近年、メンタルヘルスに関する知識やうつ病や発達障害などに対する理解が急速に社会に広がりつつあります。一方で、「心の病」について悩み、勇気を出してメンタルクリニックに通ってみても、なんだかしっくりこない。疑問に思うことがあっても口に出すことができない。そういうユーザーも多いのではないでしょうか。
そこで、本連載では、元薬物依存症患者の風間暁さんと精神科医の松本俊彦さんの公開診療をお届け!
患者と精神科医という関係を超えた子弟でもあり、共に精神医療の常識に挑戦する「戦友」でもあるおふたり。「うつは心の風邪」「ダメ。ゼッタイ。」といったフレーズが生み出す精神疾患への思い込みや偏見。診察室の中で生じる権威勾配や「診断」という暴力など精神医療のタブーに切り込みながら、患者の主体性を取り戻し、医療との新たな協働のあり方を提言するスリリングな往復書簡『先生、心の病って本当に治さなきゃいけないんですか?』が始まります。
今回は、第1回! 風間暁さんから松本俊彦さんに宛てたお手紙です。
* * *
患者も医師をアセスメントしている
松本先生との往復書簡を始めるにあたって、担当編集Fさんから「冒頭に軽く自己紹介を」と言われました。軽く。これがなかなか難しいのが私、風間暁です。
私は、若者支援と精神保健の両領域を横断するソーシャルワーカーとして活動し、感じたことや考えたことを文章にしながら生きています。社会的養護[*1]を経験した子どもや、困難な家庭環境をサバイブしてきた若者たちの人権擁護に取り組み、軽視されやすい本人の声を支援や制度の場へ届けるアドボケイト[*2]でもあります。支援者であると同時に、彼ら・彼女らと同じような経験をもつ「ピア」。つまり、当事者です。
子どもの頃から母親の虐待を受け、父親は飲酒運転の人身事故を起こし受刑。家庭で安心して暮らせない十代を過ごしました。ストリートで生活していたところを補導され、家庭にも返せないと判断されて、十三歳で児童相談所の一時保護所と児童自立支援施設へ。施設でもいじめが続き、精神科に通わされました。
そこで、「薬を飲めば楽になる」ことを知りました。入院中も「リスカではなく、頓服で苦痛に対処して」と言われたので、苦しいときは薬を飲んだ。たくさん飲めばもっと心を麻痺させられると気づき、オーバードーズをするようになり、違法薬物も使いました。すると今度は、「なぜ正しく飲めないのか」と怒られました。
児童福祉と精神医療の「対象」として過ごし、いまは支援する側にもいる。その両側から見ると、支援と管理の境目には、ずっと違和感があります。
いま支援する仕事をしているからといって、私の当事者体験が「めでたく克服した過去」になったわけではありません。
私は、支援者や医者を、肩書きだけでは信用しません。先生たちが患者をアセスメント[*3]するように、こちらも先生たちをアセスメントします。先生は覚えているかわかりませんが、もう何年も前、松本先生に好きな音楽を尋ねたことがありました。それも、先生がどんな人なのかを試すためでした。
以前、ほかの薬物依存症専門外来の元主治医に同じ質問をしたら、「クラシックかな。風呂上がりにレコードを聴く時間が癒し」と冷笑気味に言われ、瞬時に脳が爆発したのかと思うほど腹が立ちました。
いや、別に、クラシックが好きでもいいんですよ。クイーンだって、ディープ・パープルだって、その大仰さや構築美をロックに持ち込んできました。メタルなんてバッハに電気を通したようなものです。
でも、当時の私には、風呂上がりにクラシックを聴いて優雅に癒される余裕はなかった。だから精神科に通う羽目になっていたのです。
さて。松本先生は、レゲエ、それもクラシック・レゲエが好きだと言いました。同じクラシックでも大違いです。ピーター・トッシュの名を出すと、「ずいぶん渋いのを聴くね」と笑った。代表曲は『Legalize It』(合法化せよ)、ジャケットはガンジャ畑[*4]に座る本人の姿です。まさか薬物依存症外来の医者が、あの土臭く甘煙たいカルチャーに、ここまでリスペクトを示すとは。
あのとき先生に、カート・コバーンに憧れてダメージデニムとカーディガンを買い、弾けもしないムスタング[*5]までローンで買ったかと思えば、突然ジム・モリソンにかぶれて上裸になるような、ダサいモラトリアムを経た人のにおいを感じました。どうしようもない偏見です。でも、ものすごく人間らしくていい。
小説の話でも、「川端康成が好きな人より、坂口安吾が好きな人のほうが『こっち側』だよね」と言いました。うれしかったな。文豪に憧れて神谷バーで電氣ブランを飲み、『堕落論』で自分のだらしなさまで肯定された気になる。私同様、先生にもそんな時期があったのでは、と思いました。
ずいぶん乱暴な人物鑑定ですよね。でも、先生がきれいには生きられない人をどこまでわかってくれるのか、確かめたかったのです。あの日、先生なら「正しい答え」だけで終わらせないと感じました。だから、少し意地悪な質問をぶつけます。
松本先生、心の病って、本当に治さないといけないんですか。
精神科医が私たち患者にできることって、いったい全体、なんなんですか。
