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  4. 徳川幕府瓦解の陰にコロリあり

医学的・歴史的資料をもとに、人類がウィルスといかに闘い、打ち勝ってきたかを明らかにする『世界史を変えたパンデミック』(小長谷正明氏著、幻冬舎新書)が発売即重版と反響を呼んでいる。
今回は「黒船伝来の虎狼痢──コレラ」を抜粋して紹介する。
250年続いた徳川幕府はなぜ若い志士に倒されたのか? その陰には黒船来航後に起きたパンデミックがあった。

*   *   *

木村竹堂作「虎列刺退治」明治19(1886)年

大河ドラマの幕末ものに抱く違和感

NHKの大河ドラマは、昭和38(1963)年の第1回目『花の生涯』から、ほとんどずっと観つづけてきた。
しかし幕末維新ものでは、『徳川慶喜』にしろ、『竜馬がゆく』、『花燃ゆ』、ついこの間の『西郷(せご)どん』でも、違和感がのこった。
なぜ、盤石だったはずの徳川幕府が、尊王攘夷を口にする勤王の志士、いわば過激派の若いはねあがりの輩(やから)に倒されてしまったのか。
その陰では幕末に黒船に乗ってやってきた疫病が、幕府の屋台骨をゆるがし、瓦解へとみちびいたのだ。

黒船と日米和親条約

1853年7月(嘉永6年6月)、アメリカ合衆国マシュー・ペリー提督は、4隻からなる艦隊、いわゆる黒船で東京湾に入り、三浦半島の浦賀(横須賀市)に停泊した。
日本に開国をうながす目的である。

マシュー・ペリー提督 1856-58年撮影/メトロポリタン美術館蔵

ペリーと徳川幕府は交渉をはじめ、フィルモア大統領から徳川将軍への国書を久里浜で浦賀奉行に手渡した。
次の年の2月(嘉永7年1月)、7隻の艦隊で、ペリーはふたたびおとずれた。
外交交渉がはじまり、日米の友好関係、下田と箱館での艦船必要物資の供給、遭難船員の保護を取りきめた日米和親条約が締結された。

4年後、黒船ミシシッピ号は、新たにはじまった日米の通商交渉に圧力を加えるべく、3たび日本にやってきた。
安政5年5月21日(1858年7月1日)に長崎に入港し、6月14日(西暦7月24日)には、条約交渉がおこなわれている伊豆の下田に姿をみせた。

黒船がやってきた長崎でコレラ発生

しかし、ミシシッピ号があとにした長崎では大変な悪疫がはやりはじめていた
病人は、突然、はげしい嘔吐と下痢の胃腸症状を発症し、米のとぎ汁のようなうすい水様便を大量にくだすのだ。
そして、みるみるうちに手足はしわくちゃになり、目はくぼみ、体がひからび、ついには手足をけいれんさせて1日2日のうちに死んでしまう。
コレラ(虎列拉、虎列剌)である。
幕府に招請されて長崎で“医学伝習”をしていた、オランダ海軍の軍医ポンペ(ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト)は次のような内容の報告書を長崎奉行にあてて書いている(*1)。

「安政5年6月3日(陽暦1858年7月13日)には長崎出島、市内ともに吐瀉病が多発している。既に6月2日だけで20~30人の患者が発生しており、また米国蒸気船ミシシッピー号においても同様の胃腸病が多発しているので、これは流行性のものと考えられる。この病気は清国の海岸都市でも流行し、毎日多数の死者があると聞いている。長崎出島にいるヨーロッパ人はこの下痢症が変症して真性コレラにならないように努めている」

ポンペは門下生の日本人医師を指導して、治療と予防に努めたようだが、8月中旬(和暦)の流行終焉時までに、人口6万人の長崎で1583人が発症し、767人が死亡している。
死亡率は48%だ。

安政のインフォデミック

悪疫は長崎だけにとどまらず、大阪や江戸にもおよんだ。
流行り病のスピードは速く、1日に千里を走るがごとしで、また発症してあっという間にころりと死んでしまうので、コロリ(虎狼痢)ともよばれた

江戸には早くも7月(和暦)上旬には虎狼痢はかけつけてきている。ミシシッピ号の長崎入港から2ヶ月たらずである。
なお、この黒船は6月中旬(和暦)には下田にも来ていたので、ここから江戸に伝播した可能性もあるが、それを裏づける文献はない。

虎狼痢は江戸全域に広がって猖獗(しょうけつ)をきわめ、「東海道五十三次」で有名な浮世絵師の歌川広重も犠牲となった

歌川広重作「東海道五十三次之内 江尻 清水之湊遠望」1842年頃/メトロポリタン美術館蔵

諸説はあるが、この年の江戸での虎狼痢の死者は3万~4万人程度と考えられている。
短期間の大量死で、棺桶がたりなくなり、酒の空樽に骸をおさめたり、土葬用の墓地がなくなり火葬に切りかえたりしたが、それでも処理できなくなり、ついには品川沖で水葬にしたという。

