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もしもパワハラ上司がドラゴンにさらわれたら

2017.03.07 公開 ツイート

「会社行きたくねー!」というあなたのための処方箋

ブラック企業で働く社畜男子×ラーメンオタクの美形剣士(2) 蒼月海里


朝起きて、「あ~、会社行きたくねー!」「今日、電車止まんないかな?」なんてつぶやいたことはありませんか? ついでに、「あのウザい上司がドラゴンにさらわれちゃえばいいのになー」なんて妄想したりして。え、「ドラゴン」とかそんなのありえないって? でも、もし「ありえないはずの願望」が叶ってしまったら――? 

舞台は、ある日突然、人間のストレスが生み出す魔物でダンジョン化した新宿駅。ブラックなゲーム制作会社に勤務する社畜男子・浩一は、魔物に襲われたところをラーメンオタクのイケメン剣士・ニコライに助けられ、一緒にドラゴンを追うことになるが――。

元ブラック企業勤務の著者が描く、超リアルな社畜描写も必見。
「プレミアムフライデー? それどこの異世界の話?」「このままでいいのか、おれ(わたし)の人生?」という疲れ切ったあなたを癒して元気をくれる処方箋小説!
3回にわたってお届けする『もしもパワハラ上司がドラゴンにさらわれたら』の試し読み、第2回、どうぞお楽しみください!

*    *    *

  新宿駅は、一日平均乗降者数が世界一らしい。その功績は、ギネスも認めてくれたのだとか。
 確かに、行き交う人はやたらと多い。そして、乗り入れている路線も半端ない。山手線、中央本線、京王電鉄、小田急電鉄、更には東京メトロや都営地下鉄などが絡み合っている。加えて、出口が多い。無茶苦茶多い。一つ出口を間違えれば、全く違う場所に辿り着いてしまうという凶悪な構造である。
 そもそも、改札口が東口や中央東口といった風に紛らわしい。東口で待ち合わせをしていたカップルの、男が東口で、女が中央東口で待っていて、二人は永遠に会えませんでしたという伝説が残っているとかいないとか。
 とまあ、それは冗談として、何人かは入ったものの出て来られないという状況に置かれそうなほどのダンジョンっぷりではあった。毎日使っている人間は、きっとダンジョンマスターか何かなんだろう。
「で、目撃情報はここで途切れているんだけど、何処に行ったんだろうなぁ」
 新宿駅のプラットホーム下である地下一階は、どこもかしこも人で溢ふれていて、身体の大きなドラゴンが身を隠せそうなところはない。
 人が多い所為か、空気が澱んでいるように感じる。むっとした湿気がまとわりつき、なんだか息苦しい。背中に、じっとりと汗が滲んだ。
 とにかく、通路にいては邪魔だ。というか、人の波に押し流されてしまう。
 ひとまず壁の方へと避けようとした、その時であった。
 ぐにっ。
 足の裏に、妙な感触があった。
「なんだ、これ」
 ビニールだろうか。それにしては巨大である。赤子をすっぽりと包めそうなくらいの大きさだ。
 靴の先で、つんと突いてみる。すると、妙に弾力があった。
 透明な餅か? 巨大な求肥か? 巨大な求肥が駅の床に落ちているのか。
「いやいや、そんなわけ……」
 無い。
 そう断言しようとしたその時、巨大求肥が動いた。
「え、えええええっ!」
 巨大求肥はぐんにょりと身体を広げ、おれの足ごと靴を呑み込まんとした。
「ふおぉぉ!?」
 とっさに靴を脱ぎ、地に転がる。受け身を取る余裕なんてなかった。普通に痛い。
「ど、どうなってるんだ」
 おれの靴を呑み込んだ巨大求肥は、咀嚼でもするみたいに身体を揺らす。
 すると、どうだろう。半透明な身体に包まれた靴は、見る見るうちに溶けていくではないか。
「こ、こいつ、ただの求肥じゃない……!」
 スライムだ。おれの中で、その単語が閃いた。
 スライムと言えば、RPGにおける雑魚中の雑魚だ。初期装備の勇者にボッコボコと倒され、経験値稼ぎの糧になるという悲しい役目だ。
 しかし、何の装備も持たない一般人にとっては脅威の存在だ。
 そして、おれは何の装備も持たない一般人だった。
「どうしてこんなところにスライムが……! っていうのはさておき、やばい! 今のおれの装備、スマホしかない!」
 ゲームでは、魔物と対峙した勇者は選択を迫られる。『たたかう』か『まほう』を使うか、『アイテム』を使うか、『にげる』の四択であることが多い。
 勿論、おれは『まほう』を使えない。『たたかう』力もない。となれば、やれることは限られている。
「『アイテム』でこいつを撮った後、『にげる』!」
 スマホのカメラ機能でスライムを激写し、とにかく逃げる!
 何故、こんな状況で画像を残そうとするのかと問われれば、「現代人だから」と言う他ない。何かあったら画像や動画を残して、SNSにアップロードする。もはや、それが習性になっていた。人身事故でダイヤが乱れたら、駅の混雑っぷりをSNSに上げるし、地震が起きたら、揺れている旨をSNSに投稿する。
 投稿用の画像を撮った後、素早く踵を返す。しかし、その足は掬われてしまった。
 二度目の転倒。残念、逃げられなかった!
「た、助けてくれ!」
 通行人に向かって叫ぶ。
 しかし、彼らは自分の目的地に向かうことで精いっぱいなのか、見向きもしない。遠巻きにしている人間が何人かいたが、何をやっているんだろうと言わんばかりの好奇に満ちた視線をくれるだけだ。
「これは、あれか! 路上パフォーマンスだと思われているパターン!」
 フィクションでよくある光景だ。非日常的なことが起こった時、一般人はそれをドラマや映画の撮影か何かだと勘違いし、ギャラリーとなることに徹する。あれは、リアルな反応だったというのか。
「ちょっと! 見てないで誰か助けて! 鉄道警察の皆さんを呼んで!」
 倒れるおれの足にスライムが絡みつく。シュウウという不吉な音とともに、ズボンの繊維が溶けていくのを感じた。

