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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

2012.03.15 公開 ポスト

その73

文字に興味をおぼえる望月昭/細川貂々

 我が家のお風呂場には、半年ほど前から「あいうえおひょう」というものが貼ってある。金の星社発行、いもとようこさんの絵が入っている。僕の母が気まぐれに買ってきて渡してくれたものだ。耐水性なのでお風呂に貼れる。
 お風呂場が華やかになったので、貼った当初は息子は「わぁー」と喜んだが、その後しばらく無視状態だった。相棒が「ち」「と」「せ」などと、息子の名前の一文字一文字を指し示しても「じぇいあーるってどれ?」などと息子はとぼけたことを言うばかりだった。
 それが、ここにきて、ついに文字のなんたるやを理解したようだ。

 おそらく、きっかけは幼稚園だと思う。一月から通い始めた幼稚園。社会生活というものをすれば、さまざまな情報が文字で管理されていることに気づくのだろう。そして幼稚園で文字を読む手ほどきもしてくれているのだろう。
 幼稚園に通うようになったので、急速に文字にも目覚めた。まあたぶん、そういうことに違いない。
 とはいえ、お風呂に入ったとき「あいうえおひょう」を見て僕に所望する文字は「いたみ、ってどれ?」である。「いたみ」……「痛み」ではない。JR宝塚線の伊丹駅のことである。今、好きな文字は「いたみ」なのだ。「いたみ」は確かに美しいような気がする。「たからづか」や「かわにしいけだ」は文字も多い。「さんだ」「あまがさき」「なまぜ」は濁点が入っている。三文字で濁点なし。これが今の息子にとっての美しい駅名なのかもしれない。いや、あくまでも「あいうえおひょう」で指し示す上での便宜でもあるが。
 JRじゃなくて阪急ならどうなんや。と思ったが、阪急の駅名でも同様に美しいものはなかなかない。「きよしこうじん」「めふじんじゃ」しまいに「ひばりがおかはなやしき」である。「みのお」がなかなか良いと思うが、支線なので足を運ぶことが少ない。

 実は、我が家はこの一カ月ほどは毎週末に移動のスケジュールとなっていた。三月が自殺対策強化月間ということもあって、その直前に毎週あちこちの会場に伺って簡単なトークショーの出演をしていたのだ。半年ほど前から組んでいた予定だったが、実際にそのときがやってくると、巷ではインフルエンザが流行しているし、我が家でもインフルエンザではないが、かなり悪質な風邪を息子がどこからかもらってきてしまい、それに苦しめられたりもした。それでもなんとか、週末に長距離移動をし、一泊してトークショーを行う。その間、息子は現地での託児だ。たいてい託児つきのイベントなので、その第一号にしてもらう。長距離を戻ってきて、また月曜日から金曜日まで息子を幼稚園に通わせるという日程だった。ローカルな電車にはいろいろ乗れたのだが、それなりにハードではあった。

 その最後の日程が、三重県の津市を訪問するというもの。近鉄特急に乗って行った。そして着いた駅が「つ」だったわけだ。ひらがな一文字で駅名を表すと「つ」である。これは美しい。
 息子もなかなかびっくりしたようだ。
 しかし考えてみると、ずいぶん思い切った地名だ。千葉県民だったときは「津田沼」「谷津」という地名と馴染みがあったし、関西に移ってからも「大津」「草津」という場所はしばしば訪れたりもしている。前者は海の干潟あたりのことで、後者は琵琶湖のほとりという意味だろうが、「船着場」のことなのだそうだ。日本語には「津々浦々」という熟語もあって、これはあちらこちらから集めたという意味なのだが、まあそれだけ日本には海に面した土地が多いということでもあるのだろう。
 ちなみにホームに降り立ってみたところ、近鉄側の駅名表示盤では「津」の文字のほうが大きく書いてあり、ひらがなの「つ」のほうが小さかった。でもJRのほうではひらがなの「つ」のほうが大きく書いてあり「津」の文字は小さかった。
 息子は嬉しそうに「つ」「つ」と何度も指差して言っていた。