原因不明の疫病は、いつの時代でも人心をまどわす。
うなぎやいわし、栗やネギを食べるといけない、水がいけない、酒もダメだ、いや、いいらしい、玉川上水の中に毒があるなどといううわさが飛びかった。
さらには、“亜米利加人が悪しき狐を残しおいて人に憑かせて、日本人を悩ましている”のだとか、妖怪変化の所為(せい)也という説もながれる。
安政のインフォデミック(infodemic、誤った情報が蔓延して社会に害をおよぼすこと)だ
また、人々の往来がなくなり、物流がとだえ、経済的な混乱も起こっていた。
2020年の新型コロナウィルス禍でも、世界中でこのようなことが起きている。

干からびて死んでしまう猛烈な脱水症

コレラはコレラ菌による感染症で、水や食物を介して口から感染する。
この細菌がつくるコレラ・トキシンの作用は、本来は腸管から水を吸収するはずの腸の粘膜が、逆に体内の水を腸管のなかに排出させてしまう
だから、大量の水のような下痢がおこり、極端な脱水症になり、ひからびて死んでしまう。

安政の虎狼痢の折、多くの医師が治療をこころみたが、ほとんど有効なものがなかったなかで、京都の医家・新宮凉閣(しんぐうりょうかく)が、「冷水飲服(ママ)を忌憚(きたん)なく施して、86人が助かり、療法効なきは17人なりし」と述べている(*2)。
大量の水分補給が有効だったのだ。

(写真:iStock.com/taa22)

現在も脱水対策が抗生物質使用とともにコレラ治療の基本である。また、ワクチンも開発されている。
もともとはガンジス川河口のベンガル地方の風土病だったが、交易のグローバル化によって何度かパンデミックを起こしている。

コレラ以降、日本人は外国人を敵視

安政の虎狼痢は2、3年続いていったんは収束したが、文久2(1862)年には再燃して、ふたたび死者何万人かの大流行をしている。
さらに、同じ年に麻疹が大流行した。またまた長崎から上方、江戸にもおよび、多数の死者がこれでも出ている。

黒船による開国は、疫病に加えて、為替取り決めの失敗から国内の金が流出してインフレをもたらしてもいた。
その結果、人々は外国人にネガティヴな印象をもつようになり、心情的には攘夷に染まっていった
そして、尊攘派のテロは外国人にもおよび、長州の伊藤俊輔(博文)は品川のイギリス公使館を焼き討ちし、薩摩藩士は生麦事件を起こしている。
出島にいたオランダからの医学伝習医ポンペは、のちに次のように回想している(*1)。

「1858年7月(陽暦)に米艦ミシシッピー号が清国から日本にコレラを持ち込んだ。
1822年以来、日本ではこの恐るべき疾病についてはまったく聞くところがなかったが、今回はたくさんの犠牲者が出た。
市民はこのような病気に見舞われてまったく意気消沈した。
彼らは、この原因は日本を外国に開放したからだといって、市民のわれわれ外国人に対する考えは変わり、ときには、はなはだわれわれを敵視するようにさえなった

長州や薩摩などの反幕府勢力がとなえる攘夷のプロパガンダに、諸藩も民衆もうなずくようになり、幕府の権威は日に日に落ちていった。
戊辰戦争での官軍側に西日本の諸藩が多いのは、それらの国々で虎狼痢が猖獗をきわめたことが伏線だったにちがいない。
そして、時代は明治維新へと進み、一転、外国の文物を積極的に取りいれ、文明開化の時代となっていく。


*1─山本俊一著『日本コレラ史』東京大学出版会、1982年
*2─富士川游著『日本疾病史』平凡社東洋文庫、1969年
・合衆国海軍省編、大羽綾子訳『ペリー提督日本遠征記』グーテンベルク21、2014年
・大佛次郎著「天皇の世紀」1、2 朝日新聞社、1969年

関連書籍

小長谷正明『世界史を変えたパンデミック』

2020年、世界は新型コロナウィルスの感染爆発に直面した。人類の歴史は感染症との闘いの記録でもある。14世紀ヨーロッパでのペスト流行時には、デマによりユダヤ人大虐殺が起こった。幕末日本では黒船来航後にコレラが流行、国民の心情は攘夷に傾いた。一方で1803年、スペイン国王は世界中の人に種痘を無償で施し、日清戦争直前には日本人医師が自らも感染して死線をさまよいつつペスト菌発見に尽力した。医学的・歴史的資料をもとに、人類がウィルスといかに闘い、打ち勝ったかを明らかにする。

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世界史を変えたパンデミック

2020年5月28日発売の『世界史を変えたパンデミック』の最新情報をお知らせします。

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小長谷正明 医学博士/国立病院機構鈴鹿病院名誉院長

1949年千葉県生まれ。79年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。専攻は神経内科学。現在、国立病院機構鈴鹿病院名誉院長。パーキンソン病やALS、筋ジストロフィーなどの神経難病を診断・治療する。医学博士、脳神経内科専門医、日本認知症学会専門医、日本内科学会認定医。最新刊『世界史を変えたパンデミック』のほか『世界史を動かした脳の病気』『医学探偵の歴史事件簿』『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』『ローマ教皇検死録』『難病にいどむ遺伝子治療』など著書多数。

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