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ダークツーリズム

2018.08.13 更新

ソ連侵攻で自決した9人の乙女の悲しみを追って井出明

iStock.com/ookinate23

人類の悲劇を巡る「ダークツーリズム」が世界的に人気だ。7月30日に発売された『ダークツーリズム~悲しみの記憶を巡る旅~』(井出明)は、代表的な日本の悲しみの土地と旅のテクニックを紹介。今回は、数多くの悲しみの記憶が横たわるオホーツクへ。

ソ連の影が色濃く残る、稚内

 北海道は、直観的にダークツーリズムポイントであると思う人は多いのではないだろうか。実際、入植の失敗や廃坑の跡など、数多くの悲しみの記憶が横たわっている。

 本章では、稚内から知床までのオホーツク海に面した北海道を、ダークツーリズムの方法論に基づいて辿ってみたい。

 稚内市は日本最北端の市であり、次章で触れる日本最南端の市、石垣市とは姉妹都市である。南には南の悲しみがあり、北には北の悲しみがあるのだが、戦争が大きな傷跡となっていることは確かである。稚内の空港でレンタカーを借り出し、まずは稚内公園を目指そう。

 稚内公園には、「九人の乙女の碑」があり、ここは情報通信に関心のある人にはぜひ訪れていただきたい場所である。

 平和に暮らしていた南樺太の住民たちが突然の戦火にさらされたのは、終戦の年の1945(昭和20)年8月11日であった。日露戦争以降、南樺太は大日本帝国の一部を形成し、多くの日本人が居住していた。

 太平洋戦争当時、日本とソ連は、不可侵条約を結んでいたため、樺太の住民たちはソ連の侵攻の可能性をほとんど想定していなかったようである。今でこそ、歴史を振り返ればソ連の裏切りは論理必然のようにも感じられるが、それは現代人の傲慢かもしれない。一連の日本政府の終戦工作の中には、ソ連を仲介者とする案も検討されており、ソ連に対する危機意識は非常に薄かったことが推察される。

 ソ連は、ヤルタ協定の秘密条項に基づき、対日参戦の機会を窺っていたとされるが、8月6日の広島への原爆投下が決定的な役割を果たした。日本の対米講和が近いと踏んだソ連は8月8日に宣戦布告をし、一方的に日ソ国境を侵した。

 この時のソ連による侵略の状況は凄惨を極めた。それには複合的な要因が組み合わさっているが、大きな要因として強調しておきたいのは、軍の主力に訓練された正規兵が少なかったという点である。「第二次世界大戦において最大の被害を受けた国はどこか?」と聞かれた時に、敗戦国のドイツや日本を考える人も多いかもしれない。特に、日本の場合、東京大空襲で10万超、広島の原爆でまたも10万超という単位で死者が出ており、先の大戦で関係国中最大の被害が出たと考えることも理(ことわり)があろう。

 しかし、ソ連の被害は、数の上でははるかに日本を凌しのぐ。軍人だけで900万人程度は失っているという数値は複数のWEBサイトで確認できる。ゴルバチョフは対独戦勝45周年集会の演説において、ソ連全体で2500万人程度が戦争の犠牲になったと発言しており、いずれにせよ第二次世界大戦の最大の被害国であることは間違いない。

 ソ連は、1941(昭和16)年以降、ヒトラーとの間で独ソ戦を展開しており、ここで主力部隊を使い果たしてしまう。ナチスドイツとの戦いにおいては、いわば「ソ連の懐にもぐらせて、カウンターで叩く」ともいうべき戦法をとったため、ソ連領内のいくつかの街が戦場となってしまい、一般市民の死者がかなり出た。このソ連の市街戦については、拙著『ダークツーリズム拡張』(美術出版社)を参照されたい。

 さて、この状況が日本にどう影響したかと言えば、シベリア方面のソ連の軍備が一時期、疎(おろそ)かになっていたことを意味する。シベリアの軍隊も、独ソ戦に駆り出されていたわけであるから、当然なのであるが、これはソ連の対日参戦に際しては、日本にとって負のインパクトとなって現れた。

 ソ連の対日参戦は、練りに練ってなされたというよりも、前述のとおり原爆投下による終戦の接近が直接のきっかけである。ドイツの降伏は1945(昭和20)年の5月であり、そこから3カ月そこらで軍隊を立て直せるはずもなく、シベリア方面の戦力は、十分な訓練を受けていない急ごしらえの軍であった。

 これは、兵士としての矜持(きょうじ)を涵養(かんよう)されることもなかった者たちが軍を構成してしまったことを意味している。戦場での倫理観も低く、略奪や強姦が横行した。

 南樺太におけるソ連軍の侵攻の状況は、どのように本土に伝わっていったのだろうか。戦時下において、情報通信を確保することは単に作戦遂行の面だけでなく、補給や民間人の保護などの観点からも非常に重要である。南樺太の拠点都市であった真岡(現・ホルムスク市)には郵便局があり、ここから現地の情報が本土にもたらされた。

 当時、郵便局には女性が勤務し、彼女たちは南樺太の最後の状況を稚内の受信局に伝え続けたのである。ソ連が国境を越えた段階で女性たちにはすでに毒薬が与えられ、究極の状況下において自決する道が用意された。彼女たちは、ギリギリまで電信で情報を送り続けたが、最後には「皆さん これが最後です さようなら さようなら」の言葉を残して通信は途絶え、9人が自決した。(注)

 戦後、彼女たちの悲しい物語は稚内で語り継がれた。晴れた日には樺太を望む稚内公園の高台に、「九人の乙女の碑」が建てられ、彼女たちの霊を慰めている。昭和天皇と香淳皇后が行幸の際にこの話を聞いて心を痛め、犠牲となった者たちに思いを馳せた歌を詠まれたが、これは歌碑に刻まれ、慰霊碑の隣に建っている。碑の前で手を合わせたら、その後、稚内市北方記念館を見学しよう。北海道開拓の先駆者たちの苦労が偲(しの)ばれる展示となっている。

(注)自決に際して述べた言葉には異説もあるが、ここでは碑文の記述に従った。

『ダークツーリズム』第三章「極北の悲劇を追う――オホーツク」より抜粋)

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井出明『ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅』

人類の悲劇を巡る旅「ダークツーリズム」が世界的に人気だ。どんな地域にも戦争、災害、病気、差別、公害といった影の側面があるが、日本では、それらの舞台を気軽に観光することへの抵抗が強い。しかし、本当の悲劇は、歴史そのものが忘れ去られることなのだ。小樽、オホーツク、西表島、熊本、栃木・群馬などの代表的な日本のダークツーリズムポイントを旅のテクニックとともに紹介。未知なる旅を始めるための一冊。

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井出明

観光学者。 金沢大学国際基幹教育院准教授。 近畿大学助教授、首都大学東京准教授、追手門学院大学教授などを経て現職。 1968年長野県生まれ。 京都大学経済学部卒、同大学院法学研究科修士課程修了、 同大学院情報学研究科博士後期課程指導認定退学。 博士(情報学) 社会情報学とダークツーリズムの手法を用いて、東日本大震災後の観光の現状と復興に関する研究を行う。共著に「観光とまちづくり―地域を活かす新しい視点」(古今書院)他。

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