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2021.11.11 更新 ツイート

#3 アイドルと一緒に仕事がしたい。仕事を始めたのはそんな理由だ 新野剛志

日常の鬱憤を吹き飛ばす怪物的エンタメ! 新野剛志さん文庫最新刊『ヘブン』の試し読みを5回に分けてお送りします。

ヤク中の元刑事、売春するアイドル、半グレの復讐、ヤクザの報復ーー「世の中クソみたいなやつが多すぎる」

「ラブ慈、最高。ほんと、ベスト・オブ・社長よ。生きててよかった」

 舞子は黒々とした瞳をきらきらさせて言った。

「大袈裟だよ。たまたま運がよかっただけなんだから。だいたい、舞子がこんなに喜んでくれるとも思ってなかった。俺もほんと嬉しいよ」

 しまもとあいは、かっと目を見開いて言った。瞬きをしたら、涙が一筋こぼれそうだった。いやだな、四十を過ぎると涙腺が緩くなる。大したことでもないのに。

「喜ぶに決まってる。ハリウッド映画のキャンペーンなら、テレビとかの取材もくるよね。まともなメディアへの露出なんて久しぶり。それに、これって一回だけじゃないんでしょ」

「確かに。今回は急だったから、とにかく明日現場にきてくれということだったけど、主演俳優が来日したときとか、色々イベントをやるような話はしていたんだ」

「えっ、あたし、ハリウッドスターと共演できちゃうかもしれないの。すごすぎ」

 茶化したような言い方だったが、夢見るような目は本物だった。

 アイドルは夢を与えるのが仕事で、自分は夢など見るものではない。島本の頭に、そんな言葉が浮かんだ。しかし、それを舞子に言う気などもうとうなかった。

 島本が社長を務める「ライク・ヘブン」は小さな芸能事務所だった。オフィスも狭く小規模だが、業界に顔がきくわけでもなく、あらゆる意味で弱小の事務所だった。所属タレントに満足のいくブッキングを入れてやる力もないのに、夢を見るな、などと厳しいことは言えない。とはいえ、そこに後ろめたさがあるわけでもない。所属タレントが条件のいい事務所に移籍できるのなら、島本は喜んで送りだすつもりだ。それができないからこの事務所にいるわけで、ここが彼女たちの居場所だった。

「月ちゃんもありがとう。月ちゃんがこの仕事見つけてくれたんでしょ」

 舞子がそう言うと、机に向かって事務仕事をしていたつきが顔を上げた。

「たまたま耳にしただけなんです。今度、まほさんとレポーターをやるタレントさんの事務所に、当日の衣装のことで電話したら、それどこじゃない、所属タレントが事故でけがして、明日の仕事に穴を開けてしまうって、なんだか大騒ぎしてたから──」

 月子はそれでどんな仕事か聞きだし、島本に報告した。その仕事をうちのタレントに回してもらうことはできないですかねと。島本はすぐに動いた。

 つき合いのない映画配給会社にいきなり電話し、けがをしたタレントの代わりに、うちの子を使ってもらえないかと頼んだ。聞けば、近未来SF映画のキャンペーンで、メインは人気お笑いタレントだが、その後ろで、忍者風衣装をまとい、派手なポージングで盛り上げる役のひとりが欠けてしまったようだ。島本はコスプレが趣味の舞子を売り込んだ。宣材写真とプライベートのコスプレ写真を送ってみたら、すぐに、明日、現場によこすよう連絡がきた。

 とにかく月子のファインプレイだ。月子がライク・ヘブンの事務スタッフとして働き始めたのは一年ほど前から。まだ二十一歳と若く、社会経験も浅いが、これまで期待以上に働いてくれていた。