私は「治りたい」と思ったことがない
私は周囲から見れば、そりゃあ、「精神科の治療が必要な人」でしょう。
薬物を使用し、頻繁に解離して、記憶も飛ばし、死にたがっていました。とくに私の場合は生まれ持った性格なのか、すべてに対して反抗的で、弁も立つし、とにかく行動的でした。専門職支援者からすれば、相当に「厄介な患者」だったでしょう。
精神科閉鎖病棟への入院回数は、ぜんぶで7回です。そのすべてが、私の同意なく行なわれる「医療保護入院」と「措置入院」という、強制的なものでした。
自殺を図り、ICU(集中治療室)から移送されたのが、今のところは、最後の精神科入院です。私は19歳、2011年の出来事でした。
もちろん、薬物をやめてから15年が経った今でも、虐待やいじめ被害をはじめとした、トラウマティックな体験のフラッシュバックは起こします。フラッシュバックは、まるでタイムスリップしたかのような感覚です。現実に生きているはずなのに、過去の記憶に引きずられて、自分の立ち位置がわからなくなる。足場が揺らぎ、パニックに陥り、呼吸も困難になります。
家庭やストリートで命や身体を脅かされたときの恐怖が蘇り、今もすぐ目の前に、自分を殺そうとしてくる人がいるように感じます。そうなると、どんな薬物でもいい。とにかく使える手段を使って、記憶の追体験から逃れたくなります。
それでも私は、自殺を図ってからかれこれ15年は、薬物に頼らず生きてきました。でもいまだ、模範的な「回復した人」にはなれていません。
けれども、よく考えてみれば私は、自分から「治りたい」と思ったことも、たぶん一度もないのです。
薬物を使っていることを誰かに相談すると、話はたいてい、「どうやってやめるか」から始まります。
エイミー・ワインハウスが『Rehab』で歌ったように、薬物依存症からの回復施設に入所することを「No, No, No」と言えば、治療拒否にも様式美が生まれますね。それを聴いた誰かに、「私もノーと言っていい」と思わせることさえある。でも実際に私たちが診察室で治療を拒むと、「病気を否認している」の一言で片づけられます。
なぜ使っているのか。薬物がその人にとってどんな役割を果たしているのか。そもそも本人はやめたいと思っているのか。そういう話はあとに回され、ほとんど勝手に、やめることが治療や支援の前提として決まっていきます。
そりゃあ、薬物はやめたほうがいいでしょうね。そもそも、健康になったほうがいいでしょうし。そして、できれば幸せに生きたほうがいいですね。エイミーだって結局、27歳で亡くなってしまいましたから。
でも私は、「健康になりたいのに薬物を使っていた」のではありません。むしろ逆です。健康になりたいと思う余裕さえなかったから、薬物を使っていました。
明日の幸せどころか、今日を終えることだけで精いっぱいだった。死にたくてたまらない。生まれてきてしまったことに、心から絶望していました。
生きる理由より、死ぬ理由ばかりが積み上がった毎日のなかで、私は解離し、薬物を使い、それでもどうにか生き延びていたのです。
違法薬物の場合、この構図はさらに露骨になります。使っていることが見つかれば、逮捕されるかもしれない。そうなれば、「やめるかどうか」を自分で考えるより先に、警察や裁判、家族や医療が動き始めます。
N.W.A.の『Fuck tha Police(ファック・ザ・ポリス)』は、黒人の若者を犯罪者予備軍として扱う警察を、逆に被告席へと立たせる曲です。もちろん、アメリカの黒人が受けてきた人種差別と、薬物使用者への扱いは同じではありません。ただ、本人の話を聞く前に、属性だけで判断される点は重なります。黒人だから犯罪者だろう。薬物使用者だから矯正・治療されるべき極悪人だろう。そう決めつけられると、本人が何を言っても聞いてもらえません。
罰を受けるくらいなら、治療を受ける道を選んだほうがいい。そう考える人もいるでしょう。
けれど、それは本当に「治りたい」、あるいは「やめたい」と呼べるのでしょうか。
罰せられるか、自分を病気だと認めて治療を受けるか。その二つしか差し出されていない場所で、後者を選んだからといって、本人が薬物をやめたいと思っているとは限りません。
私は、「そもそも、薬物を使っていて何が悪いんだよ」と思います。
もちろん、薬物には危険もあります。命を落とす人もいるし、生活を壊される人もいます。でも、それと同時に、薬物を使わなければ生きられない夜も、薬物がなければ成り立たない生活や人生も、たしかにあるのです。「危険だからやめるべきだ」という結論だけでは、私がなぜ薬物を必要としたのかという本質的な部分には、決して辿り着けないでしょう。
「薬物を買えば、反社会的勢力の資金になるから悪」とも言われます。たしかに、違法市場の金が犯罪組織を潤すことはある。でも、こちとら彼らを応援したくて買っているわけではありません。生き延びるために必要なものが、そこにしかなかった。欧州の一部のように、専門職の監督下でより安全に使える場があれば、ハナからそこで使います。
資金の流れを問題にするなら、薬物の流通を地下に追いやり、犯罪組織に利益が集まる仕組みそのものを問うべきです。
