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宇宙はどこまでわかっているのか

2020.04.03 公開 ツイート

京都大学・望月新一教授「ABC予想」論文が世界を驚かせたわけ【再掲】 小谷太郎

現代数学で最も難解だという「ABC予想」を証明したとする京都大数理解析研究所・望月新一教授の論文が話題です。元NASA研究員の小谷太郎氏による、『宇宙はどこまでわかっているのか』(幻冬舎新書/2019年)の「第5章 科学はどこまでわかっているのか」では、〈未解決問題「ABC予想」が証明されたようだ〉として、望月新一教授の論文が世界を驚かせたわけをこのようにしるされていました。

*   *   *

(写真:iStock.com/ismagilov)

数学者も解読に苦しむ600ページもの証明

近ごろ、数学の業界は、重要未解決問題である「ABC予想」が証明されたようだ、という話題で盛りあがっています。

証明を発表したのは京都大学数理解析研究所の望月新一教授(1969-)で、その証明論文は全部で600ページを超える膨大なしろものです。これをプリントアウトした人、世界に何人いるんでしょうか。

「近ごろ」といっても、その論文は2012年にウェブ上に発表されたものです。

何年もたてば、普通は、ホットな話題も温度が下がってくるものですが、そうはならずにかえって沸騰している理由は、その証明がどうやら正しいようだと認められ、学術誌に掲載されることになったためです。

この膨大な論文はあまりに難解で、数学業界が理解するのに何年もかかったというのです。

けれどもこの件についての世間の報道は、望月教授の生い立ちや人柄に多くのバイト数を費やして、ABC予想そのものについては、難解すぎるためか、さわらぬ数学にたたりなしという態度をとるメディアが多いようです。

たしかに、数学者も解読に難儀する600ページの証明をここでわかりやすく説明するのは、まあはっきりいって無理なんですが、男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがあるとキャプテンハーロックも言ってます。

どんな予想で、なにがすごいのか、解説を試みましょう。

ABC予想とはどんなものか

「ABC予想」、別名「オスターリ・マッサー予想」とは、フランスのパリ第4大学のジョゼフ・オスターリ博士(1954-)とスイスのバーゼル大学のデイヴィッド・マッサー教授(1948-)が1980年代に発表した予想です。

数学業界における「予想」とは、「まだだれも証明できないけど、△△という定理が成り立つような気がするなあ」という主張です。

だれかがこういう予想をすると、これを証明したくなったり、あるいはこれがまちがっていることを証明したくなったりするのが数学者という人種です。

なんでそんなことをしたくなるのか理解できない方が人類の多数派と思われますが、数学者のそういうモチベーションによって、世の中は進歩してきました。

さてABC予想です。これはどのような予想なのでしょうか。いくつか表現方法がありますが、そのうちの一つは次のようなものです。

 

正の整数AとBの和をCとします。つまり、

A+B=C

です。正の整数は、素数のべきの積に「素因数分解」することができます。たとえば15ならば、

15=3×5

4ならば、

4=2^2

という具合です。AとBは、このような素因数分解をほどこした時、共通の素因数をもたないように選んでおきます。たとえば、

A=4、B=15

という組み合わせです。このような、共通の素因数をもたないAとBは「たがいに素」だといいますが、べつに覚えなくてもさしつかえありません。一方、たとえば、

A=4、B=6

という組み合わせは、共通の素因数2をもつので、今回の考察の対象外です。

次に、そうやって選んだAとBと、その和Cを、かけ合わせ、素因数分解します。

A×B×C=4×15×19=(2^2)×3×5×19

さらに、素因数分解の結果から、異なる素因数だけを拾ってかけ合わせて、新たな数Dを作ります。つまり、べき乗は1乗に変えます。

(2^2)×3×5×19 → 2×3×5×19=570=D

DはA×B×Cの「根基(こんき)」と呼ばれますが、やはり覚えなくてもさしつかえありません。

この時、「たいていの場合、DはCよりも大きくなるだろう」というのがABC予想です。

「たいていの場合」というのをもっと厳密に表現すると、

「ある正の実数εについて、 C>D^(1+ε)を満たすCは有限個しか存在しないだろう」

となります。

これで一応、あまり難しい数学用語は使わずに、ABC予想を説明してみました。ABC予想は、言い換えると、

「たがいに素な整数AとBをたして A+B=C を作ると、Cには、AにもBにも含まれない新しい素因数がいくつも含まれるだろう」という予想です。

そういう場合はたいてい、D>Cが成り立ちます。

(写真:iStock.com/Zerbor)