「月ちゃんの機転が何よりだけど、いきなり電話するラブ慈の図々しさも見上げたものよ」

「もともと図々しかったわけじゃないぞ。みんなのためにがんばってるんだと思ってくれ」

 ひとにどう思われるかなどかまっていたら、この業界ではやっていけない。

「ありがとうございまーす。ほんと、あたし、がんばりますから」

 舞子は胸の前で拳を丸め、ガッツポーズをとった。ありきたりな表現方法だが、ただのポーズではない。何か決意を固めたような力強い目をしていた。

 好きだなあ。うちの子たちは、みんな汗が似合う。だから応援したくなる。いちばんのファンが社長というのはどうかと思うが、それはまちがいのない事実だった。

 デスクに腰かけていた島本は、よっこらしょと尻をもちあげた。身長は百七十センチで体重は八十キロを超える。以前は小太り程度だったのに、この仕事を始めてから止めどなく増えだした。きっと幸せ太りなのだと思っていた。

「さて、俺たちもそろそろ帰ろうか」

 舞子を見送り、デスクに戻った島本は、正面のデスクの月子に言った。

 もう八時を過ぎた。明日から休日とはいえ、急いでやらなきゃならない仕事はないはずだ。

 月子は「はい」と答えたが、仕事を続ける。物販グッズの図案をチェックしているようだ。

 ライク・ヘブンの所属タレントは全部で八人。シンガーソングライターがひとりいるが、あとはみんなグラビアアイドルだった。稼ぎ頭は宮里まほ。深夜のバラエティー番組のレギュラーをもっている。二十人ほどいるレギュラーの女の子のなかのひとりで、ほとんど画面に映らない回もあったりするが、そんなものでもうちの子たちのなかでは知名度が抜群で、事務所主催のイベントでは、まほ目当てのファンがいちばん多い。では次に多いのは誰かというと、困ったことにタレントではなかった。ここのところイベントでMCをやるようになった月子のファンが増えていた。

 たかはし月子はライク・ヘブンただひとりの従業員だった。いわゆる事務仕事だけでなく、マネージャー的なことからタレントのスカウトまでこなす。そしてイベントではMCも。

 MCといっても、出演者紹介や物販の案内を簡単にするだけで、会場を盛り上げるようなトークをするわけではない。もともと人前にでるのが苦手らしい月子は、その案内すらも事務的で素っ気なかった。それがツンデレ好みの男どもに、大いに受けたようだ。

 この現象は島本にとって意外ではなかった。最初からそんな盛り上がりを期待して、月子を舞台にひっぱりあげた。とくに先を見越す目があったわけでもない。月子はうちの所属タレントの誰よりも容姿が優れているのだから、そんな予想も簡単だった。舞台に上がるとき、月子に眼鏡をかけさせたことが、唯一島本の戦略と言えるかもしれない。

 そもそも月子がライク・ヘブンで働くようになったきっかけは、島本が街でスカウトしたことだった。その透きとおるような白い肌が街ゆくひとのなかで際だっていた。はかなげな容姿はグラビアアイドルには向かないかもしれないが、サブカル系アイドル的な売り出し方ならいけるかも。そんなことを頭では考えていたが、要は自分の好みだった。

 月子はかんはつを容れずに断った。しかし、その理由はこれまで聞いたことのないものだった。

 私、芸能活動はできないんです。やりたいとも思ってないですけど、やる気になったとしてもできないんです。いきなりそんな謎めいたことを言った。

 月子は最初から不思議な子だった。とにかく話をさせてくれないかという島本の説得に応じ、喫茶店にはついてきた。そしてそこで、なぜできないのか、進んで理由を説明した。

 私の父親、ひとを殺したんです。だから、芸能活動はできません。覚えてますか、四年前、女のひとを殺害した犯人を刑事が絞め殺した事件があったのを。その刑事が私の父です。

 島本はその事件を覚えていた。事件発生当初、マスコミでは大きな話題となった。刑事がひとを殺しただけでも話題になるが、殺された男も女を殺害しており、その現場が、のちに指名手配犯となる武蔵野連合の幹部の部屋だったのだ。さらには、その部屋にもう一体殺害された遺体があったのだから、マスコミが飛びつかないわけがない。しかし、事件からひと月もたたず、その刑事が取調べ中に自殺したため、刑事と殺された男についての報道は下火になり、海外に逃亡したと見られる武蔵野連合の幹部についての報道に集中していった。

