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世界史を動かした脳の病気

2018.06.23 公開 ツイート

1429年、ジャンヌ・ダルクが見た神の姿は病によるもの!? 小長谷正明

 紀元前31年、クレオパトラはなぜ自殺にコブラ毒を選んだのか? 1865年の南北戦争終結時、北軍の冷酷なグラント将軍が南軍に寛大だったのには片頭痛が関係していた?

 世界の歴史を大きく変えたリーダー変節と、その元凶となった脳の病を、脳神経内科専門医の著者が世界の論文や文献をもとに解説した『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』(小長谷正明氏著・幻冬舎新書)。発売即重版となる大反響です。

 今回はその中から、ジャンヌ・ダルクを救国の戦いに向かわせた脳の病気を紹介します。それは、文豪ドストエフスキーに傑作を書かせた病でもありました。

iStock.com/Flory

大天使ミカエルを見た乙女

 1429年、「フランスを救え」という神の声を聞いたという、フランス北東部ドン・レミ村の羊飼いの乙女が、当時続いていたイギリスとの戦争に参加し、オルレアンで勝利した。ジャンヌ・ダルクである。しかし、結局イギリス軍に捕えられ、宗教裁判にかけられた時、次のように証言している(*1)

「13歳の時、“神の声”が私の道を告げ、最初は非常に恐ろしかったのです。夏の真昼で、お父さんの庭でのことでした。(中略)“声”は右手の、教会の方から聞こえてきて、いつも光が伴っていました。光と“声”は同じ方からきます。非常に強い光です。(中略)3度目の時、これは天使の声だと分かったのです。(中略)さらに“声”は『フランスへ行け』、ある時は『オルレアンを救え』と言うのです」

 そして、彼女は光の中に大天使ミカエルを見たと証言し、さらに“神の使い”がいる時はこの上ない高揚感があり、それが去る時には寂しさから泣いたと告白した。

 後にドン・レミ村の人は、「ジャンヌは教会の鐘の音が好きで何度も鳴らしてもらい、それを聞くと、膝から崩れ落ちていた」と言っている。

 結局、彼女は異端として火刑に処せられた。なお、それは神秘体験のせいではなく、当時、女性には禁忌とされていたズボンを穿いて男装していたことで、神の教えに従わない異端とされたのである。当時はキリスト教も原理主義の時代で、宗教的タブーは絶対であり、それは男女の服装にも及んでいた。

ドストエフスキーの恍惚発作

 ロシアの文豪、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは自らも神秘体験があり、それを文学作品の中に生かしている。

 彼は、キリスト教の教えに基づく魂の救済を訴えて多くの小説を書いた。サンクトペテルブルグの貧民街での体験や、自らが処刑される寸前に減刑されたことなどが、その根底にあるとされているが、神の存在を信じたのは、恍惚発作と呼ばれる、極めて稀な医学的体験の影響もあったようだ。

 ドストエフスキーは、1821年にモスクワの貧民救済病院に勤める医師の次男として生まれ、ペテルブルグの工兵士官学校を卒業して軍人となったが23歳で退役し、文筆で身を立てることにした。そしてデビュー作『貧しき人々』で大好評を得る。しかし、ビギナーズ・ラックは長くは続かず、そうこうしているうちに、関わっている空想的社会主義グループの反政府運動に連座し、死刑を宣告されてしまった。

 処刑の順番を待ち、あと5分で銃殺というところで、皇帝ニコライ1世からの、彼を助命する恩赦が告げられ、シベリア流刑に減刑された。これは彼を懲らしめるために仕組まれたはかりごとであったという。28歳の時である。後にこの体験が深みのある心理描写につながり、作品に生かされていったのは想像に難くない。