なぜ私たちの、生きるための試行錯誤だけが、「治療対象」とされるのでしょうか。
解離も同じです。
解離とは、つらすぎる現実から、意識や感覚が切り離されることです。私の場合、それは、残酷で理不尽な世界から私を守るために起きました。私を壊した症状というより、私が壊れてしまわないための防御機能でした。
ピンク・フロイドの『Comfortably Numb』ではないけれど、麻痺しなければ耐えられない痛みもあります。
世界のほうは何も変わっていないのに、その防具だけを「病気」と呼んで取り上げる。それが治療なのだとしたら、治ったあとの私は、いったい何を使って、この世界を生き延びればよいのでしょう。
「よくなる」のは、誰のためですか
「健康になる」という言葉には、逆らいにくい力がありますよ。
病院に通う。薬をきちんと飲む。決まった時間に眠る。学校や仕事に行く。薬物をやめる。自分を傷つけない。周囲に心配をかけない。
すべての曲を明るいメジャーキーに移せば、名曲になるわけではありません。ニルヴァーナから歪みを、パブリック・エネミーから怒りを抜いて、「聴きやすく、品行方正になりました」と言われても、それはもう別の音楽です。
でも、そうなれば、医師も家族も安心します。本人は「よくなった」と言われます。私の尊厳が踏み躙られて、私が私でなくなっていたとしても、です。
もちろん、生活が整うことで楽になる人もいます。薬物をやめることで、命が守られる人もいるでしょう。
ただ、そこで言われる「よくなる」には、本人の苦しみが減ることだけでなく、周囲が困らなくなることも混ざってはいないでしょうか。いや、むしろ、そちらが主眼なのではないでしょうか。
薬物を使わなくなった。騒がなくなった。何も訴えなくなった。言われたとおりに通院するようになった。
周囲から見れば、たしかによくなったように見えますよね。けれど、その人が前より生きやすくなったかどうかは、別の話だと思います。ただ黙ることを覚えただけかもしれません。苦しみを外に出さず、一人で抱えるようになっただけかもしれません。
なにも、危険な状態の人を放っておいてほしいと言いたいわけではありません。死にそうなら、まず命をつないでほしい。薬物で傷ついているなら、その傷を小さくしてほしいです。
ただ、命を助けた次の瞬間に、「では、これからは”健康”に生きましょう」と、勝手にゴールを決めないでほしいのです。
すぐには薬物をやめられない人も、やめたくない人もいます。生きたいとも、治りたいとも言えない人だっている。医療は、そんな人とも、薬物や解離を手放すことを条件にせず、その人がいま困っていることから、話を始められるのでしょうか。
本人の意思を待っていては、間に合わないこともありますよね。
でも、命を守ることと、その人を「正しい生き方」へ連れていくことは、同じではないはずです。
たぶん、私たちは簡単には、同じ答えにたどり着かないでしょう。
でも、医師主導でしか対話のテーブルにすらつけないのなら、私たち患者は、一体いつまで自分の人生の主体を、自分以外のなにかに握られ続けていればよいのでしょうか。
私のこの手紙も、カルテになら「不穏」「訴えが多い」「操作性+」などと書かれるのかもしれませんが、幸い、ここは文壇です。「患者」と「医者」ではなく、同じ問いを両面から考えるひととして、対話もできるはずです。
松本先生。私は、別に治したくもない薬物依存症や解離性障害を、一体なんのために、治さないといけないんですか。
そもそも先生は、心の病を治せると思って、精神科医をやっているのでしょうか。
【脚注】
*1 保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うこと。
*2 擁護者・代弁者
*3 評価・査定。必要な情報を収集、分析し、適切な判断や対応につなげるプロセス。
*4 大麻を栽培する畑
*5 フェンダー社が生産・発売するギター。左右非対称なボディとやや短いスケール、ノイジーでチープな音色から多くのグランジ、オルタナティブ、パンクを担うアーティストに愛された。日本ではギタリストでシンガーソングライターのcharの愛器としても有名。
* * *
次回の更新は、10月10日! 松本俊彦さんからのお返事です。
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そこで、本連載では、元薬物依存症患者の風間暁さんと精神科医の松本俊彦さんの公開診療をお届け!
患者と精神科医という関係を超えた子弟でもあり、共に精神医療の常識に挑戦する「戦友」でもあるおふたり。「うつは心の風邪」「ダメ。ゼッタイ。」といったフレーズが生み出す精神疾患への思い込みや偏見。診察室の中で生じる権威勾配や「診断」という暴力など精神医療のタブーに切り込みながら、患者の主体性を取り戻し、医療との新たな協働のあり方を提言するスリリングな往復書簡です。
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