 島本は驚いたし、納得した。月子をタレントとしてデビューさせるのは困難だ。あっさり手を引こうと考えていたとき、月子がまた驚かせることを言った。私を事務所で働かせてくださいと身を乗りだした。今度は島本が断る番だった。これまでずっとひとりで事務所をやってきた。それでなんとかやってこられたし、従業員を雇えるほどの売り上げもなかった。

 月子は大手モデルクラブでモデルをしていた経験があるらしい。短い間だし、裏方の仕事がわかるわけではないけれど、業界の雰囲気はわかりますと売り込んだ。売り込まれるほどの会社でもないのだが、そんなふうに必死になって言われると嬉しい。なぜ必死になるのか疑問に思うこともなく、島本はなんとかできないかなとそれこそ必死に考えた。

 島本はもともとアイドル好きのオタクだった。もっとアイドルに近づきたかったし、一緒に仕事がしたくて、勤めていたゲームソフトの制作会社を辞めて事務所を立ち上げた。こんなアイドルにもなれそうな元モデルが働きたいと言っているのに、断ったら、事務所を立ち上げた意味がなくなるような気がした。金銭的なことは無視して、雇うことに決めた。

 結果的に金銭的問題はなかった。月子が働き始めてから、まほのレギュラーが決まったり、月子自身がふたりの子をスカウトし、その子たちにそこそこ仕事が入るので、売り上げが増えていた。もっとも、売り上げが増えていなくても問題なかった。自分の報酬を削ればすむことなのだ。大事なのは、月子が働きだして、自分の生活に張りがでたことだ。

 仕事は楽しい。やりがいもある。四十を過ぎて家族も恋人もなく、古いアパートでのひとり暮らしであっても、自分は充分に幸せだとこれまでも思っていた。しかし、仕事からアパートに戻ってきて、早く明日も仕事がしたいと、なんだかうきうきしたような気持ちで眠りに就けるようになったのは、月子が働き始めてからのことだ。

 向かい合わせに机を並べて仕事をしている。間は一メートル半で視線を合わせるのに丁度いい距離だ。週に三回は一緒に昼食をとっている。いまだに月子の好物はわからないが、意外にもモスバーガーよりマクドナルドのほうが好みであることは知っている。一年がたつのに、打ち解けているとは言いがたいが、それはたぶんお父さんのことがあって他人に心を閉ざし気味だからだろう。けっして自分に問題があるわけではないと思っていた。

「月子ちゃん、今日はありがとう。舞子もほんと喜んでた。俺もなんか嬉しかったよ。月子ちゃんがうちの子たちのことを大切に思ってくれてるとわかって」

 島本は一メートル半離れた月子を見ていた。

「お給料をいただいてるんですから、当たり前のことです」月子は下を向きかけたが、また顔を上げた。「でも、私も嬉しいです。自分のしたことであんなに喜んでもらえるなんて」

 島本は笑みを浮かべて頷いた。

「そう。それが仕事の基本なんだよ。誰かの笑顔を見たいって気持ちがひとを動かすんだ」

 アイドルと一緒に仕事がしたい。仕事を始めたのはそんな理由だ。しかし、タレントの子たちの笑顔が見たい、がんばっている姿が見たい、ファンの熱狂を感じたい、そんな気持ちが仕事を継続させる力になっていた。そしていま、月子の笑顔が見たいと思っている。

 月子が笑うことはある。けれど、どこか抑えた笑いだ。心から笑うことはないのではないか。ひと殺しの娘である自分に、笑う資格はないと考えているのかもしれない。

 月子は仕事に戻っていた。島本もパソコンに視線を落とす。しかし、すぐに月子に目を向けた。蛍光灯の明かりを受け、月子の艶やかな髪がリング状に光っている。天使の輪だ。昔、シャンプーのCMでそんな風に呼んでいたのを思いだした。

