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世界史を変えたパンデミック

2020.06.08 更新 ツイート

ローマの守護神は疫病マラリアだった 小長谷正明

医学的・歴史的資料をもとに、人類がウィルスといかに闘い、打ち勝ってきたかを明らかにする『世界史を変えたパンデミック』(小長谷正明氏著、幻冬舎新書)が発売即重版と反響を呼んでいる。
今回は「永遠の都を守ったローマの友だち――マラリア」を抜粋して紹介する。
ローマを襲う蛮族たちはマラリアに阻まれて撤退を余儀なくされてきた。だがなぜローマ人自身はマラリアで全滅しなかったのだろうか?

*   *   *

(写真:iStock.com/vwalakte)

エンデミックに守られるローマ

全世界的に広がる流行病をパンデミックというのに対し、局所的、風土病的流行をエンデミック(endemic)という
永遠の都ローマは、何度もこのエンデミックにより、外からの侵入者を排除してきた。

調べてみると、西暦1001年~2000年までの二千年紀に正統な教皇は126人が登位して、20人が熱病で亡くなり、このうちマラリアあるいはマラリアが強く疑われる教皇は9人である。
ローマではしばしばマラリアが大流行し、何人もの教皇や枢機卿がかかっている。
昔はこのあたりは沼沢地(しょうたくち)で、沼地の真ん中にある寺院がバチカンであったのだ。

古代ローマ人は病原菌を的確に見抜いていた

地中海周辺の地域にはマラリアが昔からあり、マラリアの微生物原因説は古代ローマ時代にすでに言われていた。
紀元前75年にローマの護民官をつとめたマルクス・テレンティウス・ウァロが『農業論』という本の中に、

「家屋の敷地には沼沢などがあるかないかを十分顧慮しなければならない。沼沢には目に見えないある種の小動物が発生して、大気中に飛散して人の鼻腔から体内に侵入し、重い病気を起こすからである」

と記載しているという(*1)。
細菌などの病原性微生物が発見されるよりも約2000年前の記述である。

西暦476年に西ローマ帝国が滅んでからは、蛮族の襲来があいつぎ、そのたびに水道とテヴェレ川の堤防が破壊されてローマ周辺は湿地帯となり、マラリアが本格的に風土病として定着してしまい、「ローマ熱」とよばれた。

ローマを襲う民族はマラリアに阻まれる

「ローマの友だち」という言葉は、中世の学者アルクィンの言葉である。
イングランド出身だが、若いころにローマに留学し、のちにライン川流域のアーヘンにあるカール大帝の宮廷に召しかかえられた。
その地でアルクィンはときどき熱を出し、ふるえ、そのたびに「ローマの友だちが来た」と口にしていた。
皮肉をこめてマラリアのことをそう呼んでいたのだ。

現実の歴史でも、やはりマラリアは「ローマの友だち」であった。
古代末期の民族大移動では、何度もいろいろな蛮族がローマに襲ってきたが、どの民族も定着できなかった

410年に起きた西ゴート族侵入がゲルマン民族大移動の最初で、ローマを荒らしまわり、古代文明の中心地に大打撃をあたえた。
が、このとき、族長のアラリック自身は熱病にかかり、亡くなっている
その後も、ヴァンダル族や東ゴート族などの侵攻があったが、いつも熱病が蛮族の前に立ちはだかっていた。

キリスト教全盛の中世になっても、神聖ローマ帝国などの勢力が何度もローマをねらった。
が、なおもマラリアによるガードは堅かった。
神聖ローマ帝国といっても本拠地はアルプス北方で、皇帝も兵隊たちもドイツ人であり、温暖で豊か、それに文化的で華やかにうつるイタリアを征服したくてしょうがない。
ローマ教会保護を口実にしてはアルプスを越えてイタリアにおりてくるのだが、その都度軍隊はみなマラリアで倒れてしまい、結局は撤退せざるをえなかった

それから450年経った1527年、イタリアはルネサンスのまっただ中であった。
そこに神聖ローマ帝国皇帝カール5世の軍隊がイタリアに侵攻してきた。
5月にはローマをおそい、教会も修道院も貴族の家も見境なくおそって、金銀財宝をうばい、聖職者はなぶり殺しにし、尼僧でも凌辱された。
1万人近くの市民が殺され、大勢がローマを離れ、人口は5万5000人から1万人へと激減した。

