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インジョーカー

2019.05.14 更新 ツイート

#3 激化する権力闘争…危険すぎる美人刑事が帰ってきた!深町秋生

悪党どもに、女神の鉄槌を! 危険すぎる美人刑事、八神瑛子が帰ってきた。その美貌からは想像もつかない手法で数々の難事件を解決してきた瑛子が、外国人技能実習生の犯罪に直面。そんな彼女に監察の手が伸びる。刑事生命が絶たれる危機……それでも瑛子は事件の闇を暴くことができるのか? 累計40万部を突破した、深町秋生の人気警察小説シリーズ。その最新刊が、本作『インジョーカー』だ。読んだ瞬間、引き込まれる物語の冒頭を、特別に公開します。

*   *   *

(写真:iStock.com/taa22)

富永昌弘の心は曇ったままだった。

さきほど、組対課課長の石丸が戦果を報告しに来たが、笑顔のまま労うのに、かなりの気力を必要とした。

署長室の窓を見やった。浅草通りの広い車道と老舗の仏具店が目に入る。この光景とももうすぐお別れ。そう思っていたものだが。

署長室を出て、廊下を歩いた。給湯室から出てきた女性職員とすれ違った。彼女はバツの悪そうな顔をしながら一礼し、早足で去って行く。

給湯室でふたりの女性職員が茶を淹れていた。富永の姿を認めると、先の女性職員と同じく、よそよそしい笑顔で挨拶をしてきた。

富永は気づかないフリをし、片手を上げて通りすぎた。自分の噂話でもしていたのだろうが、咎める気にはならない。噂にならないほうが不自然だ。

先週、春の人事異動が発令されたが、今回も富永の名前はなかった。つまり、上野署の署長として三年目を迎える。

キャリア組は渡り鳥だ。数ヶ月で異動も珍しくなく、長くとも二年で出て行くのが通例だ。昨年も大阪府警への栄転の話が立ち消えになった。まさか今年も上野警察署に留まることになるとは思っていなかった。

異例の人事は、富永本人や署内はもちろんのこと、よその県警、省庁に出向中の仲間やライバルたちをも驚かせた。人事が発表された日は携帯電話が鳴りやまなかった。

上層部に睨まれて多忙な大規模警察署で飼い殺しにされているのか、あるいは上からなんらかの特命でも受けたのか。真相を探ろうと、警視庁や県警本部のお偉方が連絡してきたが、富永自身がわからないのだから答えようがない。それが反って、憶測を呼ぶ羽目となった。

署長会議などの用事で警視庁本部に赴くたび、泣く子も黙る大幹部たちが、さっきの女性職員たちと似た顔をして、探るような目を向けてきた。

富永は出世欲が他人より強くない。それでも、やはりキャリア組の一員だ。この国の治安や国民の暮らしを守るという大志を抱き、より大きな仕事を手がけたいという野望を抱いている。左遷ではなく、異例の留任という意味を、どう受け止めていいのかわからずにいる。

男性用の更衣室に入った。署員のロッカーがずらりと並ぶ。朝と夕方は混雑するが、昼間の今は誰もいない。

富永はロッカーにキーを挿して、扉を開けた。なかにはスーツがあり、下着やタオルも何枚か常備している。

事件が起きれば、家族を持つ警官なら妻に着替えを持ってこさせるものだが、あいにく富永の妻子は京都にいる。

先週、妻の紗希から離婚を切り出された。新年度も富永が東京に留まると知り、ついに夫婦関係の清算に動いたようだ。

とはいえ、仮に京都や大阪へ異動となり、家族と同じ屋根のもとで過ごしても、この事態は避けられなかっただろう。三年ほど前から夫婦仲は冷え切っていた。今回の人事は紗希の決断を後押ししたようだ。

歯茎から血の味がする。今後の警察人生や家族について考えると、なぜか歯茎が痛みを訴えた。

約一年の時間をかけて、虫歯をすべて治療しているが、長いこと歯医者に行ってなかった。奥歯にかけて六本もの虫歯が見つかった。ほとんどが象牙質まで破壊され、虫歯は歯髄にまで達していた。

