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敗軍の名将

2021.10.12 更新 ツイート

なぜ彼らは上官の理不尽と同調圧力に抵抗することができたのか? 古谷経衡

戦争という狂気の時代に、上官の理不尽な命令に抵抗し、信念を貫いた指揮官がいた――古谷経衡さんがインパールほかすべての戦跡を現地取材し、牟田口廉也の部下だった佐藤幸徳ら4名の決断と行動をたどった『敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』が刊行されました。本書から「はじめに」をお届けします。(記事の最後に刊行記念イベントのお知らせがあります)

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同調圧力と理不尽への抵抗

圧倒的な火力を誇る米軍の前に、バンザイ突撃を繰り返して屍の山となる日本兵。密林の中で敵の空襲から逃れながら、飲料水すら事欠き物資欠乏状態で餓死する日本兵。太平洋戦争における日本兵と日本軍のイメージは、おおむねこのような形で繰り返し映像や物語として語られてきた。一方でここ20年ほど、あの戦争を「アジアの解放のための戦いだった」と定義し、むしろ日本軍の開戦初期における快進撃や有利な戦いのみにフォーカスする動きも加速している。

私設インパール博物館に展示された日英両軍の遺棄物・遺品(著者撮影)

果たして太平洋戦争を、いずれの視点で捉えればよいのか。答えはその両方である。大本営の立てた無謀な作戦の中で、遠いジャングル地帯に倒れた日本兵と、アジアの欧米植民地や自治領に対し果敢に攻勢作戦を決行して成功した日本軍の姿は、両方事実であり、私たちは常にこの両方の視点を総合的に勘案してあの戦争を捉えなければならない。

しかしながら、その両方の視点を合わせても、結果として日本が敗北したことは揺るがしようのない事実である。全般的に日本軍部は米英の戦力を侮り、日本の工業力―― つまり航空機生産力や物資補給力以上に戦線を拡張した結果、無残な敗北に終わった。その結果あの戦争で軍人230万人、民間人80万人が死んだ。この事実を無視することはできない。

その理由は、大前提として日本の工業力の乏しさにあったが、それと同時に東京の大本営が机の上だけで考え、認可した荒唐無稽な作戦計画のまずさであった。日本兵のほとんどはいくら劣勢になっても投降を拒否し、無意味な総攻撃を繰り返して、最後まで米英軍との戦いを続け、アッツ、ガダルカナル、ニューギニア、フィリピン、サイパン、硫黄島、沖縄等で玉砕していった。「国家総力戦」という、工業力を筆頭に国家が持てるすべての能力を戦争につぎ込んだ第二次大戦において、日本の戦争指導部ほど無責任で、戦略的概念を喪失した人々はいない。これについての国民的総括は、戦後長らくを経た現在でも行われていない。

軍隊とは上意下達の完全なる階級ピラミッド組織である。上官や中央がYESと言えば、どんなに理不尽な作戦や命令でも部下である現場はNOと言うことはできない。NOと言えば「抗命」とされ、軍法会議で死刑もあり得る。このような理不尽な状況の中、日本陸海軍の多くの将兵は、東京の大本営が決めた作戦に律義に従って密林や山岳や空や海に散っていった。彼らを「英霊」と言えば聞こえはよいが、言い方を変えれば理不尽極まりない命令に従わされた犠牲者とも言える。

しかし当時の日本軍将兵の全員が、理不尽で無謀な計画に従ったのかというと、これは間違いである。日本軍と言えば根拠の乏しい非科学的な精神主義、能力以上の攻撃精神、玉砕を前提とした特攻と破滅がイメージされ、実際にそうした場合が多かったのだが、現代の社会においても、世の中の同調圧力や上司、中央からの理不尽な要求に正論で抵抗し、極めて合理的で冷静な判断力を持つ人々が少なからずいるように、当時の日本軍にもそのような人々がいた。

彼らは玉砕や特攻という軍事的には無意味な作戦命令を否定し、強い制約のもとで最後まで 合理的精神を持ち続けた。結局日本軍は敗北したが、彼らを単に「敗軍の将」として断じるだけでよいのだろうか? そこから私たちは、現代に通底する同調圧力と理不尽な命令や計画への抵抗という、普遍的な反省と教訓を得ることはできないだろうか?

本書で扱うのは、戦争という狂気の時代、なおも正気を保ち続け、暗愚な上官や中央の命令に最後まで抗い、手持ちの資源しか使えないという厳しい制約の中で、精神主義や非科学に傾倒することなく、合理的精神を貫いた不屈の指揮官たちである。

彼らの行動の中にこそ、憲法は変わり民主的傾向が復活したかに思える戦後日本社会においても、ほぼ当時と変わらない無根拠な精神主義や非科学的精神論、同調圧力が跋扈する現代を生きる私たちにとって、あまりにも多くのヒントがあると思うからである。私はあえて彼らを「敗軍の将」とは呼ばない。「敗軍の名将」と呼ぶ。

4人の「敗軍の名将」

本書で取り上げるのは以下の将軍と司令官たちである。1人目と2人目はインパール作戦に従軍した佐藤幸徳(こうとく)中将とその部下、宮崎繁三郎(しげさぶろう)少将(のち中将)。インパールという言葉自体、現在に至るまで「無謀・無策」の代名詞として人々の記憶に残っている。補給の実態を全く無視して行われたこの作戦によって、参加した日本兵約10万人のうち、実に約4万人が死んだ。そのほとんどが飢えとマラリアによるものであった。日本兵が撤退したジャングルには白骨が転がり、「白骨街道」と呼ばれたのは有名である。

