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禅僧のノケゾル日常

2017.09.05 公開 ツイート

新連載

お盆の忙しさで口内炎。なんて私は不自由なんだ。 吉村昇洋

禅の生活とは毎日が修行といいます。でも実際、日々の出来事をどう受け止め考えれば修行になるのでしょうか? 広島の曹洞宗八屋山普門寺副住職で臨床心理士の吉村昇洋さんが、お坊さんの日常と思考を教えてくださることになりました。

お盆ほど忙しい時期はない

東京を中心とした地域では、7月がお盆月だが、それ以外の地方では8月にお盆の行事が執り行われる。

旧暦の時代より7月15日がお盆の中日とされてきており、明治時代に新暦へと変わった際、地域によって「7月15日」という日付と「実際の季節」のどちらを採択するかで、お盆の時期に地方差が生じてしまった。つまり、東京近郊は前者で、それ以外の地方は後者を採用したというわけだ。

そんなわけで、わたしが副住職をつとめる広島のお寺でも、例に漏れず8月盆である。一般に、僧侶が忙しいのは年末の「師走」だなんて言われるが、実際はそんなことはない。そもそも、平安時代末に成立した辞書『色葉字類抄』に師走の語源として「僧侶が仏事で走り回る忙しさ」とあるが、その根拠は怪しいとされている。仮に、平安時代の僧侶は年末忙しかったとしても、現代の僧侶においては、宗派や地域によって差異はあるものの、はっきりいってお盆ほど忙しい時期はない。

では何がそんなに忙しいかと問われれば、「棚経(たなぎょう)」と呼ばれる、お盆の時期に檀信徒さんの家庭を1日何十軒も巡っては「亡き人を祀った精霊棚の前で読経する」風習である。これは、全国的に行われており、地域によってもその形式は様々である。
棚経の「棚」とは、精霊棚(しょうりょうだな)もしくは盆棚(ぼんだな)のことを指し、昔ながらに精霊棚を特別に設置している家庭もあれば、仏間に備え付けの仏壇で済ます家庭もある。さらに、わたしは目にしたことはないが、地方によっては玄関先や縁側といった屋外に精霊棚を設置するところもあるという。

この原稿を書いているまさに今、実はお盆の真っ最中で、日々の棚経で全国の僧侶たちは疲弊している頃である。身体がそんなに強くないわたしは、きまってこの時期に何かしら体調を崩すのだが、今年は奇跡的に風邪も引かず、何とか持ちこたえている。

ところが、ただ一点、悩ましいことが起きてしまった。そう、「口内炎」である。

トマトを口にしたときに、食べたことを後悔してしまう、あの憎いアンチクショーだ。
忙しさによる心身バランスの崩れからなのか、はたまたしばらく前にとんがりコーンの鋭利な先端が刺さってしまったことが原因なのかは分からないが、とにかく喉元あたりが痛い。

最初は、喉を酷使したことで、風邪でも引いたのかと思ったが、いわゆる風邪症状は出ていない。そこで、手鏡で口内を照らしてみたところ、ピンク色の地肉に5mmほどの白い円ができていた。しかも、舌のつけ根と、喉の奥の2ヶ所に。

舌のつけ根は、確かにとんがりコーンが刺さった記憶はあるのだが、喉の奥に関しては皆目見当がつかない。あそこを傷つけるには、ポッキーを丸呑みするくらいの暴挙に出なければなかなか難しい位置だ。そして、そんな暴挙の記憶がないということは、おそらく体調の問題なのだろう。

しかし、よりにもよって棚経で忙しい時期に口内炎になるとは、わたしも運がない。というのも、口内炎を抱えてお経を読むのは、意外と大変なのである。

僧侶の読経を耳にしたことがある方はご存じだと思うが、お経が自然に聞こえるには、息継ぎのタイミングが重要となる。変なタイミングで切ってしまうと、リズムが狂い、聞いていて心地よくない。それは、唱えている本人が一番分かることでもある。

普段であれば自然にできることも、口内炎が一つあるだけで、微妙にできなくなってしまう。まず、お経を唱えている最中、単純に口内炎が痛む。その痛さをかばうように最小限の動きを舌にさせようとするので、思うように声が出ない。そして、口内をよくよく観察していると、口内炎がすれるたびに痛みが生じるため、それを緩和させるためなのか、潤滑剤的に唾液の分泌が増える。これがまた厄介なのだ。

読経の最中、通常時でも唾液は順次口内に溜まっていく。どこかのタイミングで飲み込まなければならないが、基本的に読経が途切れるのを嫌うため、お経が終わるタイミングなどの切りの良いところで飲み込むこととなる。しかし、口内炎がある場合、その唾液の溜まり様は尋常ではない。まるで、雨乞いの儀式が成功したかのごとく、溜まっていく。

しばらく唱えては、飲み込み、またしばらく唱えては飲み込みと、どうしても途切れ途切れとなってしまうのだ。これは、極めて美しくない。しかし、飲み込まなければ、陸上にいながらにして沈溺してしまう。気管に入って、咳き込むよりかは、多少途切れても飲み込む方がマシだ。

そこで、読経が変に途切れず、唾液を自然に飲み込む方法はないかと、色々模索した結果、そんな都合の良い方法は見つからなかった。やっぱり、ダメなものはダメなのだ。現実は真摯に受け入れるしかない。せめて、お経をゆっくりと読んで、語と語の間に余裕を持たせるくらいのことしかできないわけだ。このように、あっさりと悩みを捨て去り、「今、ここ」の現実に目を向けようとするのはまさに禅的な在り方だ。

普段の交流がない檀信徒とも、年に一度の交流になることも多い棚経。だからこそ、貴重な機会にしっかりと読経のお勤めをしたい。読経一つであーだこーだ考えてしまうのには、そういった事情もある。

しかし、結局のところ、早く口内炎を治すことが大事なのだ。こまめに歯磨きをして口内炎患部も綺麗にしたあと、口内の細菌を増殖させないように洗口液を使うなどして清潔に保っておけば、割と早く治る印象がある。そしてしばらく経って、いつの間にか治ったことに気づいたとき、毎度のように健康の有り難さを知るのだ。

口内炎によって気づかされる自己の不自由な在り方。それを堪能する今年のお盆であった。

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吉村昇洋

1977年3月広島県生まれ。曹洞宗八屋山普門寺副住職、臨床心理士、相愛大学非常勤講師。駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻修士課程修了(仏教学修士)。広島国際大学大学院総合人間科学研究科実践臨床心理学専攻専門職学位課程修了(臨床心理修士)。 曹洞宗大本山永平寺にて2年2ヶ月間の修行生活を送り、乞暇後、永平寺史料全書編纂室を経て、広島の自坊に戻る。 2005年11月より、虚空山彼岸寺にて精進料理のコンテンツ【禅僧の台所 ~オトナの精進料理~】を展開し、人気を博す。“食”を通して日常に活かせる禅仏教を伝えるほか、大学やカルチャーセンター、各種イベントにて講師も務める。 著書に『心が疲れたらお粥を食べなさい』(幻冬舎)、『気にしなければ、ラクになる』(幻冬舎エデュケーション)、『週末禅僧ごはん』(主婦と生活社)などがある。

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