よくここまで放置できたものだと、歯医者には大いに呆れられた。今は歯にかぶせ物をしてもらっているが、まだすべてが治ったわけではなく、腫れ上がった歯茎が痛みを訴える。今夜も予約を入れている。

顎のあたりをさすりながら、吊るされたスーツの胸ポケットに手を伸ばした。なかには折り畳まれたメモ用紙がある。

人気がないのを改めて確かめてからメモを読んだ。

『本日のガサ。Y・Eは容疑者Aに対して転び公妨/Aを挑発しつつ胸ポケットにキャンディーを/Y・Eは主犯Sを二階窓から突き落とし(ただしI含めてマルモクなし)/ネタモトはR・Eと思われる』

メモを丸めてポケットに入れた。歯茎の痛みが一段とひどくなる。

ロッカーに置いてあった鎮痛剤を手に取り、アルミ包装を破って水もなしに錠剤を呑みこんだ。

「あいつは……」

メモを改めて読み直し、内容を翻訳した。

Y・Eこと八神は本日の家宅捜索で、『ふたたびの家』の常務理事である安西達志を転び公妨で逮捕した。

警官が被疑者に突き飛ばされたフリをし、公務執行妨害罪をずる賢く適用して現行犯逮捕するやり方だ。公安警察が得意としており、公安捜査官時代の富永も、部下がこの手口で目をつけた対象者を連行するのを黙認してはいる。

問題は主犯格の曽我を突き落とした事実だ。課長の石丸からは、曽我が逃亡を図って二階から飛び降り、肩や背中に打撲傷を負ったと聞いていた。

もっとも、目撃者はいないという。メモの送り主である“I”こと“私”も直接は見ていないため、真偽のほどはわからなかった。

おそらく、八神は悪あがきをする曽我の逃亡を防ぐため、窓から突き落としたものと思われた。単に手間を省いたのか、制裁を加える気だったのか。彼女のことだ。どちらにしろ、顔色ひとつ変えずにやったのだろう。

彼女は相手が極道や凶悪犯でも怯むことがない。事件解決のためなら、暴力を振るうこともある。群を抜く検挙率を誇り、我が署のエースであり続けるが、署内外の警官にカネを低利で貸しつけては、先輩だろうが上役だろうが意のままにし、警視庁内の機密情報をも得ている。暴力団などの反社会的勢力ともつながっている。

メモの“R・E”とは八神の情報提供者で、盟友ともいえる福建マフィアの女幹部の劉英麗だ。八神は英麗に見返りとして、警視庁内の情報を提供するか、英麗の個人的な依頼をこなしている可能性が高い。

(写真:iStock.com/Gajus)

更衣室を出ると、早足で署長室に戻り、メモを指で細かく引き裂いた。“私”こと花園は一年以上にわたって、生真面目に報告を続けてきた。

上野署の影の支配者である八神や、彼女の右腕である井沢の動向を富永に知らせてきた。ずっと生きた心地はしなかったはずだ。所属長である富永は花園を出世コースである公安部に異動させるよう、古巣の外事一課や上役たちに売りこんだが、彼の名前も人事異動名簿にはなかった。

今回の人事では、富永の意思を阻む力が働いたとしか思えなかった。原因があるとすれば、やはり八神の件以外に考えられない。

「無事で済むと思うほうが、どうかしているか……」

デスクにはじっさいの春季人事異動名簿がある。

そこには、警察庁刑事局長から警察庁長官官房長へと出世した能代英康の名があった。

警察庁長官官房は警察庁の内部部局の筆頭局だ。各都道府県警の予算、人事を握り、警察行政に関する企画や立案を担う警察組織の中枢だ。長官や次長に次ぐ警察庁のナンバー3の座に、能代は就いたことになる。

富永をめぐる人事には、能代ら高官たちの権力闘争が尾を引いているのかもしれない。

八神は四年半前に夫の雅也を亡くしている。警察は自殺としたが、八神が受け入れなかった。独自の捜査を進め、昨年の春、殺害犯を追いつめた。雑誌記者である八神雅也殺しに関わっていたのは、かつてスパイマスターと呼ばれた警察の大物OBや、警察組織内の汚れ仕事を引き受けていた新宿署の現役刑事、それに新宿を縄張りとする暴力団だった。

