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おいしいものを食べること、「おいしい」と言ってたべること、自然の恵みを味わいながら作ること。台所で五感を集中させると、かかえた不安やストレスのあれこれも開放されそう。丁寧な暮らしの効用のひとつかもしれません。

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理想の食事は、舌より、まず体が喜ぶ——。

『おいしいとはどういうことか』中東久雄(幻冬舎新書)

喉が渇いたときに飲む水は心底おいしいけれど、渇きがおさまった後に同じ水を飲んでも、もうおいしいとは感じない。体が必要としていないからだ。すなわち「おいしい」とは本来、体という自然によりそい喜ばせてあげたときに生まれる感覚のこと。

しかし、ただおいしいだけでなく、この「体が喜ぶ料理」を作るのが案外難しいと著者は言う。
どうしたらそんな料理が作れるのか。そもそも料理とは何か――?

京都で最も予約がとれない日本料理店「草喰なかひがし」店主・中東久雄さんが、野山を馳せ巡りながら得た“食”にまつわる究極の哲学。

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「ほんまの料理人」とは、どんな料理人を指すのか

料理が人間の文化の始まりだという説があるそうです。

自然の木の実をもいで食べたり、捕まえた魚や獣の肉をそのまま食べるのがすべてだった頃の私たちの遠い祖先も、おそらくはそういう生の食物を「おいしい」と感じて食べていたのだと思います。けれどもしもそれだけで充分に足りていたら、きっと料理というものは発達しなかったでしょう。

おそらくは、そういう「おいしい」ものだけでは生きのびるのに足りないことがあったんでしょう。お腹が空けばなんでもおいしそうに見えるといいますが、たぶん彼らは食べても消化できないものはもちろん、食べたら体に悪い毒も、時には食べたはずです。お腹を壊したり、下手したら死んでしまったりした無数の祖先がたくさんいて、人間は「料理」という技術を獲得したのだと思います。

 

長い歳月の間に、たまたま火で焼けたり、水に晒さらされたりして、食べられないものが食べられるようになることを知り、ほなら焼いてみよかとか、晒してみよかと、誰か頭のいい祖先が気づいて、だんだんいろんなものを料理して食べるようになった、と。

これはあくまでも素人の想像ではありますけれど。

ただ、そう想像するのは、それが私自身の経験に基づいた実感だからです。

私は京都の北の山里で生まれ育ちました。

そしてその山里で料理を憶え、料理人になりました。

師匠はいません。いるとすれば私の母親です。

母親が料理するのを手伝いながら、いつしか自分も料理するようになっていました。

だから私の料理の基礎は、母親の料理です。

そして今思えば、私の母の料理の根っ子にあったのは、そういう遠い昔の祖先からずっと受け継がれてきた「食べられない」ものを「食べられる」ようにする技術としての「料理」でした。

辺鄙な山里のことですから、食材のほとんどは自分たちの身の周りで収穫できる自然の恵みでした。丸々と太った大根だけ選んで料理するなんて贅沢は許されません。

その時期その季節に得られるものを、炊いたり焼いたり揚げたり、時には長い時間と手間をかけて渋やアクを抜いたりして、なんとか家族においしく食べさせるために工夫することが、母の「料理」でした。

あのご老人が言った「ほんまの料理人」というのは、料理に対するその姿勢をいうのだと思います。

その意味で、私の母は紛れもなく「ほんまの料理人」でした。

これは決して身びいきでいっているのではなく、料理というのは本来はそういうものであって、遠い昔から今にいたるまで、家族のために料理を作ってきた人たちは、そういう意味で「ほんまの料理人」でした。

私はいつの間にかそのことを忘れていて、それをあのご老人に教えられたのです。

なぜ忘れていたかといえば、それは先ほどもお話ししたように、「ええ食材」を求めるあまり、かえって食材をよく見なくなっていたからでした。

太った大根を探すことばかりにかまけて、割れた大根などには見向きもしなくなっていた。子どもの頃にそんなことをしようものなら……、私の母は穏やかな人ですから?られはしなかったでしょうが、優しくたしなめられたに決まっています。

とまあそういうわけで、私もようやく目が覚めまして、それからは毎日畑に通うようになりました。今もその習慣は続いています。

あのご老人に言われた通り、いい野菜だけではなく、間引かれた野菜から出来損ないの野菜、薹の立った野菜にいたるまで、畑のすべてを見て回るのが私の日課です。

いうまでもありませんが、普通なら捨てられてしまうような野菜も、料理の仕方によっては食べられるのです。いや、ただ食べられるというだけでなく、そういう野菜にはそういう野菜にしかない味や香りがある。料理のしようによっては、むしろびっくりするほどおいしくなったりもする。普通はあまり食べないそういう野菜は、新しい料理のアイデアを生み出す宝庫です。

畑になったものをよう見て、これはどうやったらおいしく食べられるやろと、そこでいろいろ考えて料理する。それがほんまの料理人やと思うのです。

大根や人参にも命があるという認識が、まったくない

そういう生活をかれこれ20年以上も続けて、野菜からたくさんのことを教わりました。畑で採れる野菜だけでなく、畑の横の畦道、その周囲の里山、さらにはそこからつながる深い山の中にも、自然の恵みがあります。
それも、昔私が母から教わったことのひとつでした。

春は山菜、夏は茸や木の実ぐらいのことは、都会にお住まいの方もさすがにご存じだと思います。山菜採りや茸狩りは、現代ではせいぜいが季節のレジャー的な位置づけになっていますけれど、山里で暮らしていた頃、それは田や畑を耕すことと同じくらい、生活には欠かせない大切な営みでした。

