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2017.12.06 公開 ツイート

『プライド』の冒頭50ページを特別先行公開!

髙田延彦 vs ヒクソン・グレイシーの真実が、20年の時を経て、初めて明かされる。 金子達仁

 1962年4月12日、神奈川県横浜市に生まれた髙田少年にプロレスの魅力を教えたのは、彼の祖母だった。

「力道山の頃に興味を持ったんだと思います。で、わたしも一緒にテレビを観るようになった」

 やがて彼は、祖母にとっての力道山にあたる存在とめぐり合う。ヒーローの名前は、アントニオ猪木といった。

 それまで彼が憧れていたのは、『ウルトラマン』であり『仮面ライダー』である。つまりは実在しないものだった。だが、ボクシング世界チャンピオンのモハメド・アリと戦い、極真カラテの北米王者ウィリー・ウィリアムスと戦ったのは、実在するプロレスラーで、実在する日本人だった。アントニオ猪木がリング上で訴える「プロレスラーこそが最強なのだ」というメッセージを、髙田少年は100%の純度で受け入れた。

 中学2年生の時、彼はついに本物のアントニオ猪木が出場する試合のチケットを手にすることができた。なけなしの5000円で購入したチケットを握りしめ、横浜文化体育館で髙田が目にしたのは、遠い憧れを手の届く目標に変える文言だった。

 君もプロレスラーになれる!

 それは、会場で販売されたパンフレットに掲載されていた新日本プロレスの練習生を募集する記事広告だった。

 以来、少年の関心、好奇心、目標、生活、そのすべてはプロレスラーになるために捧げられた。プロレスラーになるための自主トレーニングをするために、彼は義務教育にも背を向けた。幸か不幸か、小学3年生の時に彼の母親は出奔してしまっており、男手ひとつで兄弟を育てていた髙田の父親は、自分が仕事に出ている間に息子が何をしているか把握するまでは手が回らなかった。

 アントニオ猪木がヒンズースクワットの重要性を説いていると聞けば、1日1000回以上のスクワットを己に課した。アントニオ猪木が身体を大きくするにはひじきと納豆がいいと言っていると聞けば、これでもかというぐらいにひじきと納豆を食べまくった。

 ほとんどのクラスメイトが選択する高校進学という進路にも、髙田は興味を示さなかった。中学を卒業した彼が選んだのは、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、余った時間に身体を鍛えるというものだった。なぜ中学卒業と同時に新日本プロレスの門を叩かなかったのかといえば、入門の条件として設定されていた基準に体格がまだ達していなかったからだった。

 それでも、がむしゃらなまでの情熱は、中学を卒業して2年後、見事に実を結ぶ。最初で最後のつもりで挑んだ入門テストに、ようやく身長が180センチに到達したばかりの痩せっぽちな青年は、見事合格したのである。

 17歳の髙田伸彦は、プロレスラーになった。

 そこからはあっという間だった。

 入門から1年ほどが過ぎた1981年5月9日、静岡県の焼津市スケートセンターでデビューした髙田は、その2年後にはテレビ放映される試合にも起用された。当時の新日本プロレスの選手層の厚さを考えた場合、これは相当に早い出世だった。テレビ朝日の人気アナウンサー古館伊知郎によって「青春のエスペランサ」というニックネームを与えられた髙田は、数多いる先輩レスラーたちを飛び越えて次代のエースとして注目される存在になっていく。

 だが、新日本プロレスが敷き始めてくれていた看板レスラーへの道を、髙田が歩んでいくことはなかった。

 1984年6月25日、彼は夜逃げ同然の形で合宿所を抜け出した。借りてきたレンタルトラックに荷物を運ぶ手伝いをしてくれたのは、橋本真也という新人だった。

 抜け出した髙田が向かった先は、以前から設立が囁かれていた新団体「ユニバーサル」だった。

 髙田にとって、アントニオ猪木は子供の頃からの憧れだった。1982年からは付き人に抜擢され、目をかけてもらっていると実感する機会も増えてきていた。

 だが、猪木に憧れるのと同じぐらい、髙田は強くなることにも憧れていた。そして、痩せっぽちだった自分をスパーリングで鍛え、テレビに映っても恥ずかしくないだけのレスラーに育ててくれたのは、猪木ではなかった。藤原喜明、前田日明といった先輩たちに他ならなかった。

 その先輩たちが、ユニバーサルへの移籍を決断していた。

 自分を強くしてくれた人、これからも強くしてくれる人たちが、新日本プロレスからいなくなってしまう。

 髙田は、憧れの人に寄り添うより、強くなることを選んだ。

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金子達仁 ノンフィクション作家

1966年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒。サッカー専門誌の編集部記者を経て、95年独立。96年、Sports Graphic Number誌に掲載された「断層」「叫び」で、ミズノスポーツライター賞受賞。『28年目のハーフタイム』『決戦前夜』『ターニングポイント』『泣き虫』『熱病フットボール』など著書多数。近著には、義足アスリート・中西麻耶の壮絶な生き様に迫った「ラスト・ワン」がある。

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