 津はなかなか面白い場所で、駅ビルの名前が「アスト津」と書いてある。どういうネーミングか考えるまでもなく、アルファベット表記が「UST‐TSU」短い地名をさらにひっくり返してみたわけだ。もっとも心の健康トークで訪れた僕には、これが「UTSU」に見えてしまったのだが。津の名物は「津ぎょうざ」というものがあるらしい。でも、現地の人に訊いてみると。
「津ぎょうざ、っていうのが有名なんですか?」
「ああ、あれ? 学校給食によう出てたなあ」
「津ぎょうざ、ってどこで食べられるんですか?」
「……うーん、給食、くらいかなあ」
 そんな名物なのである。あと、鰻も有名らしいのだが。
「鰻が獲れるんですか?」
「いや、鰻は静岡の鰻やと思います〜」
 そんな感じなのである。駅のお土産売り場では、四日市の「なが餅」や松坂牛しぐれ弁当なんてのも売っていた。県庁所在地として三重県の特産品を網羅しているということだろう。息子は相棒にねだって、近鉄アーバンライナーの靴下を買ってもらっていた。伊勢の特産品、赤福餅も売っていた。しかし、津独自のお土産がないのが、ちょっと寂しい。
 でも帰りに大阪駅を通ったが、大阪駅でも赤福餅を売っていた。大阪というところも独自のお土産がない。得てして都道府県庁所在地というのはそういうものなのかもしれない。いや、千葉はピーナッツがあったが……ピーナッツ、人気なかったなあ。

 さて、三重県から戻ってまた平日は幼稚園通いの日々が続く。
 幼稚園三カ月目に入った日々の変化としては、ついに幼稚園まで完全に歩いて登園ができるようになったことだ。
 実は、息子は幼稚園に通い初めて、最初の二カ月は八割がた歩いていなかったのである。ベビーカーは昨年末に卒業したのだが、幼稚園までの道すがら「だっこー」「おんぶー」「かたぐるまー」と要求を出し、僕がついそれに応えてしまっていたため、情けない登園状況になっていた。肩車で登園してくるコなんてのは他にいない。
 とはいいながら、自家用車で登園してくるコはけっこういるので、肩車もまあ車のうちかと甘やかしていた。そのうちに自分から恥ずかしくなって歩いてくれるのではないかとも思っていた。
 僕の期待は、甘かった。
 息子が熱を出したり、雪の日の登園などもあって過保護にしてしまったため、先月などはさらにつけあがってしまい、自宅から幼稚園まで一歩も歩かないような状況になっていた。地面に降ろすと、歩かずに道路の上で地団太を踏んで泣きわめく。ゴロゴロ転がって側溝に落ちる。ひどいもんだ。
 しかし、そんな過保護な状況もついに、僕が腰を痛めてしまったことで終わりが来る。僕も油断していた。幼稚園のお迎えがてら、食料の買出しに行って、牛乳やサラダ油をリュックに詰めた状況で息子を肩車し、それで坂道の階段を上ろうとしたところ、腰にグキッと違和感があった。息子のように道路上に寝そべりたかったが、いい大人なのでそれもできず、息子を放り出して這うようにして戻ってきた。息子は泣き叫びながらも、僕の姿が見えなくなると走って追いかけてきて、自宅まで自力で戻ってきた。そのあと、僕が寝たり起きたりする度に苦しんでいる様子を見て、息子も息子なりに何かを察したらしかった。
 翌日は大雨だったが、息子は傘を差して幼稚園まで歩いた。その日から、もう一回も肩車もだっこもおんぶもしていない。……というか、僕の腰痛が回復してきたとはいえ、やっぱりもう頼まれてもできないと思うんだけど。

 息子は今日もお風呂で「あいうえおひょう」を見ながら、僕に文字を示してくれと要求してくる。濁点や半濁点というものも少しずつ理解してきているようだ。「は」「は」にマルをつけると「ぱ」「ぱ」、てんてんをつけると「ば」ぁ「ば」だね、などと言っている。
 しかし、理解していないこともあって、「トーマス」の「トー」はどれ?「マス」はどれ? などと二文字を一文字と解してしまうこともしばしばある。外国語由来の発音に関しての誤解が多いようだ。

 数も数えられるようになった。
 ついこの間まで「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」と数えて、戻ってくるときも「じゅう、きゅう、はち、しち……」「ご、し、さん、に……」と数えていたのだが、いつのまにか「じゅう、きゅう、はち、なな」「ご、よん、さん、に」と正しい日本人の数え方になっている。
 これもきっと、幼稚園で習ったのかなあ。 

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『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。

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望月昭/細川貂々

望月 昭
1964年生まれ。幼少期をヨーロッパで過ごし、小学校入学時に帰国。セツ・モードセミナーで細川貂々と出会う。 卒業後、外資系IT企業で活躍するも、ある日突然うつになり、闘病生活に入る。2006年12月に寛解。現在は、家事、育児を一手に引き受ける。著書に『こんなツレでごめんなさい。』(文藝春秋)がある。

細川貂々
1969年生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、漫画家、イラストレーターとして活動。夫のうつ闘病生活を描いた『ツレがうつになりまして。』がベストセラーに。結婚12年目にして妊娠が発覚。現在は、夫と息子、ペットのイグアナたちと同居中。その他の著書に『その後のツレがうつになりまして。』『イグアナの嫁』(共に小社刊)『どーすんの?私』『びっくり妊娠なんとか出産』(共に小学館)など多数。

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