子宮摘出後の夫婦生活はどうなるのか。アンダーヘアの脱毛事情はどうなっているのか。そして、生と死が交錯する医療現場では何が起きているのか――。女性の身体と人生に深く関わる婦人科の世界には、知っているようで知らない“女の本音”と“現場のリアル”があります。
そんな診察室の裏側を赤裸々に解き明かすのが、現役アラフィフ産婦人科医・櫻井くす子さんの著書『婦人科医の「ここだけの話」ですが、何か?』。本書では、面と向かっては聞きづらいマダムたちの下世話な疑問から、患者たちが抱える命の重厚なドラマまで、長年の経験をもとに愛と毒舌を交えて痛快に綴っています。本記事では、その一部をご紹介します。
* * *
人が人を癒すとき、言葉はいらない
「先生はムンテラ(患者説明)がすごくお上手ですね」
彼女から言われて私は顔を上げた。静かな医局。いつもは点いているテレビも、そのときは消されていた。
大学病院に勤務しているときは、入れ替わり立ち替わり、レジデントの指導医を務めた。
患者を直接担当しなくていいと言われて、少しは気楽かと思って引き受けたが、その目論見は早々に裏切られ、毎週朝から行われるカンファレンスで、代わりに叱責を受けてばかりいた。
彼女はどこかの大学を卒業してから医学部に入り直し、すでに三人の子供を育てる母親でもあった。線が細くて色白な顔立ち。スラリと背が高いのに圧迫感のない、優しげな雰囲気からは母親であることを微塵も感じさせなかった。
控えめで穏やかな性格は、大学病院ではいっかな、美徳とはされない。いつだってテキパキと仕事をこなし、何事にも動じない頭の回転の早い者ばかりがもてはやされていた。
彼女が殺伐としたここでの業務に向いていないのは明白だった。
「私、どうしても患者さんへの説明が苦手で……」
誰かの術前説明の後だったか。彼女は持参した弁当を前にして続けた。大学病院では患者の多くが暗澹たる病状で、気の優しい彼女に、事実を踏まえたハードな説明ができるはずもなかった。
だが、説明をしておかねば、いざというとき説明義務違反を問われてしまう。起こりもしない恐ろしい合併症まで詳細に語らねばならない、通称ムンテラは、彼女にとって酷な仕事だった。だから本来彼女がすべき説明を、途中から私に交代していた。
最初から得意な人なんていないから。雑事で疲れていた私は少しイライラして、それで話を終わらせた。彼女はさらに何かまた言いかけたが、とりつくしまのない私を諦め、弁当に戻った。
彼女が受け持っていた患者の中に、聡子さんがいた。数年前から子宮体がんの治療中。子供はおらず夫婦二人で暮らしていた。