 


「や、やめろ! おれをどうする気だ! 食べるにしたって、お前の大きさじゃ無理だろ!」
 スライムは答えない。もがいても、もがいても、びくともしない。
「わ、分かったぞ! 服だけ溶かすつもりだな! そして、乱暴する気だろう! えっちな本みたいに!」
 もはや、自分で何を言っているのか分からない。こちらを見ていた通行人は、スマホをおれに向けている。このままでは、あられもない姿になったおれの画像がSNSに投稿されてしまう。そして、全世界に共有されてしまう!
 絶体絶命の大ピンチを前に、今までの思い出が走馬灯のように蘇った。
 朝も夜も会社で過ごしたこと。オフィスのシャワーで身体を流したこと。マッサージチェアで仮眠を取ったこと。マッサージチェアが先輩に使われていた時は、寝袋にくるまって会議室の床で寝たこと。空の栄養ドリンクの瓶に話しかけていたこと。最近、抜け毛が多くなったこと。
「いい思い出が一つもない!」
 社畜人生のまま、終わってたまるか!
 次の瞬間、おれの身体は弾かれるような衝撃を覚えた。束縛から逃れ、逃げようとしていた勢いのまま、床にごろごろと転がる。
「え、あ……?」
 スライムは、真っ二つになっていた。しゅーしゅーと湯気を出しながら、あっという間に床に溶けていく。
 おれの目の前には、黒衣の人影があった。その人物が助けてくれたのだろうか。しかし、手にしていたものにぎょっとする。
 剣だ。湾曲した刀身の、シャシュカだ。すらりとした刃が、冷ややかに輝いている。その剣でスライムを一刀両断のもとに斬り伏せたことは、一目瞭然だった。
 黒衣の人物はふっと振り返る。その姿に、息を呑んだ。
 銀の髪が、駅構内を吹き抜ける風を受けてサラサラとなびく。色素の薄い肌は、不可侵の雪原を連想させた。
 年齢は、おれと同じくらいだろうか。
 その瞳は、赤だった。深紅のそれはガラス玉のようでいて、目鼻立ちは精巧に作られたビスクドールのように美しい。
 北国の誇り高き狼のような、美女だった。
 その身を包む軍服のような黒いコートが身体の起伏を隠しているが、きっとその肢体も美しいに違いない。女性にしてはかなりの長身で、モデルのようでもあった。
 しばらく夢見心地だったが、美女がこちらを見たのでハッとする。
「あ、あの、初めまして。た、助けてくれて有り難う御座います」
 ひとまず、お礼は言わなくては。どう見ても日本人離れしている容姿だけど、言葉は通じるだろうか。
 緊張のあまりに手汗をかくおれに、美女はツカツカと歩み寄る。あまりにも背が高いのでヒールでも履いているのかと思ったが、そうではなかった。
 その美女は、あろうことか、おれの前で膝を折った。その視線は、汗でぐっしょりと濡れた手に注がれている。
「あっ……!」
 手からは血が滲んでいた。転んだ時に怪我をしたのだろう。この美女は、そんなおれの怪我を案じているんだろうか。
 美女がそっとおれの手を取る。手当てをしてくれるんだろうか。
 しかし、美女は包帯やハンカチの類を取り出すわけでもなく、そっと唇をおれの手に寄せようとしていた。
 こ、これはどんな状況だろう。美女のふっくらとした唇が、おれの手に重ねられようとしているんだろうか。騎士が姫にやるような誓いのキスをしようというのだろうか。おれ、姫じゃないけど。
「ちょ、ちょっと、困ります……!」
 美女の唇が身体に触れると思っただけで、顔から火が出そうになる。しかし、慌てるおれのことなど知らぬと言わんばかりに、美女は唇を更に近づけ……。