 流刑の刑期とその後の兵役を終えてペテルブルグに戻ってきたのは1859年で、すでに38歳になっていた。それから『悪霊』や『白痴』など、多くの小説を書いたのだが、一方でルーレット賭博にはまり込み、借金に追われて転居を繰り返し、外国にまで逃亡している。借金に苦しむ『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフは彼自身かもしれない。また、放浪癖があったという説もある。そして、『カラマーゾフの兄弟』を書き上げた翌年、喉からの大量の出血で60年の生涯を終えた

神を感じて、けいれん

 友人がシベリア流刑中のドストエフスキーのもとを訪れた際、議論の最中に突然、ドストエフスキーが「神は存在する、彼は存在する……」と叫んだ。ちょうどその時、近くの教会でイースター祭の鐘が鳴っていた

 1857年2月、シベリア流刑中のドストエフスキーは最初の結婚をしたが、新婚旅行の最中にけいれん発作を起こした。新婦は大変びっくりしたにちがいない。その頃、流刑囚を診ていた軍医のカルテには、次のように書かれている(*2)

「1850年(29歳)に初めててんかんの発作に見舞われる。その症状は、叫び声、意識不明、手足・顔面のけいれん、口から出る泡、嗄れた息づかい……。発作時間15分、その後、発作は全般的に弱くなり、回復する。1853年再発。以後、毎月末に発病」

 その後もこの発作はなくならず、最初の妻と死別したのち、口述筆記させていた秘書アンナ・スニートキナと1867年に再婚した。彼女は日記にドストエフスキーの発作のことを詳細に記録しており、それによるとほぼ月1回の頻度である。彼は夜型人間で、執筆などが終わって寝入る明け方に発作はよく起こっていた。

 ドストエフスキーは代表作の一つ『白痴』で、ムイシキン公爵が発作を起こす描写で作家自らのエクスタシー体験を述べている(*2)

「発作が起こる直前には、ある段階がある。ただし、発作が覚醒中に起こる場合にかぎるが……。この段階になると、憂愁と精神的暗黒、そして胸苦しさの真っ只中になって、いきなり脳が一瞬燃えるようになり、たちまち生命力の全てが異常に火を吹く。生きているという意識や感覚は、その瞬間に十倍にも増大し、それが稲妻のようにくり返す。(中略)そして、調和的な喜びと希望に満ちた、知性と神性に満ちた崇高な静寂に溶けていく」

側頭葉てんかん

 時代が下って、20世紀後半になると、神を見てけいれんした人は医学的に精査されている。次のような症例報告がある(*3)。61歳の女性が、睡眠中突然「神様を見た」と叫んだことが最初の症状だった。その後、日中にも同じような言葉を発し、その体験を次のように述べている。

「極楽世界に行ったような気持ちになった」

「うれしくて、うれしくて感謝の涙が吹き上げた」

「太陽の光のもとに万物が輝いていることを神様が教えてくださったと感じた」

 脳波では、睡眠時に左側頭葉に焦点がある棘波(きょくは。てんかんの特徴的脳波であるスパイク)が確認された。これは、この部分に異常な興奮を引き起こす神経細胞があるという、てんかんの脳波所見である。

 てんかんは脳の神経細胞が突然興奮してしまう病気である。筋肉がピクンと動いたり、意識が一時的になくなったりする、比較的軽い症状のものもあるが、神経細胞の興奮が脳の広範な部分に波及すると、ドストエフスキーにも見られた全身性のけいれん発作となる。激しくけいれんして意識もなくなり、大発作とも呼ばれている。

 発作の引き金となる神経細胞の機能によっては、特徴的な症状が現れ、それを前兆として大発作に発展していくこともある。大脳皮質にある、筋肉へ「動け」と指令を出す運動野の神経細胞が引き金となれば、手など、体の一部分のけいれんから始まり、全身に広がって大発作となる。ジャクソン発作と言われているタイプだ。

