年東京都生まれ。1999年『八月のマルクス』(講談社)で第45回江戸川乱歩賞を受賞し華々しくデビュー。以降も順調に注目作を世に送り続けていたが、第139回直木賞候補となった2008年刊『あぽやん』がターニングポイント。この作品が続編と合わせて「あぽやん~走る国際空港」としてTVドラマ化されて、作家になる前に空港係員(あぽやん)としてキャリアのある著者は一躍押しも押されもせぬ人気作家となった。読者も「あぽやん」の作家として記憶している方も多いことだろう。他にも『罰』『FLY』『愛ならどうだ!』『パブリック・ブラザース』『溺れる月』『戦うハニー』などの作品がある。もちろん『キングダム』と『ヘブン』も揺るぎない代表作であることに間違いない。

近刊としては2021年5月に刊行された単行本『空の王』(中央公論新社)がある。戦争の色も濃くなった昭和11年の満洲国を舞台に新聞社の記者たちが命懸けの速報合戦を繰り広げる。サスペンスあればロマンスもあり。壮大なスケールで描かれた歴史冒険活劇で、とりわけ風を切り大空を飛行する臨場感がたまらなく印象的だ。湧きあがるような高揚感に天空からの光景も素晴らしく、心の底から描きたかった物語なのだろう。この作品のモデルである著者の祖父も実名で登場し、著者にとって特別な意味合いを持った一冊であることがわかる。『あぽやん』もそうだが「空」と特別な縁のある新野剛志が「自由」という名の翼をその背中に確かに繋ぎとめたと感じられた。

社会派ミステリーあれば刑事ドラマもある。痛快なビジネスコメディーあればダークサイドのエンターテイメントもあり爽快な冒険譚もある。デビューから20年を超え、たくましい翼を手に入れて、ますます作品の幅を膨らませている新野剛志の進化にはまったく目が離せない。今後いったいどんなテーマとアプローチで我々読者に挑んでくるのだろうか。この世の光と影をつぶさに感じとり、何をも恐れぬ真っ向勝負の筆致で切り裂いていく。そこにはまさに時代が求める文学世界が口を開けて待っているのだ。本書の編集者情報によれば、またしてもダークな物語を予定しているらしい。突き抜けた恐るべき一冊になることは間違いない。刮目して待とう。

─────ブックジャーナリスト 内田剛

関連書籍

新野剛志『ヘブン』

東京の裏社会に自らの王国を築いた「武蔵野連合」、真嶋貴士。後ろ盾のヤクザに歯向かい東京を牛耳る企みは大抗争の末、破綻。数年後 男の姿は、タイのジャングル、麻薬王のアジトにあった。クスリ漬けの芸能界、アイドルの売春、政界との癒着、没落した半グレ、宗教団体の罠、暴力団の報復……。腐り切った悪に勝てるのは悪しかない。王者の復讐が今、始まる。

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ヘブン

武蔵野連合、真嶋貴士が帰ってきた!目的は復讐ーー。

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