その場所は代官山の駅から歩くと十分くらいかかる区の子育て支援施設で、私の住んでいる地区から別にそんなに近くはないのだけれど、徒歩で行ける場所に散々通って飽きてきた頃に、ベビーカーで電車に乗る練習も兼ねて娘が三か月や四か月の頃に何度か訪れた。

娘が六か月になると同時に公立保育園に入園できる見込みは立っていたが、逆に言えばそれまでは託児所やベビーシッターを予約しない限りは毎日一日中赤ちゃんと過ごさなければいけないということで、しかも結構生真面目な私は毎日何かしらの予定を立てて一度は娘を外に連れ出すことにしていて、支援施設で0歳児が集まるイベントなどがあればすすんで参加していた。
代官山の施設では週に一度、六か月に満たない子と母が参加できる「赤ちゃんのお部屋」というプログラムがあり、十人くらいのママと赤ちゃんが輪になって軽く自己紹介や情報交換をしたり、ベビーマッサージや体操を習ったりするその時間を目指して行くことが多かった。というか、そんなプログラムでもない限り、三か月の赤ちゃんを連れてどこかに行ってもすることがない。まだはいはいもしなければお座りもしない娘は、滑り台やコンビカーで遊ぶわけではないし、おもちゃがたくさんある遊び場に行ったところでせいぜいガラガラを握る程度。そんなものは家にもたくさんある。
とはいえ一日中家にいると私の方に発散がないし退屈で、たかが小一時間のプログラムでもありがたく参加するくらいしか毎日することがなかった。新生児特有の可愛さがあるということはわからないでもないが、それは他人の子を五分も抱っこすれば味わえることであって、毎日一緒にいたところでそれ以上の感動は別にないし、せいぜい寝返りやゲップくらいしかしない生き物を観察しているのは私にとってかなりつまらなかった。
子育て施設のそうしたプログラムではこちらの名前が聞かれることはあまりない。娘の名前と月齢を書いた名札シールをつけるし、施設の利用登録も娘の名前でする。でもその日のプログラムでは講師の保育士が、「たまには赤ちゃんたちではなく、ママのことメインで自己紹介をしましょう」と提案し、私たちは娘の名前と月齢と住んでいる地区、それに加えて自分のかつての将来の夢を話すことになった。そのせいか、「マイの母です」「ケントの母です」といういつも通りの始め方ではなく、「山本と申します、息子の名前はアオで四か月になりました」と話し始める人が多かった。人によっては「渡辺ユウの母の渡辺リエと言います」なんて話す人もいた。
普段そういった場所でママたちが名前を喪失することに愕然とするほどナイーブではないが、ケンちゃんママやユウちゃんママでしかなかった彼女らが、山本や時にはフルネームで登場するのはちょっと新鮮で、なおかつその日の集まりにはMAXみたいな踊れる歌手を目指してアクターズスクールに通っていましたとか、考古学者になりたかったけれど出土品が好きでも土にいる虫に耐えられる自信がなくて客室乗務員になりましたとか、ユニークな夢を語る人が多かったのでいつもより楽しくその自己紹介タイムは進んでいた。
大体いつもは「マイの母です、最近夜泣きが~」的な、わざわざ聞かなくても想像ができる言葉だけでまわるその時間に、笑いやどよめきが起こることはなく、みんな貼り付けた笑顔や教科書通りの共感顔で、「うんうん、大変ですよね」と頷くくらいしかリアクションの取りようがないのだった。
「鈴木ですー、来週五か月になるこの子はリュウセイですー」
とある人が言ったのはそんなのどかな木曜の午前中で、私はアクターズスクールって沖縄にもあるんだ、とか変な方向に動いていた思考を一度完全に止めて、紺色のタートルネックのニットにぶかぶかしたデニムを履いて髪をきつく結んだ美人ママの方を発作的にじろっと見てしまった。
彼女の発言におかしなところは何もなかったはずだし、かつての将来の夢もそれほど奇抜ではなかったはずだが、彼女が口にした三文字の苗字は、かつて私も名乗っていた、いやむしろ四十年間本名であり続けて、今も仕事のサインや宛名では使っているものであった。
産後はホルモンバランスの関係でおかしな思考回路になったり、夫に対して攻撃的な気持ちになったり、わけもなく涙が出たりするものだ、と産院でも習ったし経験としてすでに実践済みだったが、産後三か月以上経ってもうそういう時期は過ぎたという実感があった。でも私は私の左真横で「鈴木ですー」と自己紹介した彼女に強烈なやっかみのようなものを覚えて悔しくて仕方がなかった。
「あ、もともとは私も鈴木でした、今は別の苗字になりました」
自分の番でついそんな言葉が口を出て、周囲の「ふーん別に聞いてないけど」という視線を感じ、気まずくなってあたふたとかつての将来の夢を面白おかしく話したのは、その嫉妬からだった。別にその時とせいぜいあと数回参加するかもしれない「赤ちゃんのお部屋」でしか会わないであろうママ仲間に律儀に本名を名乗る必要はないわけで、しかも私には仕事で名乗る正式なペンネームがあってそれも鈴木というわけだから、本来鈴木ですと言ったって良いのだった。
でもそうすると、シールに名前を書かれた私の娘の苗字も鈴木ということになってしまって、それは今のところは彼女の氏であったことのない、不正確な情報になってしまうという意識が私にはあった。だからその未練たらしく釈然としない自己紹介になってしまった。