 側頭葉に引き金があれば、側頭葉の役割に関わる症状が出てくる。側頭葉の下部はいわゆる大脳辺縁系の重要な部分であり、感情の動きや記憶などと深い関わりがある。

 そこにある扁桃核という神経細胞集団はいろいろな情報から快・不快を判定し、それによって喜怒哀楽の感情が湧いてくる。扁桃とはアーモンドのことで、そのような形をしている。当然、この扁桃核は感覚系など脳のいろいろな部位と連絡している。だから、この部分の神経細胞の異常な興奮によってさまざまな幻覚(幻視や幻味)、感情や意識の変化、夢幻状態、自動運動などが起こってくるのだ。

 側頭葉のてんかん発作は必ずしも意識を消失したり、けいれんを伴ったりするわけではない。何かが匂ってくる幻臭、声が聞こえてくる幻聴、そして意識や気分、記憶の変化などの症状が現れてくる。

今日では薬で発作を抑えられる

 音や声を認識する聴覚中枢は側頭葉にあり、ある部分の病変で幻聴が起きるという。また幻聴をはじめとする幻覚の内容は、その人の精神的枠組みに沿ったものになりやすく、信仰心の篤い人では、神やその使いが出てきやすい。

 ジャンヌ・ダルクもドストエフスキーも側頭葉てんかんと考えられる。敬虔なキリスト教徒であった少女、ジャンヌ・ダルクは教会の鐘の音で神秘体験をし、フランスへ行けという神の声を聞いた。同じように、いつも神を意識していたドストエフスキーも鐘の音で発作が始まり、ついで宗教的な内容の幻覚と高揚感が発現したのだ。

 てんかんは、原因不明なものもあるが、脳の血管障害や腫瘍などの小さな病変が引き金となって、神経細胞の異常興奮を起こすこともよくある。ドストエフスキーの頃とちがって、今日では様々な良い薬があって発作が抑えられ、きちんと気長に治療すれば治る人も少なくない

 しかし、けいれん発作がなければ心身ともに元気なので、中途半端に治療したり、薬を規則正しく飲まなかったりすると、突然、発作に襲われる。自動車運転中に発作を起こして何人も巻き添えにしたという大事故が時々報道されている。この病気の患者さんはしっかりと治療を続けていただきたい。

*1─Foote-Smith, E. et al.: Joan of Arc. Epilepsia 32: 810-815, 1991

*2─Gastaut, H.: Fyodor Mikhailovitch Dostoevsky's Involuntary Contribution to the Symptomatology and Prognosis of Epilepsy. Epilepsia 19: 186-201, 1978

*3─松井望ら:「精神医学」29: 857-864, 1987

 

 

関連書籍

小長谷正明『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』

1429年、ジャンヌ・ダルクは神の声を聞き救国の戦いに参加した。だがその神秘的体験は側頭葉てんかんの仕業ではなかったか? 1865年の南北戦争終結時、北軍の冷酷なグラント将軍が南軍に寛大だったのには片頭痛が関係していた? 1934年、平和国家ドイツがわずか2年でナチス体制になり、そのナチスも急失速して1945年、第二次世界大戦に敗れたのはヒンデンブルクの認知症とヒトラーのパーキンソン病のせいだった? 世界の歴史を大きく変えたリーダー変節の元凶となった脳の病を徹底解説。

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世界史を動かした脳の病気

2018年5月刊行『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』の最新情報をお知らせします。

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小長谷正明 医学博士/国立病院機構鈴鹿病院名誉院長

1949年千葉県生まれ。79年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。専攻は神経内科学。現在、国立病院機構鈴鹿病院名誉院長。パーキンソン病やALS、筋ジストロフィーなどの神経難病を診断・治療する。医学博士、脳神経内科専門医、日本認知症学会専門医、日本内科学会認定医。最新刊『世界史を変えたパンデミック』のほか『世界史を動かした脳の病気』『医学探偵の歴史事件簿』『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』『ローマ教皇検死録』『難病にいどむ遺伝子治療』など著書多数。

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