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『資本論』も読む

2016.05.03 公開 ツイート

せめて『資本論』を読んでから死にたい 宮沢章夫

カール・マルクスの大著『資本論』を読んだことはありますか? 一度は読んでみたいと思ったことはありませんか? GWに『資本論』に挑戦してみるのも一興です。劇作家の宮沢章夫さんは仕事の力を借りて、『資本論』に挑戦しました。ウェブ日記と原稿による『資本論』を読むドキュメントを「『資本論』も読む」から抜粋してお届けします。

***

いま、『資本論』を読むことは野望である

 人間、誰だって少なからず野望はあり、野望の果てに、「大金持ちになる」だの「ノーベル賞をもらう」だのと、なんらかの目的となる場所があるはずだ。
 いま、『資本論*1』を読むことはあきらかに野望である。
 だが、困ったことに、『資本論』を読むことでどこに約束の土地を求めていいかよくわからない時代だ。その果てになにがあるか。ないのかもしれない。だが、だからこその野望ではないか。これこそが「純粋野望」と呼ぶべきものであり、こんなに美しい読書があるだろうか。
 ちょっと知的さを装いたいならほかに読むべきものは無数にあり、ドゥルーズ*2やフーコー*3といった現代思想家たちの名前がぱっと浮かぶが、迷わず私はマルクス*4を読む。そのことになにか理由があるのかと問われても困る。「理由を探すために読む」と書けば、なにやら気のきいた言い回しをする気持ち悪さを感じるが、それには私の、「『資本論』が読みたかった」という、「死ぬ前に一度でいいから富士山に登りたかった」とか、「せめて草津の湯につかってから死にたい」といった種類の、長年の夢にかかわる話があることを知ってもらわなくてはいけない。
 高校生のころだ。
 誰かが言いだして、ちょっとした『資本論』ブームがクラスに起こったのだった。「俺は読むぜ」「俺も読むさ」などと顔を合わせればそう確認し、「商品の項はもう読み終わった」とか、「まだ第一巻の半分だ」と報告しあった。だが、ブームの熱が冷めてくると読書の速度も落ち、いつのまにか報告する者もいなくなった。それでもまだ読んでいるらしいことはわかったが、そうしているうちに卒業、それぞれ進む方向がちがったので、連絡も途絶えることになる。卒業してしばらくしてから当時の友人たちと再会する機会があった。よくある思い出話をしているとき、ある一人の友人が言った。
「『資本論』、とうとう読み終えたよ」
 そのこと、つまり読了したことに驚くというより、いまだそれを続けていたことに驚かされた。もうすでに卒業から十年が過ぎたころの話である。こいつ、十年間、ずっと読んでいたのか。
「約束は覚えてるか?」茫然としている私と、そこにいた数人の者に向かって、読み終えた友人は言ったのだった。
「カレー、おごれよ」
 そんなことを覚えている友人も友人だが、この劇的な状況のなか、約束があまりに他愛のないことに私はなおさら驚いた。
「カレーをおごる」
 子どもの約束である。高校生なんてその程度のものだ。
 だから、『資本論』を読もう。
 べつにカレーが食べたいわけではない。カレーなんていまなら自分の力でいくらだって食べることができる。では、それは単なる感傷なのだろうか。こんな時代に読もうなんてロマンチシズム以外のなにものでもないではないか。そうではなく、こんな時代だからこそ読むのである。
 さて、大月書店版の『資本論』はほかの多くの版がそうであるように、いくつもの「序文」からはじまる。
「第一版序文」「第二版後記」「フランス語版序文および後記」(以上マルクス)「第三版へ」「英語版序文」「第四版へ」(以上エンゲルス*5)と、そこまで読んでようやく本文に入るが、なぜこれほどまでに、「序文」を書かずにいられなかったかというマルクスの謎を解くことから、「資本論を読む」ははじめなくてはいけないだろう。
 そもそも、「序文」とはいったいなんだ。読む必要はほんとうにあるのだろうか。

 
*1『資本論』 資本主義社会の経済的運動法則の解明を目的としたカール・マルクスの主著(3巻、1867~94)。第2・3巻はマルクスの死後、エンゲルスにより編集・刊行。宮沢が読み進めている大月書店版は、岡崎次郎訳で全9巻。1巻は1972年に第一刷発行。

*2ジル・ドゥルーズ (1925~95)フランスの哲学者。西欧の伝統的な理性重視の思想を批判。ポスト構造主義の思想家として位置づけられる。主著に『差異について』『差異と反復』など。ガタリとの共著に『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』など。

*3ミシェル・フーコー (1826~84)フランスの哲学者・歴史学者。構造主義の代表的な思想家。狂気と理性、知と権力などについて哲学的歴史的研究を行なった。著書『狂気の歴史』『言葉と物』など。