だが、この「無謀・無策」の象徴とも言えるインパール作戦にあって、日本軍の中では軍の歴史上唯一、部下の命を守るために軍法会議での死刑も恐れず、上官に逆らって撤退行動を採ったのが佐藤中将であった。また、餓死とマラリアが蔓延した日本軍部隊の中で、実は一人の餓死者も出さないで撤退に成功したのが宮崎少将率いる宮崎連隊(第58連隊)である。極限の状況にあって、最後まで正気と合理的価値観を失わなかった2人の将軍は、どのような過程をたどり、いかにしてその決断をするに至ったのかを振り返る。

3人目は沖縄戦における高級参謀・八原博通(やはらひろみち)大佐。沖縄では軍民合わせて20万人の犠牲者を出した凄惨な地上戦が展開され、日本軍の一方的な敗北というイメージが強い。しかし八原は、上官や東京の大本営の方針とは全く違う防衛計画を考えていた徹底した合理主義者だった。

沖縄戦は日本軍が圧倒的な米軍に対して手も足も出なかったという印象が強いが、実は米軍上陸から約1カ月、無限とも思える圧倒的な米軍を五分五分の状況で抑え込んだ作戦を立案し、実行したのがこの八原大佐である。八原は沖縄守備隊司令部において唯一の生き残りとして戦 後を生き、戦後、沖縄戦の述懐録を出版している。八原の記録を中心に、八原の考えた「上官 や東京の大本営の方針とは全く違う防衛計画」とは何だったのかを振り返る。

4人目は、戦争末期、当時の日本軍としては最新鋭であった爆撃機「彗星」を用いて、主に鹿児島基地を中心に航空作戦の指揮を執った美濃部正(みのべただし)少佐である。1944年10月、米軍がフィリピン・レイテ島に上陸すると、日本海軍は初めての特攻作戦を行った。これ以後特攻作戦は、陸軍海軍を問わず、日本軍の捨て身の戦法として常態化し、多くの青年たちが海に散っていった。

一億総特攻、一億玉砕が叫ばれた戦争末期、東京の大本営にも現場の軍にも「特攻はやるしかない」という空気が色濃く広がっていた。しかし美濃部だけは違った。特攻作戦は軍事的に成果が少なく、かえって搭乗員の士気を低下させる。「生きて帰ってまた出撃すること」を合言葉に、最後まで特攻作戦ではなく、限られた資源という制約の中で、徹底的な創意工夫を行い作戦を実行し、終戦まで1機の特攻も出さなかったのが美濃部の部隊であった。ここにもまた、狂気の時代にあって正気と合理的価値観を失わなかった司令官の姿があった。美濃部の戦法と創意工夫から、現代の私たちが得ることのできる教訓を発掘する。

ちなみに執筆にあたって、私は本書で登場するすべての地に赴き、取材を行っている。インド東部のインパールとコヒマ、沖縄、美濃部部隊の拠点となった鹿児島のすべてに、何度も足を運んだ。よって本書は、多くの資料や文献を参考に構成されているが、最も重要なのは私自身の観察と観測に重きを置いていることである。だから紀行文的な記述も登場するが、戦跡に行かないでそれを書くというのは、実際の戦場の地名も場所も知らないで無謀な作戦を立案し強制した東京の大本営と同じ愚になると考えるゆえに、こういった記述を重視している。

さらに、太平洋戦争の理解は、ひとつの戦線や作戦を詳細に追っていけばそれで完結できるというものではない。太平洋戦争自体、1937年から続く日中戦争の延長にあり(もっと言えば1931年の満州事変から)、1939年9月からの欧州での第二次大戦の戦況と密接にリンクしている。太平洋戦争への俯瞰的理解には、これらの将軍や司令官の行動のみを記していけばよいわけではない。よって本書では、できるだけ戦争全体の把握ができるよう、補助的に欧州戦線やその背景にあった国際関係、国内事情等にも筆を進めている。

同調圧力と理不尽と、時として再び狂気にさらされつつある現代日本において、「敗軍の名将」から得られる教訓が現状打開の一助となれば著者としてこれ以上の喜びはない。

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敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』の刊行を記念し、10月20日19時半から、近現代史研究者の辻田真佐憲さんとのトークイベント「日本は太平洋戦争の失敗を繰り返すのか」を開催します。アーカイブ視聴もできます。詳細・お申込みは幻冬舎大学のページからどうぞ。

関連書籍

古谷経衡『敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』

インパール作戦で上官に逆らって撤退を決断した佐藤幸徳(さとうこうとく)、その配下で1人の餓死者も出さず撤退に成功した宮崎繁三郎(みやざきしげさぶろう)。沖縄戦で大本営の方針と異なる作戦を立案・実行し、米軍を抑え込んだ八原博通(やはらひろみち)。特攻を拒み、独自の作戦で戦果を上げた芙蓉部隊の美濃部正(みのべただし)――戦争という狂気の時代に、なぜ彼らは、暗愚な上官・中央の命令に抵抗し、信念を貫くことができたのか? 太平洋戦争を俯瞰しながら、4人の指揮官の決断と行動をたどる。根拠なき精神論・同調圧力・理不尽が跋扈する現代日本への教訓の書。

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古谷経衡

文筆家。1982年北海道札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。時事問題、政治、ネット右翼、アニメなど多岐にわたる評論活動を行う。テレビコメンテーターのほか、ラジオМCとしてもメディアへの出演多数。『「意識高い系」の研究』(文春新書)、『日本を蝕む「極論」の正体』『左翼も右翼もウソばかり』(ともに新潮新書)、『女政治家の通信簿』『草食系のための対米自立論』(ともに小学館新書)、『毒親と絶縁する』(集英社新書)、長編小説『愛国商売』(小学館文庫)、など著書多数。

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