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ビット・トレーダー

2018.08.13 公開 ツイート

株で儲けるために絶対必要な「投資家心理」を読む技術 樹林伸

 鉄道事故で、最愛の息子を失った男。慰謝料を株に突っ込み、大当たりした日から人生は激変した。増え続ける金、愛人との生活、妻や娘との不和。ある日、会社の倒産情報と空売りの裏取引を持ちかけられた男は、その誘いに乗るのだが……。

 スリル満点の経済・犯罪小説、『ビット・トレーダー』。息もつかせぬ展開にハラハラしながら、株式投資のノウハウも学べる、まさにエンタメと実用が融合した作品だ。その中から、マネーゲームのリアルが描かれているシーンを抜粋してお届けしよう。

iStock.com/Ca-ssis

ほかの投資家は何を考えているのか?

 ノートパソコンに表示した前日の値動きからメインの液晶モニター上の現在値に視線を移し、恭一はG社株のトレーディングに参戦するタイミングを再び計りはじめた。

 現状では分割に向けてやや弱含みに推移しているとはいえ、新規上場以来、公募の10倍以上の価格を維持しているG社株の強さを考えれば、少しでも安くなったところで買ってホールドしたまま、権利落ち日を迎えようと決め込んでいる投資家も少なくないだろう。

 だとすれば、このまま下がり続けることはまずない。どこかで上げに転ずるに違いない。

 前日の値動きは、まだ慎重だ。買ったものの、怖くなってすぐに手放す者も多いからか、上げはじめたとたんに下げに転じたり、かと思えばなんの脈絡もなく突然買われたりもしている。売買高も少なく、全体としては盛り上がりに欠けているようだ。

 それをみて恭一は、買付けの値段を下げてみることにした。

 1500と数字を打ち込む。現在値より20万も安い値付けだ。それでも2株だから、3000万円にもなる。

 恭一より上に、1520万で1株『買い』を入れている者が一人いる。しかし、1550万円で2株いっぺんに手放したいと考えている売り手が、この値付けで1株だけ売ってくるようにはなんとなく思えなかった。

 1550万で『売り』注文を出していたのに1520万の値付けに食いつけば、『売り』が一つ減り1株買われたことで、値を下げて売り急いできたと気配情報を見ている全員に伝わってしまう。それを見た次の買い手はもっと安く買い叩こうとしてくるだろう。できればそれは避けたい。そんなことを、今このネットの向こうの『誰か』が考えているような気がした

 待とう。待っているうちに、もしかしたら……。

 と思ったその矢先に、1520万円の『買い』気配が画面から消えた。同時に売買高が一つ増える。一瞬、しまった買われたかと机を叩くが、1550万の『売り』気配がそのまま2株残っているのを見て、逆にしめたと手を打つ。

 売ったのは2株の『売り』を入れていた人物ではないようだ。おそらくもっと高値で売りを入れていた誰かが業を煮やして、1520万で妥協して株を見切ったのだろう。

 予想していたチャンスが、早くも訪れた。1520万の『買い』注文の下に隠れていた恭一の指値が表示される。1500万円で2株の『買い』。さあ、どう出る?

 今、ネットの向こう側の売り主が感じている動揺が、手にとるようにわかった。1520万の『買い』を、別の誰かに奪われた。その下で待っていたのは、さらに20万も安い『買い』注文。上がってくるに違いないと踏んでいた株価が、ガタガタに崩れてしまうような気がして、自信が大きく揺らいでいることだろう。

 1550万という強気の値付けで待っている間に、どんどん下値を買われてしまったら。この1500万の『買い』注文も他の誰かに奪われたら、次はもっと損をするかもしれない。

 そうなると、1500万もの値がさ株を二つも掴んでしまっていることが、恐怖心を煽りはじめる。かつては2000万円を超えていたなどというプラス要因は鳴りを潜め、マイナス要因ばかりを騒ぎたてるようになるのだ。

「ここぞ」の場面で引かない勇気

 そもそもこの株は、上場する前には120万円で買われた株だ。それが、たいした根拠もなく需給だけで高騰し、今や1500万。いつまでも持っていたら、大暴落して売るに売れなくなるかもしれない。

 事実、2000年のITバブルの崩壊では、3月1日の始値で21万3000円をつけていた光通信の株価が、わずか2週間後の3月15日には8万円を割り込み、さらにその後もストップ安を続けて4カ月後の7月には3000円台にまで下落したこともあった。

 G社の異常な株価もいわばミニバブルのようなものだ。なにか悪材料が表に出た瞬間、ストップ安売り気配で手放すこともできないまま、10分の1になることだって起こり得るのではないか。

 そんな妄想が頭の中を駆けめぐっていることだろう。

 動揺を示すように、『売り』気配が動く。1550万円の気配値が、いっきに1525万円に下がった。

「よし、そうだ。それでいい。降りてこい。もっと」

 興奮して声が出る。

 電波時計と気配値を見比べる。5秒、10秒、15秒が過ぎるが売買は成立しない。

「くそっ!」

 いらだって机を叩く。

 マウスが動いて、ポインタが取引画面を離れディスプレイの端にとんでいく。

 慌ててマウスを操作しながら、考えた。

 どうする?

 この1525万で買っておくか。それとも、もう少し待つべきか?

 せめて1520万に買値を上げたらどうだろう。そうすれば食いついてくる可能性は高い。いや、きっと売ってくるだろう。

 それでも、いくらかは抜けるに違いない。仮に下げたとしても、この株は最悪ホールドしたまま分割を迎えて、ドカンと上げた時に1株を高値で売り、残りを新株市場でそこそこの値で手放してもいい。

 30秒が過ぎたが、売買はまだ成立しない。さすがに1500万では売ってこないか。逆に、1525万なら、買おうという者も出てきそうだ。1株は1520万で売れたわけだから。

 よし。

『買い』だ。

 マウス操作で、注文の変更画面に飛ぶ。指値注文から、株価を指定しない成行注文に切り替えるために、『成行』と書かれたボックスにチェックを入れて、パスワードを入力する。

 あとは、発注するだけ。

 マウス操作をしようとして、また少し迷う。

 いいのか、本当に。

 向こうの誘いに乗って、ここで買ってしまって。

 1株25万、2株で50万もの妥協をすることになるのだ。

 そこまでして買う必要があるのか。

 いっそ諦めて、G社から手を引いて、東証一部に戻ったほうがいいのではないのか?

 ……いや、そんなことはできない。

 それでは敗北だ。

 今、ネット越しに向き合っている何者かとの『ゲーム』に負けたことになる

『買い』だ、ここは。

 この値で買うなら、向こうも25万も値を下げたのだから引き分けだ。勝ったとは言えないまでも、この場は痛み分けだ。

 あとはうまく高値で売り抜ければ、その時点でこの株を手放したやつに勝ったことになる。

 よし。

 マウスを操作しようと、握り直した。

「恭一さん?」

 ふいに背後から声がかかった。

 

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樹林伸

1962年、東京都生まれ。漫画原作者、小説家、脚本家。全世界で累計800万部のベストセラーワイン漫画『神の雫』原作者でもある(亜樹直 名義)。2011年にフランス農事功労賞、シュヴァリエを受勲。

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