*4カール・マルクス (1818~83)ドイツの経済学者・哲学者・革命家。旧フランス帝国領ライン州でユダヤ人弁護士の子として生まれる。43年パリに移住、プロレタリア革命による人間解放を理想とする共産主義者となり、過激な文筆を振るったため追放される。45年ベルギーに移り共産主義活動に従事、エンゲルスとともに翌年にかけて未完の労作『ドイツ・イデオロギー』を執筆し唯物史観を確立。47年に共産主義者同盟に参加、48年にその綱領として『共産党宣言』を出版。同年二月革命勃発とともにベルギーから追放され、パリ、ドイツを経て49年ロンドンに亡命。59年『経済学批判』を出版し、マルクス経済学の基礎を築く。64年第一インターナショナルの結成に際し、エンゲルスとともにその実質的指導者となる。67年資本主義社会の経済的運動法則を究明した『資本論』第1巻を刊行。弁証法的・史的唯物論に立つ共産主義理論の確立者として後世に多大な影響を与えた。

*5フリードリヒ・エンゲルス (1820~95)ドイツの科学的社会主義者。ロンドンの父の会社に勤務中に資本主義社会の矛盾を分析、44年以後マルクスと協力して弁証法的・史的唯物論を仕上げ、その理論の普及と実践活動に献身。マルクス没後は『資本論』2、3巻の刊行に尽力した。主著『空想から科学へ』『家族・私有財産・国家の起源』。

 

二〇〇〇年一一月三〇日  京都
 夕方、買い物をするために自転車で町を走ったがそれほど寒くは感じなかった。欲しい本が二冊ばかりあったが、一冊は丸善で見つけ、もう一冊が見つからない。音楽に関するもの。あとコンピュータ関連の買い物。もらいもののプリンターを動かそうとケーブルなど買ってセットしいよいよプリントアウトしようとしたらインクがない。買い忘れた。
 NHKの人が事前に会って相談したいという。こっち(京都*1)まで来てくれるのでしょうかとメールを書いたら来るそうだ。京都までわざわざ来てもらったらいよいよ断りづらくなる。困った。その後も、『真剣10代しゃべり場』についてはメールをたくさん頂いた*2。ほんとうに悩む。
 ところで、リニューアルされた『実業の日本』、新しい誌名は『JN 実業の日本』だが、そこに「資本論を読む」という連載をはじめたことは以前書いた。で本屋に行ったら、筑摩書房の文庫にまさに『資本論を読む』があり、ルイ・アルチュセールらが書いている。翻訳は今村仁司さんだ。『資本論』にも「序文」が多いが、『資本論を読む』にもアルチュセールの序文があり、長いわ難解だわで読むのに苦労しつつ読む。なんて面白いことか。「見そこないとは、見ているものを見ないことであり、見そこないはもはや対象にかかわるのではなく、視覚にかかわる。見そこないは見るにかかわる見そこないである。見ないことは見ることの内部にあり、それは見ることのひとつの形式であり、したがって見ることとの必然的関係のなかにある」と、読んでいるときはなるほどと思ってメモしたはずだが、あらためて引用すると、なにを言っているのだこれはいったい。


 二〇〇〇年一二月一〇日  京都
 朝、「資本論を読む」の連載を書き上げメールで送った。で、ちょっと気分が落ち着き、岩波文庫に入っている尾崎一雄を読む。面白いので驚いた。そもそも尾崎一雄の小説は「貧乏ユーモア私小説」と呼ばれていたらしくたしかに妻について書いた部分、妻の奇矯はユーモアなんだろうが、いま読むとあまり面白くない。むしろ本気でそう考えているのではないかと思わせる「私」のつぶやきが笑う。ぼんやり考えごとをしていると横から妻がくだらないことを言うと怒るが、そのとき「私」は友人に借金をすることを想像していた。自分は友人にこんなふうに言うのじゃないかと考える。
「電燈を止められたんだ。瓦斯は先月から来ていない。それは、金を払わないのは悪いかも知れないが、しかしこうなればこっちのせいじゃないよ。俺だって生きてるんだからね、何はともあれ電燈位灯いたっていいじゃないか」(『芳兵衛』)
 この、「しかしこうなればこっちのせいじゃないよ」はどうなっているのだ。「何はともあれ電燈位灯いたっていいじゃないか」もすごいが、そもそも「何はともあれ」がよくわからない。
 しみじみとした読書である。マルクスは『資本論』を執筆中、頭を休ませるために微分積分などの問題を解いていたというが、僕は『資本論』を読むあいま、こうしてしみじみとした読書をする。京都は朝からこまかい雨が降っていた。外に出るのがおっくうだ。それで少し小説を書く。

 
*1この時期、京都の大学で教えるために京都市内に住んでいた。

*2この時期、ウェブ日記にNHKの方より『真剣10代しゃべり場』への出演依頼があったことを書いたところ、多くの人から「出ないほうがいい」という意見をメールでもらった。 

(次回は、「『なんだこれは』とマルクスは驚いた」を公開します)

関連書籍

宮沢章夫『『資本論』も読む』

「せめて『資本論』を読んでから死にたい!」。憧れの気持ちは強くとも、歴史的大著の前では常に挫折の繰り返し。人生数度目の挑戦でも、長い序文が、他の原稿が、演劇の公演が、日常の雑事が、またも行く手を阻む。果たして今回は読み終わるのか――。「わからない。わからない」とつぶやきながら『資本論』と格闘する日々を綴る異色の七転八倒エッセイ。

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