夫の死をきっかけに、まじめな刑事から一転して、違法捜査や暴力も辞さない狼と化し、危険な橋を渡り続けた結果、彼女は真相にたどりついた。腐敗警官や暴力団組長との対決を制し、捜査一課に再捜査をさせ、夫の名誉を回復させるまでに到った。彼女とは反目しつつも、富永自ら身体を張って手助けをしたこともある。

当時、警視庁刑事部長だった能代は、巧みに富永を焚きつけるなどして、一連の事件を警察組織内の政争に持ちこみ、大物OBの息がかかったライバルを蹴落とした。

能代は警察庁刑事局長に就任してから、警察出身の国会議員や巨大企業に天下ったOBらとひんぱんに会い、独自の派閥を形成した。

それが実ったのか、ついにカネと人事を握る長官官房長の椅子を手に入れた。もはや自ら根回しなどしなくとも、周りが放っておかない要職に就いたことになる。

トップへの道は厳しい。不利益を被った側も黙っているはずはなく、反能代で結束している一派もいるという。富永が上野署に据え置かれたのも、権力闘争の影響かもしれない。自分はどの派閥にも属していないが、周りはそう考えないものだ。

胸ポケットの携帯端末が震えた。取り出して液晶画面に目をやり、思わず息をつまらせた。

かけてきたのはその能代だった。液晶画面にタッチし、すばやく電話に出る。

「富永です。ごぶさたしております」

〈おう、署長。元気でやってるか〉

太く濁った声が返ってきた。声の主は間違いなく能代だ。

狸のような丸顔と、赤銅色に焼けた肌が脳裏をよぎる。署長をわざわざ強調して呼びかけてきた。

「おかげさまでどうにかやっております。官房長」

能代が声をあげて笑った。

〈悪いな。おれだけ出世しちまって〉

「とんでもありません。おめでとうございます」

〈そっちは署長を三年目。おかしいじゃねえかと、不思議がってるんでねえかと思ってな。電話させてもらったんだず〉

能代とは、電話で会話するだけで疲労を覚える。

彼は爪を隠すのがうまい。粗野な田舎者を装いながら、高学歴な経済犯を料理し、手強いライバルを抜き去ってきた。人の心や感情の揺れを読み取る技術に長けている。実力は一年前に思い知らされた。

淡々と答えてみせた。

「そのようなことは。私はこの土地を気に入ってますので」

〈相変わらず、わかりやすいやつだな〉

「……と言いますと?」

〈お前が気に入ってるのは土地じゃなくて、組織犯罪対策課の瑛子ちゃんだべ。渡り鳥のキャリアが、三年も同じ部下といっしょに仕事できるなんて、そうそうありはしねえからよ〉

富永は顔をしかめた。図星ではあるが、それだけに腹が立つ。

咳払いをして言った。

「警察庁の官房長ともあろうお方が、わざわざ所轄の署長をからかうために、お電話をくださったわけではないでしょう」

〈むろん、からかうためなんかじゃねえさ。お前の心のモヤモヤを取り除いてやりたぐなってよ〉

携帯端末を握る手が汗ばんだ。

「今回の人事ですか」

〈それ以外になにがある。お前をもう少し、上野署に置いておくよう働きかけたのは、このおれだ〉

「なっ」

思わず絶句した。

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悪党どもに、女神の鉄槌を! 危険すぎる美人刑事、八神瑛子が帰ってきた。その美貌からは想像もつかない手法で数々の難事件を解決してきた瑛子が、外国人技能実習生の犯罪に直面。そんな彼女に監察の手が伸びる。刑事生命が絶たれる危機……それでも瑛子は事件の闇を暴くことができるのか? 累計40万部を突破した、深町秋生の人気警察小説シリーズ。その最新刊が、本作『インジョーカー』だ。読んだ瞬間、引き込まれる物語の冒頭を、特別に公開します。

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深町秋生

1975年、山形県生まれ。2004年、『果てしなき渇き』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞。「組織犯罪対策課八神瑛子」シリーズは40万部を越えるベストセラーとなっている。他の著書に『ダブル』『バッドカンパニー』『ドッグ・メーカー』など多数。『卑怯者の流儀』『地獄の犬たち』は第19回、第20回の大藪春彦賞候補作品。

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