
パソコンで作業する手を止め、少しぼーっと休んでいたら、目のまえに男性の大きな体が現れた。彼はたまに店内で見かける人だが、今日は困ったような笑い顔を浮かべながら、「ここでは本も選んでくれるの?」と尋ねてこられる。
聞けば職場の同僚が異動することになり、何かプレゼントがしたいのだという。
「そんなに親しいわけではない」
「何が好きなのかわからない」
そう聞いて、それではわたしも選びようがありませんと笑ったが、自らを持て余した、男性の不器用そうな仕草が妙に心を打った。「相手の好みがわからないというのなら、お客さんがいいなと思う本を差し上げるしかありませんね」。
そのように伝えると、男性はうむむという顔をしたのだが、すでに意中の一冊があったのだろう。踵を返すように本棚に戻ったと思ったら、その本を手に取って、またすぐに戻ってこられた。
誰かに本を贈ることは難しい。自分がいくらその本のことが好きでも、相手が同じようにその本をいいと思ってくれるかどうかはわからない。
それでも人は人生の節目、何か想いを伝えたいときなど、誰かに本を贈ろうとする。相手のことを思いつつ、自らの一部を差し出すような気持ちが、
わたしは職業柄、誰かのために本を選ぶことも多いが、初対面の人に本を選ぶときは、自分が試されているような気にもなって、途端に緊張してくる。
誰かに本を選ぶことは、その人に似合う洋服を想像し、それをあてがいながら決めていくようなものだ。だからなるべくなら情報は多いほうがよい。普段はどういうジャンルの本を読むのでしょう。小説? エッセイ? 詩には興味がありますか……(詩集は美しい装丁のものも多く、贈り物には最適だ)。その人の年格好や雰囲気も参考にするし、手紙で届いた依頼であれば、筆跡やその人が選んだ言葉などから、まだ見ぬ人物像を想像したりもする。
選んだ本が「正解」だったかどうかは、その人の反応をみれば大体わかる。ぱっと顔がかがやくときは、それがあたりだったという証拠だが、多くてまあ三回につき一回くらい。それ以外は黙っておられるか、うーん、面白そうねと言いながら、遠巻きにして本を眺めているといった感じだ。
一度こちらで選んだ本を、あとから慌てて返しにこられた方がいた。病人の見舞いに持っていくということで、〈気持ちが優しくなれる本〉を希望されたのだが、
贈り物には鉄板だと評判の本だったから、こちらもつい安心して渡したのだった。そのときは恐縮してすぐに別な本と交換したが、人に本を選ぶときの怖さと責任を痛感した。
親身になって相手の立場に立たないと、その人にとって何が大切なことなのか見えてはこない。穴があったら入りたいとは、ほんとうにこのことであった。
わたし自身は、どうしてもその本でなければという場合を除き、誰かに本を贈ることは少ない。普通に本を販売しているだけでも、何かを「手渡している」気にはなるので、それだけでお腹がいっぱいということはあるのだろう。
「この前ここで買った絵本、子どもが気にいってずっと離さないんです」
そのように伝えられたときなどはうれしくて、渡したこちらのほうが、何か贈り物を受け取ったような気にもなる。
本はあくまでも個人的なものであるから、誰にでも合う本というものは存在しない。だからこそ我々は、少しでもその人に近づきたいと願い、
今回のおすすめ本
〈本〉という形で見たい写真がある。怪我をした犬と過ごした12年を撮った写真群は、通して眺めるだけで、その親密な時間に自分も立ち会っているような気にさせられる。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。