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わたしの容れもの

2018.05.03 公開 ツイート

ダイエットの嘘とまこと 角田光代

人間ドックの結果だけで、話が弾むようになる、中年という世代。老いの兆しは、悲しいはずなのに、なぜか嬉々として話すようになるのです。そんな加齢の変化を好奇心たっぷりに綴った角田光代さんの『わたしの容れもの』が、文庫になりました。一部抜粋して、変わることのおもしろさをお届けします。

合うダイエット、合わないダイエット

 それはもう三十年ほども前から、ダイエットに興味はあった。よほど太らない体質の女子以外、ダイエットに興味を持つというのは、この国に生まれた女子の宿命ではなかろうかと私は思っている。

 私が小学生だった一九七〇年代から、ダイエットは流行していた。おばが運動器具を買ったり、奇妙なお茶を飲んでいたのを覚えている。その器具も、お茶も、当時はものすごいブームだったようだ。しかし考えてみれば、ダイエット食品なりダイエット方法なりがブームになっていないときが、かつてあっただろうか。

 私が中学、高校生のころに流行(はや)ったのは、りんごダイエット、ゆで卵ダイエット、バナナダイエットといった、一品を食べ続けると瘦せる、というもの。その後は、指にテープを巻いたり、風船を膨らませたり、耳のツボを刺激したりというダイエットが流行った。カロリーという概念が浸透しはじめ、一食、一日何カロリーにおさえるべきか、という話も聞くようになる。そして朝食抜き、油抜き、炭水化物抜き、と「抜き」系が流行り、同時に、バランスボール、ヨガ、ピラティス、という運動系も流行る。グッズも、腹筋に効く振動ベルトとか、スリッパとか、ダンベルとか、いろいろ登場し、昨今では、ビデオ・DVDを見ながら踊ったりする運動も流行った。

 ダイエットはずーっと流行っているし、私たちはどこか無意識のうちに「瘦せなくては」と思いこんでいる。それはもう、文化ですらあるように思う。

 興味を持ちはじめてから、私もずーっと「瘦せなくては」と、無意識に思っている。ときどきその無意識が、意識レベルまで浮上することがあり、そのときは自分にもできるダイエットはないかとさがしたりする。でも、できない。そもそもゆで卵だけを食べたり、一日のカロリー数を計算したり、できるはずがないのだ。指にテープを巻く、腹筋ベルトをつける、というのは、できるはずだが、効くはずがないと思っている。だからやらない。なんにもやらない。なんにもやらず、三十歳過ぎまで過ごしてきた。

 三十三歳のとき、ボクシングジムに通いはじめたが、これは失恋がきっかけで、今後いつ失恋しても強い精神で乗り越えられるように、というのが目標であって、ダイエット目的ではなかった。実際、運動に無縁だった私がはじめて激しい運動をして、腹が減ってたまらず、なんと四キロ太ったのである。その運動量に慣れたらじょじょに体重は戻ったが、減ることはない。一週間に一度、一時間半程度の練習では、引き締まったり、瘦せたりはしないのである。そうして、三十代も半ばを過ぎると、体重はぴたりと不動になる。何年か前は、徹夜をしたり、一食食べ損ねたりすると、一キロ二キロ、すぐに減ったのに、頑として減らない。風邪で二日寝こんで、そのときはほんの少し減っても、なおればまたすぐ元どおり。この正確さには驚くほどである。

 そんな私がはじめてダイエットをしたのは三十九歳のとき。某女性誌から、ダイエットをしませんかと依頼されたのである。このとき私はランニングをはじめたばかりで、あまりのつらさにへこみにへこんでいたので、体重をもう少し落とせば、楽になるのではないかと思い、その依頼を引き受けた。しかしながらこんなに頑固に減らない体重が減るのだろうかと、疑問ではあった。

 このとき知ったのだが、それはもう、今は本当にさまざまなダイエットがある。「ゆで卵だけ」などというめちゃくちゃなものではなくて、ちゃんとそれぞれ専門の医師なり栄養士なりが、根拠ある理論に基づいて考えたダイエット法である。

 私がこのときやったのは、腹八分目ダイエット。いつも食べている量の二割を残すというもの。このダイエット法を推奨するお医者さんがおっしゃるには、加齢に伴って代謝率が下がるのに、食べたい気持ちは加齢に伴って増加し、どんどん胃袋が大きくなっていく。だから代謝に必要なだけの量を摂り、胃袋をちいさくするのが目的のダイエット法なのだった。

 結果的に、この方法、じつに私に合った。まず、カロリー計算がいらない。トンカツ定食を食べるとき、残す二割はキャベツでもいいのである。ともかく、カロリーと関係なく二割残せばいい。そしてアルコールはビール以外OK。私はそもそも小食である。最初に感じた物足りなさ、空腹感は一カ月もすれば慣れて、すぐに体重は減りはじめた。六カ月で六キロ減った。ランニングは格段に楽になった。体重が落ちただけなのに、それまでずっと、再検査か要医療と表示されてきた中性脂肪値がびっくりするほど下がった。

 それが五年前。この五年で、少しずつまた食べる量が増えたのか、六キロ減った体重の三キロが戻ってきた。そしてまた、減らない。なんとフルマラソンを走っても、翌日には元どおりなのである。この三キロを、真剣に落としたいと思うときがある。そしていろんな人のダイエット話に耳を傾ける。今もっとも流行しているのは糖質オフ、もしくは炭水化物抜きダイエット。おもに四十代の男性が(見栄えではなく、もっと深刻な問題のため)やっていて、そのほとんどが、成功している。すごいことである。

 自分が実際にダイエットをしたり、あるいはやった人の話を聞いたりしていると、それぞれの体の神秘に思いを馳せずにいられない。ある人には合うダイエット法が、ある人には合わない。精神的な部分もあるだろうけれど、その人の体との相性というものも、あるように思う。私は肉ばかり食べていると体重が少しずつ減っていくが、夕食に丼ものなどの炭水化物を食べ続けていると、増加しはじめる。でも、反対の人もいる。酒を飲まなくなって十キロ瘦せた人もいるが、私は酒を飲まなくても瘦せないかわり、暴飲しても体重は増えない。運動をはじめてすぐに締まった体つきになる人もいるが、私は週に二回、十五キロずつ走っていてもちっとも締まらないし、体重も変わらない。ダイエットをしようと思ったら、まず、自分に合うものをさがさなくてはならないと、実際にダイエットをしてみて知った。体という私たちの容れものは、人格のごとく、激しく個性的なもののようである。

 そしてもうひとつ知った、じつに重要なこと。「だけ」で成功するダイエットは、存在しない、ということだ。巻くだけ、食べるだけ、食べないだけ。これは、どんな体質の、どんな性質の人にも、効果はない。

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『わたしの容れもの』は、共感せずにはいられないカラダの変化にまつわる文章が詰まっています。ぜひ続きは、本でご覧ください。

関連書籍

角田光代『わたしの容れもの』

人間ドックの結果で話が弾むようになる、中年という年頃。ようやくわかった豆腐のおいしさ、しぶとく減らない二キロの体重、もはや耐えられない徹夜、まさかの乾燥肌……。悲しい老いの兆しをつい誰かに話したくなるのは、変化するカラダがちょっとおもしろいから。劣化する自分も新しい自分。好奇心たっぷりに加齢を綴る共感必至のエッセイ集。

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角田光代

1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。「対岸の彼女」で直木賞、「ロック母」で川端康成文学賞、「八日目の蝉」で中央公論文芸賞、12年「紙の月」で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花賞を受賞。他に『空の拳』など多数。

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