私だってかつては鈴木だった。電話口で聞き返されることもない、表記も分かれず漢字を確認されることもない、山田ほど偽名っぽくもない、文具屋に印鑑がなかったことが一度もない、本屋のシャチハタコーナーでは四列くらいを占領している、個人的にベスト便利苗字に近い苗字。響きもちょっとシャキシャキしていて、濁音があるのに鈍い感じがしない、下にどんな名前が来てもいい感じのコーディネートが完成する万能な氏。
私の左隣のひっつめ顔の美人は今もそれを堂々と名乗っていて、なんなら私がその氏を失ったのと同じ経緯でその氏を獲得した可能性も結構高確率であるわけで、その場合はその苗字の家に生まれたわけではないのにその苗字の万能さを味わい尽くしている幸運者ということになる。冷静になって考えればその場合は彼女だって一つ、自分にとって心地よかったかもしれない苗字を失っているかもしれないのだけど、その時の私はただ猛烈に、自分が失ってしまったものを今手に持っている彼女が羨ましくて仕方なかった。
何も私は最初から鈴木という氏に愛着や今並べたような優位性を感じていたわけですらなかった。というかむしろありふれたその氏に何の感情も持っていないと思っていた。だからひっつめ髪の美人ママが名乗ったその瞬間まで、鈴木を奪われた恨みに名前などついていなかった。
ちょうどその頃の私は、妊娠しているワタシを抜け出して産後間もない目まぐるしい日々も徐々に抜け出しつつあり、既婚のワタシだけは抜け出せないことに気づいて自分のバランスを失っていたのだと思う。夫に対する産後の攻撃的な気分が落ち着きつつあるようで、何か恨みに近い感情も抱いていて、その感情の正体の一つが、妖怪・苗字奪いへの恨みみたいなものだったような気もする。0歳児サークルの自己紹介はそれに思い至るきっかけになった。
こうなった原因は私の方にある。夫も夫の実家も、それが当たり前という意識はどこかに持ちつつも、別に躊躇する私に無理やりあちらの氏を押し付けてくるような圧をもってはいなかった。別に私が変えるからいいよ、と私の方がそれを当然視していた。そもそも私は近年、というかもう長らく議論されつつも一向に実施されるめどがたたない選択的夫婦別姓の議論に積極的に関わってすらこなかった。聞かれれば普通に賛成とは答えるが、まったく自分事としての切実さを持ち合わせていなかった。
理由は三つある。一つは結婚する気がさらさらなかったこと。もう一つは先に書いたように、生まれてから本名として名乗っていたスズキという苗字に何の愛着もないがゆえ、苗字なんて別に変えても変えなくてもどうでもいいという意識があったこと。そしてもう一つ。私は好き好んでころころと名前を変えて生きてきた、その経緯があったのだった。
ポルノ出演時の「佐藤」という苗字は、下の名前をラリルレロ行があるものがいいと言った私に、ほぼ初対面の事務所の社長が「苗字はじゃあせめて無難で普通っぽいものがいいよ、鈴木とか」と助言し、「え、私の本名が鈴木です」と言ったら「じゃあ佐藤ね」とその場で与えられたものだった。佐藤は鈴木よりさらに人口の多い名前だし、おなじくサ行で始まるし、何の抵抗もなくそれを受け入れた。そこから三年ほど私は月に数回「佐藤」になった。
直前まで勤めていた横浜市内のキャバクラでは「高山」という苗字をつけていた。最初に働いた店で名乗った「藤咲」という苗字があまりに作り物っぽくて途中から恥ずかしくなり、教習所で一番渋いイケメンだった白髪の教官の苗字を拝借した。
一つの店でじっくり働かない転々虫だった私は、その後も「豊田」とか「一ノ瀬」とか源氏名にいくつか適当な苗字をつけて働いた。どの苗字を名乗っていた時代も何かを奪われたり失ったりした意識は皆無で、むしろ自分を好きなように名づけ直せることの喜びを享受していた。ちなみに一時期ホストクラブの初回などで名前を聞かれると「山田」と名乗っていたこともあった。だから法律を変える運動を熱心にしてまで鈴木を守ろうという意識にはなかなかならなかったし、そこに切実さがある人間の気持ちをリアルに想像することもあまりなかった。
しかし私は代官山の施設で、アンパンマンのコンビカーやしまじろうのパペットおもちゃに囲まれて、失ってしまった大切な何かによって自分を見失いそうになっている。正直、例の鈴木さん以降のママたちの自己紹介は全然覚えていない。アクターズスクールに通っていたと教えてくれたママの顔も忘れた。
いつでも戻れる鈴木があるからこその佐藤や高山の軽やかさだったのか、あるいは私の精神が結婚している状態を受け入れられずに鈴木に固執しているだけなのか、新姓というより結婚自体が嫌なのか、自分でもよくわからなかった。夫を伴って改名したい気もしたし、離婚したい気もした。娘の苗字を変えたい気もしたし、今の苗字との相性がよい彼女には今の苗字が似合っている気もした。
数多の源氏名を渡り歩いて、今も生活の半分以上はペンネームで過ごしている私にとって苗字の変更が何かストレスになり得るなんて考えたこともなかった。でもそれは、結婚という自分には無関係と思っていた迷宮の入り口に過ぎなかったような気もする。
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