望月新一教授の証明論文あらわる

2012年、京都大学数理解析研究所の望月新一教授が、個人ホームページに「宇宙際タイヒミュラー理論」と題する4篇の論文をアップロードしました。

合計で500ページ(後に補足を含めて600ページ)になる大論文です(*1)。

この論文は世界的に注目を浴びました。なにしろ、

・実績とユニークな言動で業界に知られる望月教授の論文である。(今度は何を始めたんだ。)

・ABC予想の証明論文である。(本当だったら快挙。)

・膨大で難解で、同業者にも理解が困難である。(なにかすごいことが書いてあるのだろうか。)

というわけです。まだ査読を受けて学術誌に掲載されたわけではないのに、早速(2012年)、『ネイチャー』にもとり上げられました。

論文がたどった異例ずくめの経過

望月教授のABC予想証明論文は、数理解析研究所の発行する学術誌『Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences(PRIMS)』(編集長は望月教授)への投稿論文ということになります。

通常、論文を受け取った学術雑誌の編集部は、(査読のある学術誌なら)査読者(レフェリー)に読んでもらいます。

編集部がその論文の研究分野の研究者から査読者を選び、匿名で査読をおこないます。

査読は数週間程度、長いと数カ月かかるものですが、望月論文の場合は5年以上という異例の長期間におよびました

証明論文でもちいられている「宇宙際タイヒミュラー理論」は、望月教授が20年以上取りくんで、ほぼ独力で構築してきた理論です。

論文には多くの新しい用語や定義がちりばめられ、専門家にとっても理解するのに相当な努力が必要です。

5年の間には、この論文を勉強するための国際会議も開かれました。普段、日本国外で講演しない望月教授もTV会議システムで参加しました。

ただしほとんどの聴衆は望月教授の説明を理解できなかったようです。

まだ正式に掲載されていない論文の勉強会がおこなわれるとは、これも異例です。そうでもしないと理解が進まず、査読もできなかったのです。

関係者のそうした努力の結果、論文に誤りがないようだと結論され、ついに受理が決まりました。(ただし2019年現在、掲載はまだ決まっていません。)

 

専門家も読解に苦労するこの600ページの望月論文、筆者もページをめくってみたものの、残念ながらというか当たり前というか、やはり理解できませんでした。

(LaTeX〈*2〉でこんな数式が表示できるのか、と感心したので、ソースを見たくなりました。)

ABC予想は整数について述べていますが、望月論文では、これを楕円曲線についての定理に置き換えます。さらにフロベニオイドという新たな数学概念を作りあげ、これをもちいて楕円曲線をあつかい、証明をおこなっているようです。

無責任なようで申し訳ありませんが、証明方法についてこれ以上詳しく知りたい方は、原論文をご参照ください

それにしても、ABC予想は一見単純なのに、それを証明するとなると、新しい数学概念と600ページが必要だとは、数学の世界とそれを探求する人類の営みは、実に深遠です。

 

*1─http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Inter-universal%20Teichmuller%20Theory%20I.pdf

http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Inter-universal%20Teichmuller%20Theory%20II.pdf

http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Inter-universal%20Teichmuller%20Theory%20III.pdf

http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Inter-universal%20Teichmuller%20Theory%20IV.pdf

*2─数式入力などに定評がある組版処理システム。物理系や数学系の論文は、だいたいこれを使って書かれる。

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小谷太郎

博士(理学)。専門は宇宙物理学と観測装置開発。1967年、東京都生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。理化学研究所、NASAゴダード宇宙飛行センター、東京工業大学、早稲田大学などの研究員を経て国際基督教大学ほかで教鞭を執るかたわら、科学のおもしろさを一般に広く伝える著作活動を展開している。『宇宙はどこまでわかっているのか』『言ってはいけない宇宙論』『理系あるある』『図解 見れば見るほど面白い「くらべる」雑学』、訳書『ゾンビ 対 数学』など著書多数。

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