酷い出血をきっかけに病気が見つかったとき、すでに病状がかなり進行しており、当初から治療は難渋していた。なんとか数年は手を尽くしてきたが、やがて大学病院で提供できる治療がなくなってしまった。
これからはがんを根治する治療ではなく、少しでもお元気でいられるためにがんと共存するような治療になっていきます。お望みであれば、緩和ケアを専門とする施設にご紹介することもできます。
根治が望めないという、決定的なことを告げるその場であるのに、殺風景なカンファレンスルームは、簡素な机とパイプ椅子があるきりで、1枚の絵画もない。心を癒す造作にはなっていなかった。
担当医である彼女と私は、難しい顔をしているご夫婦を前に、絶望的であると同時に、通り一遍の薄っぺらい内容を告知しなくてはならなかったが、お二人は全く取り乱すことなく彼女の話を静かに聞いていた。
やおら、ご主人が静寂を破って口を開いた。
「家内の病気が見つかってから、今日が来るのを恐れていました。今までものすごく怖かったんですが、いざこの日が来てみると、あっけないもんです」
誰かの喉に、ひゅっと風が吹いた。
ご主人は、聡子さんの手をぎゅっと握って、「家内には今まで散々苦労ばかりかけてき
ました。私が今まで、どうにかやってこれたのは、家内が頑張ってくれたおかげです」「先生、少しばかりですが、退職金が出ることになっているんです。その金を、全て聡子の治療に使いたいと思います」と言った。
ご主人は、いつかここでの治療がなくなってしまうことを覚悟して、この1年、いくつかの民間療法を次の手段の候補に挙げていた。標準治療にはなり得ないその治療は、何もかもが高額で、何もかもが胡散臭かった。
私が何か言いかけると、ご主人はす、と右手をあげ、発言を遮った。
「先生のお考えはわかります。……私もわかっています。私がしようとしていることが、一切無駄になるかもしれないことや、気休めでしかないだろうことも全部」
またどこかでひゅっと風が吹いて、彼女がバタバタと席を立った。優しい彼女が私よりも聡子さんよりもご主人よりも先に、耐えられなくなったのだ。彼女が直さずに行った椅子を机へ引き入れながら、私は一度深く呼吸をして、聡子さんに尋ねた。
「ご本人は、ご主人のお話をどう思われているのですか」
聡子さんはご主人の手を握り返し、私ではなく、彼へ向き直った。
「私は、主人の思うようにしてもらおうと思います。……私、あなたを遺していかなくちゃならないから。あなたの悔いのないように」
聡子さんのご主人に頼まれ、遠い東の方へ宛てて病状をしたためた手紙を書くことにり、その話し合いは終わった。担当医である彼女にムンテラがうまいと言われた私は、ご主人の決意に圧倒されて一言も思うことを話せぬままだった。
私が戻ると、彼女は医局で静かに泣いていた。

「……先生、すみません」
私は、彼女の父が闘病の末、亡くなったばかりであることを知っていた。様々なことが彼女の細い肩にのしかかっており、今、無理をして出勤していることも、少々オーバーワークであることも、知っていた。
「患者さんより先に泣いちゃダメだよ。悲しいけど、私たち、泣く権利がないの」
彼女はそれに答えられなかった。しゃくりあげて泣き出した彼女の隣に座り、泣き止むまでひたすら待った。
それから聡子さんとご主人は、住み慣れた土地を引き払い、一縷の望みにかけて東へ転居した。ご主人に託した分厚い診療情報提供書には、短く「治療を始めました」と返事が来て、それきり音信が途切れた。
一方、彼女は専門医試験に必要な論文をなんとか書き上げ、春にはまた別の病院へ旅立って行った。レジデントの異動は1〜2年ごとだ。泣いている暇はなかった。
半年ほど経って、1通の封書が私宛てに届いた。送り主の男性の名前に覚えがなくて、恐る恐る封を開けた。聡子さんのご主人だった。
手紙には、突然の連絡の非礼を詫び、思いのほか早く聡子さんが旅立ってしまい、退職金の大半が使わないまま残ってしまったこと、彼女が最後まで朗らかに過ごせていたこと、そして、一人になった今、故郷に帰ることにしたということなどが綴られていた。
そして、「治療がないと言われて絶望したけれど、あのとき担当の先生が泣いてくださって、私たちは随分と慰められ、聡子はいつもあのことを何度となく口にしていました」と書かれていた。担当の先生にくれぐれもよろしくお伝えくださいと結ばれたその手紙は、気のせいか、ふわりと梅の花の匂いがした。
こんなときは冷静にとか、先に泣くなとか、慎重に言葉を選ぶとか、ムンテラのテクニックはいくつもあるだろう。
ベテランになった私は、それを知っていたに過ぎない。
だが、人が人を癒し、心が震えることに、理由はないのだ
私は彼女の勤務先に電話をかけ、梅の便りの話をした。
喉に風を持っているのは、やっぱり彼女だった。
ひゅっと鳴って、電話の向こうで静かな嗚咽が響き渡った。
婦人科医の「ここだけの話」ですが、何か?

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