そうやって人は自然とともに生きてきたのです。

これは日本列島に人が暮らすようになった遠い昔、それこそ縄文の昔から続いてきた人の暮らし方を受け継いだものでしょう。

夏野菜と冬野菜という言葉はありますが、春野菜とか秋野菜とはあまりいいません。それは野菜が、元々は春と秋の自然の恵みを補うものだったからでしょう。

私たちが春に山菜を採るのは、植物たちの芽生えの季節だからです。タラの芽も、コシアブラも、木の芽も、蕗ふきの薹も、春の山菜はみんな冬の寒さに耐えてきた植物たちが、春の太陽に向かって伸ばした芽や若葉です。生まれたばかりの赤ん坊と同じで、柔らかくてえぐみも少ないから、おいしく食べられる。

これが夏になると、春先にはあんなに柔らかくておいしかった芽や若葉は、大きく硬くなり渋みやえぐみが強くなって、食べ難くなる。植物からしたらあたりまえの話で、いつまでも柔らかいままだったらすっかり食べ尽くされてしまいますから、そうやって身を守るわけです(渋かったりえぐかったりするだけでなく、本物の毒を作る植物もけっこうありますから、詳しい知識がないまま山の植物を食べるのは危険だということを憶えておいて下さい)。

夏になると、山に入っても食べられるものがめっきり採れなくなります。

その端境期を埋めるために、人が育てた野草が野菜になった。だから夏野菜があるんやないかと私は思っています。

野菜とは、人に栽培されるようになった野草です。大昔は他の草と一緒に、野原や林の下生えの中にひっそりと生えていたわけです。その野草の種を播いて育てるようになったのが、野菜のそもそもの始まりでしょう。その中でも特に実や葉が大きかったり、甘くておいしかったりするものの種を選んで栽培することによって、いわば自然の品種改良が進んで、だんだん今のような野菜が出来た。

長い歳月人間に栽培されるうちに、あるものは柔らかくて香りの良い葉をつけるようになり、またあるものは水気をたっぷり含んだ大きな実をつけるようになり、あるものは地下の茎を太らせるようになり……。そして、たとえば紫し蘇そや胡瓜やジャガイモが生まれたということなのだと思います。

野生のジャガイモには毒性の強いものも少なくないそうです。そういう中から、少しでも毒の少ないジャガイモを選んで栽培して、現在のようなジャガイモが出来たのです。芽にソラニンというある種の毒が含まれているのは、その名残りでしょう。

秋は植物たちにとっては、みのりの季節です。

植物界から、動物界への贈り物の季節といってもいいかもしれない。

山に入れば、たくさんの自然の恵みが得られます。

柿にアケビに山やま葡ぶ 萄どう、栗、胡くるみ桃、銀ぎん杏なん……、それからもちろんさまざまな種類の茸。私が子どもの頃は、栃とちの実や榧かやの実もよく拾ったものです。

3時のおやつは毎日山で拾った柴栗なんてこともありました。野鳥もおいしくなる季節ですから、空気銃を持っている近所のお兄さんの後についていって、焚き火で焼いたほんまもんの「焼き鳥」のおこぼれにあずかるのも楽しみでした。狩猟採集が生きる術のすべてだった私たちの遠い祖先に近い暮らしができるのが、秋という季節だと思います。

その黄金の秋が終わると、野や山の植物たちは寒さに備え葉を落とします。山野草を採集するのが難しくなる時期です。とは言え、植物たちは死に絶えてしまうわけではありません。来年の春に備えて、寒さから守られる土の中に養分を蓄えているのです。また、木の芽は萼(がく)に守られて越冬します。

人はそれを掘り起こして食べるわけですが、そういうことの得意な野草を自分たちで育て、食糧の少ないこの季節の備えとしたのが冬野菜。たとえば大根や人参や葱ねぎや白菜が栽培されるようになったのでしょう。お正月のおせち料理の立役者、慈くわ姑いや百合根も、翌年の春の芽生えのために蓄えた栄養で丸々と太っているからあんなにおいしい。

そういう目で野菜や野草の姿を見ると、改めて人は自然によって生かされている生き物なのだなあと感じます。自分たちで栽培するにしても、野や山から採集するにしても、いずれにしても自然界の助けがなければ生きられない。

にもかかわらず、今の私たちはその大切な自然によりそうことをほとんど忘れてしまっているような気がしてなりません。

私はそれが、現代の食のいちばんの問題だと思っています。

関連書籍

中東久雄『おいしいとはどういうことか』

喉が渇いたときに飲む水は心底おいしいけれど、渇きがおさまった後に同じ水を飲んでも、もうおいしいとは感じない。体が必要としていないから。すなわち「おいしい」とは本来、体という自然によりそい喜ばせてあげたときに生まれる感覚のこと。しかし、ただおいしいだけでなく、この「体が喜ぶ料理」を作るのが案外難しいと著者は言う。どうしたらそんな料理が作れるのか、そもそも料理とは何か――。京都で最も予約が取りにくい日本料理店「草喰なかひがし」店主が、野山を馳せ巡りながら得た“食”にまつわる究極の哲学。

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京都「草喰なかひがし」店主の『おいしいとはどういうことか』

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中東久雄

 

1952年、京都府生まれ。日本料理店「草喰なかひがし」店主。

摘み草料理で知られる花背の料理旅館「美山荘」で生まれ育ち、少年期から家業の手伝いに勤しむ。高校卒業後、本格的に料理の道に入り美山荘に27年間勤務。

97年に独立して銀閣寺のほとりに現在の店を開店し、今日に至る。

2012年に農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」でブロンズ賞、17年に同シルバー賞、16年に京都和食文化賞を受賞。

大原の地野菜の魅力を多くの料理人に発信し、地場の農業振興にも貢献している。

 

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