 ふいに月子が顔を上げた。何ですか? と問うような目を向けた。

 きみの笑顔が見たいんだ。島本の心に言葉が浮かんだ。

「月子ちゃん、つき合わないか?」

 えっと口を開けた月子は首を傾げた。「どこにつき合うんですか」

「いや、そういうことじゃなくて。俺とおつき合いをしてくれないかと──。その、交際してくれないかということだよ。真剣にきみのことを想っている」

 月子はまた「えっ」と言った。顔がみるみる強ばるのがわかった。

「あの、答えはいますぐじゃなくても……」島本は不安になり、そう言った。

「社長……、私が殺人犯の娘だからですか。殺人犯の娘だから、どうせつき合う男もいないだろうから、自分がそう言えばほいほいのってくると思ったんですか」

「月子ちゃん……、そんなわけないだろ。俺はただ、きみのことを──」

 聞きたくないとばかりに、月子は大きくかぶりを振った。

「いや、どうしよう。困ったな」

 島本は困っているわけではなかった。月子との関係をどうしようかなどと考える余裕もなかった。島本は傷ついていた。その傷が広がっていく。

 月子は別に傷つけるつもりで言ったわけではないだろう。本気でそう思っているだけ。殺人犯の娘だからつき合おうと言ったのだと。つまり月子は、そうでもなければ、この男が自分につき合おうなどと言えるはずがないと思っている。二十も年が離れた四十過ぎの男。太っていて汗っかきで金もない。そんな男がどうして私につき合おうなどと言えるのかと──。

「ごめん、忘れて。舞子ちゃんが喜んでいるのを見て、浮かれてしまったのかな。軽率な言葉だった。ほんとごめん。許してね」

 自分も忘れよう。簡単なことだ。表面さえ取り繕っていれば、そのうち心もついてくる。ただ、笑顔を見たいと思った気持ちも忘れられるだろうか。

 月子は顔をうつむけていた。やはりどうしたらいいかわからないのだろう。ここは帰ったほうがいいと腰を上げたとき、廊下を駆けてくる足音が聞こえた。ドアが勢いよく開いた。

「舞子、どうした」

 帰ったはずの舞子が、戻ってきた。膝に手をつき、肩で息をしている。

「大変よ。明日美ちゃんが逮捕されちゃった。いまニュースサイトを見てたら──」

「なんだって。なんで明日美が」

 にわかには信じられなかった。明日美はグラビアで売り出そうとしている、うちのなかでもいちばん新しい子だった。大学に通う、とても真面目な子なのに。

「覚醒剤の所持でだって。──ねえ、ねえ、信じられる? 一緒に逮捕されたのが俳優のまるやまけいすけだっていうのよ。なんで、明日美ちゃんがあんな大物と知り合いなわけ」

 まるで憤慨したような言い方が島本の耳についた。

 ガタッともの音がした。目を向けると、月子が立ち上がっていた。

「どうした」

「…………」月子は放心したような顔で口を開けた。「どうしたらいいんでしょう。こういうとき、私、何をしたら……」

「そうだな。事務所として対処しないと」驚いてばかりはいられない。

 弁護士をつけてやったほうがいいのか。その前に明日美の親と連絡をとらないと。いやまず、そのニュースを見てみないことには始まらない。島本はパソコンに向かい、インターネットのブラウザを開いた。丸山啓輔、逮捕と検索ワードを打ち込みながら、ふと顔を上げた。

 月子は突っ立ったままだった。まだ放心しているのかと思ったが違った。息を詰め、必死に何かを考えているような顔をしていた。

(つづく)

関連書籍

新野剛志『ヘブン』

東京の裏社会に自らの王国を築いた「武蔵野連合」、真嶋貴士。後ろ盾のヤクザに歯向かい東京を牛耳る企みは大抗争の末、破綻。数年後 男の姿は、タイのジャングル、麻薬王のアジトにあった。クスリ漬けの芸能界、アイドルの売春、政界との癒着、没落した半グレ、宗教団体の罠、暴力団の報復……。腐り切った悪に勝てるのは悪しかない。王者の復讐が今、始まる。

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