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「戒厳令に近い強権発動――私は覚悟した」。東日本大震災から丸9年。地震・津波の多大な被害に加え、私たちの暮らしを大きく変えた原発事故。あの危機に政府はどう対応したのか。『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(菅直人著、2012年10月刊)から、一部を抜粋してお届けします。

※写真はWEB用で書籍には入っていません

福島第一原子力発電所「ふくいちライブカメラ」の画像 撮影日:2011年3月16日 8時(出典:東京電力ホールディングス

*   *   *

『日本沈没』が現実に

それにしても、半径二五〇キロとなると、青森県を除く東北地方のほぼすべてと、新潟県のほぼすべて、長野県の一部、そして首都圏を含む関東の大部分となり、約五千万人が居住している。つまり、五千万人の避難が必要ということになる。近藤氏の「最悪のシナリオ」では放射線の年間線量が人間が暮らせるようになるまでの避難期間は、自然減衰にのみ任せた場合で、数十年を要するとも予測された。

「五千万人の数十年にわたる避難」となると、SF小説でも小松左京氏の『日本沈没』くらいしかないであろう想定だ。過去に参考になる事例など外国にもないだろう。

この「最悪のシナリオ」は、たしかに非公式に作成されたが、政治家にも官僚にも、この想定に基づいた避難計画の立案は指示していない。どのように避難するかというシナリオまでは作っていなかった。

つまり、「五千万人の避難計画」というシナリオは、私の頭の中のみのシミュレーションだった。

私の頭の中の「避難シミュレーション」は大きく二つあった。一つは、数週間以内に五千万人を避難させるためのオペレーションだ。「避難してくれ」との指示を出すと同時に計画を提示し、これに従ってくれと言わない限り、大パニックは必至だ。

現在の日本には戒厳令(*)は存在しないが、戒厳令に近い強権を発動する以外、整然とした避難は無理であろう。

だが、そのような大規模な避難計画を準備しようとすれば、準備段階で情報が漏れるのも確実だ。メディアが発達し、マスコミだけでなくインターネットもある今日、情報管理は非常に難しい。これは隠すのが難しいという意味ではなく、パニックを引き起こさないように正確に伝えることが難しくなっているという意味である。そういう状況下、首都圏からの避難をどう進めたらいいのか。想像を絶するオペレーションだ。

鉄道と道路、空港は政府の完全管理下に置く必要があるだろう。そうしなければ計画的な移動は不可能だ。自分では動けない、入院している人や介護施設にいる高齢者にはどこへどのように移動してもらうか。妊婦や子どもたちだけでも先に疎開させたほうがいいのか。考えなければならない問題は数限りなくある。

どの段階で皇室に避難していただくかも慎重に判断しなければならない。

国民の避難と並行して、政府としては、国の機関の避難のことも考えなければならない。これは事実上の遷都となる。中央省庁、国会、最高裁の移転が必要だ。その他多くの行政機関も二五〇キロ圏内から外へ出なければならない。平時であれば、計画を作成するだけで二年、いや、もっとかかるかもしれない。それを数週間で計画から実施までやり遂げなければならない。

大震災における日本人の冷静な行動は国際的に評価されたが、数週間で五千万人の避難となれば、それこそ地獄絵だ。五千万人の人生が破壊されてしまうのだ。『日本沈没』が現実のものとなるのだ。

どうか想像して欲しい。自分が避難するよう指示された際にどうしたか。

引越しではないので、家財道具はそのままにして逃げることになる。何を持って行けるのか。家族は一緒に行動できるのか。どこへ避難するのか。西日本に親戚のある方は一時的にそこへ身を寄せられるかもしれない。しかし、どうにか避難したとして、仕事はどうする。家はどうする。子どもの学校はどうなる。

実際、福島第一原発の近くに住んでいた人々は、今、この過酷な現実に直面している。避難した約一六万人の人々は不安な思いで一日一日をおくっている。仕事、子どもの学校など将来の見通しが立たず、時間とともに不安が大きくなっていると思う。福島の人には、大変な苦労をおかけしている。もし五千万人の人々の避難ということになった時には、想像を絶する困難と混乱が待ち受けていたであろう。そしてこれは空想の話ではない。紙一重で現実となった話なのだ。

 

*現在の法律には戒厳令は規定されていないが、総理大臣がかなり強い権限を持つ法律としては、国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)がある。しかし、これは武力攻撃あるいは大規模テロに対処するための法律なので、原発事故には適合しにくい。

総理大臣が布告できる緊急事態宣言としては、警察法第七十一条に「内閣総理大臣は、大規模な災害又は騒乱その他の緊急事態に際して、治安の維持のため特に必要があると認めるときは、国家公安委員会の勧告に基き、全国又は一部の区域について緊急事態の布告を発することができる。」とあり、災害対策基本法第百五条にも「非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる。」とある。しかし、総理大臣が国民に対し、どこまでの強制力を持つのかは具体的ではない。大規模地震対策特別措置法は、地震予知を受けて警戒宣言を出し、避難指示などをするもので、原発事故の放射能からの避難を定めたものではない。

大規模な自然災害、外国からの侵略やテロ、騒乱などの有事を想定した緊急事態基本法を作ろうという動きは以前からあり、二〇〇四年には、民主党、自民党、公明党の三党合意もなされたが、憲法で保障されている基本的人権が、財産権も含め大きく制限される可能性があるため、反対の声も多い。

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※次回「住民避難の現実」は、3/21公開予定です

関連書籍

菅直人『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』

3月11日14時46分。地震発生後、私は官邸地下の危機管理センターへ直行した。被災者救助に各方面が動き出す中、「福島第一原発、冷却機能停止」の報せが届く。その後、事故は拡大の一途をたどった。――このままでは国が崩壊する。いつしか私は、原子炉すべてが制御不能に陥り、首都圏を含む東日本の数千万人が避難する最悪のシミュレーションをしていた……。原発の有事に対応できない法制度、日本の構造的な諸問題が表面化する中、首相として何をどう決断したか。最高責任者の苦悩と覚悟を綴った歴史的証言。

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東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと

「冷却機能停止」の報せから拡大の一途をたどった原発事故。有事に対応できない構造的諸問題が露呈する中、首相として何をどう決断したか。歴史的証言。

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菅直人

1946年山口県宇部市生まれ。衆議院議員、立憲民主党最高顧問。弁理士。70年東京工業大学理学部応用物理学科卒。社会民主連合結成に参加し、80年衆議院議員選挙に初当選。96年「自社さ政権」での第1次橋本内閣で厚生大臣に就任。同年、鳩山由紀夫氏らと民主党を結成し、党代表に。2010年6月第94代内閣総理大臣に就任。

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