「くっさ」
「え?」
 美女の顔は露骨にしかめられていた。というか、声がかなり低くないか……?
「貴様の血、あまりにも臭過ぎる。一体何を食べているんだ」
 相手は、実に流暢な日本語でおれを罵った。
「えっと、今朝はレトルトカレーだけど、昨日の夜はカップ麺で、昼はカップ麺、朝もカップ麺で、その前日も……」
「インスタント料理しか食べていないとは。怠惰にもほどがある。日本人の味覚は高く評価しているが、貴様の味覚は星ひとつだな」
「し、失礼な! 今朝も昨日の飯も、ちゃんと味を変えてるっていうの! それに、日本のカップ麺は美味いんだぞ! 美女だからってなめんな!」
「び、美女……?」
 相手の顔が強張る。
「ロシアン美人だと思ってちょっとドキドキしたが、カップ麺を馬鹿にする奴は許せない! そこに座りなさい。カップ麺の良さについて語ってやる!」
「おい」
 美女の目は殺気立っていた。シベリアの大地の如ときそれに、思わず口を噤む。
 そんな美女は、ぐいっとおれの手を引きよせたかと思うと、あろうことか、己の胸に押し付けた。
「ひええええ!」
 これはいけない。おれの手がコート越しとは言え、柔らかな乳房を包み込むなんて!
「……あれ?」
 柔らかく無い。
 むしろ、硬い。おれよりも逞しい。
「も、もしかして」
 さあっと身体中の血がひいていく。
「私はニコライ・チェルノコフ。正真正銘の男だ」
 ニコライ氏のこめかみには、青筋が立っていた。ご立腹だった。どうやら、肌が白いと青筋が目立つようだ。
「お、お、男!?」
 確かに、よく見れば肩幅もあるし、喉仏だってある。繊細な顔立ちだが、全身にまとう雰囲気は雄々しい。
「こ、これは失礼をば!」
「ふん。その程度の観察眼だったと思って許してやろう」
 無駄にえらそうだった。
「というか、さっきのスライムもどきは一体……」
「夢だ。幻だ。全て忘れろ。そして、家に帰れ」
 ニコライと名乗った人物は、素っ気なく言った。
「おいおい。そんな態度は無いだろ。こっちは靴まで溶かされてるんだぞ。夢のわけがあるかって」
「世の中、関わらない方が良いこともある」
 取り付く島もない。
「もう一度言うぞ。家に帰れ」
 ニコライは、「ハウス」と繰り返した。


※第3回は3月11日(土)公開予定です。この連載は、『もしもパワハラ上司がドラゴンにさらわれたら』p.16~の試し読みです。

関連書籍

蒼月海里『もしもパワハラ上司がドラゴンにさらわれたら』

「このままでいいのか、おれの人生?」そう思いながらブラック企業で働く浩一。このパワハラ上司さえいなくなれば! そんな願望を抱いた時、突然ドラゴンが現われ、上司が さらわれてしまい――。人間のストレスが生み出す魔物で新宿駅はダンジョン化!?謎の毒舌イケメン剣士ニコライとヘタレ男子浩一コンビは、上司を無事に連れ戻せるのか?

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蒼月海里

宮城県仙台市生まれ、千葉県育ち。日本大学理工学部卒業。東京都内で書店 員をしながら執筆活動中。主な著書に「幽落町おばけ駄菓子屋」シリーズ (角川ホラー文庫)、「幻想古書店で珈琲を」シリーズ(ハルキ文庫)、「深 海カフェ 海底二万哩」シリーズ(角川文庫)、「地底アパート」シリーズ(ポプラ文庫ピュアフル)などがある。

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