《皇帝カール5世の勝利》版画、1555年/大英博物館蔵

こうして、華やかなルネサンスの時代にピリオドを打つことになったが、教皇から莫大な身代金を手にしたものの、皇帝の傭兵たちはローマに居すわることはできなかった。
夏になると熱病が流行して、兵隊たちはつぎつぎとマラリアに倒れ、軍は勢いをうしなってしまった。
今度も疫病がローマを救ったのだ。これがサッコ・ディ・ローマ(ローマの劫掠〈ごうりゃく〉)といわれる事件である。

ローマ自身がマラリアで倒れなかった遺伝的理由

マラリアはローマの風土病であり、「ローマの友だち」とはいえ実は敵味方関係なく多くの命をうばってきており、1602年にはイタリアで4万人がマラリアで死亡している。
しかし、大部分の土着の人々は生き残っており、また、マラリアにかからなかった人も多い。
蛮族とちがって彼らにはマラリアが致命的でなかったのは、それなりの医学的理由がある

イタリア、ギリシャ、北アフリカなどの住民には、地中海貧血(サラセミア)による肝脾腫(かんひしゅ、肝臓や脾臓の肥大)をわずらう人が多いが、この地域の化石人骨でも肝脾腫特有の変化がみとめられており、サラセミアが有史以前からあったことが明らかになっている。
サラセミアの軽症型や、未発症の遺伝的保因者は、マラリア原虫が感染しても発症しないか、発症しても軽い。
マラリア原虫は赤血球の中にひそむが、サラセミアなどの遺伝的貧血症の人の赤血球のなかでは原虫は育つことができない。
つまり、この遺伝的保因者はマラリア多発地帯では、むしろ生き残るのに有利な体質なのだ。

全世界の人口の5%がサラセミアの保因者であり、地中海沿岸地方はさらに保因者の率が高い。ちなみに日本人は0.1%である。
ほかにも、地中海沿岸地方からアフリカにかけては、マラリア原虫が人体内で発育しにくい鎌状赤血球貧血や、そのほかの遺伝性の血液疾患がある。
鎌状赤血球貧血の遺伝的保因者はマラリアにかかりにくく、現代のエジプト人の9~25%が保因者だと言われている。

人類はいまだマラリアと闘っている

ほかには細胞膜のタンパク質のタイプ、血液型などによっては、マラリア抵抗性があるものもあり、古代からローマや地中海沿岸の人たちは、遺伝的にこの病気を「友だち」にすることができたのだ。
マラリアは今なおアフリカなどの熱帯の発展途上国では深刻な感染症であり、年間に2億人も感染し、45万人が亡くなっているという。
予防や治療が可能になったとはいえ、保健や医療がととのわない状況や、薬剤耐性のマラリア原虫の出現などで、根絶にはほど遠い。
日本や先進国では海外旅行からの帰国者の罹患がときどきあり、また、空港周辺で原虫をもった蚊が発見されたこともある。


*1─橋下雅一著『世界史の中のマラリア』藤原書店、1991年
・Timmann C et al.: Malaria, mummies, mutations. Trop Med Int Health 2010; 15: 1278-80
・Weatherall DJ: Thalassemia-historical introduction. The Johns Hopkins Medical Journal 1976; 139: 194-195

関連書籍

小長谷正明『世界史を変えたパンデミック』

2020年、世界は新型コロナウィルスの感染爆発に直面した。人類の歴史は感染症との闘いの記録でもある。14世紀ヨーロッパでのペスト流行時には、デマによりユダヤ人大虐殺が起こった。幕末日本では黒船来航後にコレラが流行、国民の心情は攘夷に傾いた。一方で1803年、スペイン国王は世界中の人に種痘を無償で施し、日清戦争直前には日本人医師が自らも感染して死線をさまよいつつペスト菌発見に尽力した。医学的・歴史的資料をもとに、人類がウィルスといかに闘い、打ち勝ったかを明らかにする。

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世界史を変えたパンデミック

2020年5月28日発売の『世界史を変えたパンデミック』の最新情報をお知らせします。

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小長谷正明 医学博士/国立病院機構鈴鹿病院名誉院長

1949年千葉県生まれ。79年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。専攻は神経内科学。現在、国立病院機構鈴鹿病院名誉院長。パーキンソン病やALS、筋ジストロフィーなどの神経難病を診断・治療する。医学博士、脳神経内科専門医、日本認知症学会専門医、日本内科学会認定医。最新刊『世界史を変えたパンデミック』のほか『世界史を動かした脳の病気』『医学探偵の歴史事件簿』『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』『ローマ教皇検死録』『難病にいどむ遺伝子治療』など著書多数。

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