長袖をくださいと懇願したくなる頃。家族で北海道の知床へ旅行にいった。
どこまでも真っすぐ天まで伸びる道で車のアクセルをふかすとき北海道を感じたし、美幌峠から濃紺の屈斜路湖を眺めるとき自然の尊さを感じた。
三泊四日の道東旅では、知床五湖や野付半島、阿寒湖アイヌコタンと、いたるところを訪れた。そんな北海道のどんな絶景よりも、圧倒的に美しいワンシーンがあった。それこそが、この旅のハイライトだった。
そのワンシーンとは、温泉宿の古めいたゲームセンターのエアホッケーの台を前にした母が「ホッケーつよいのよ、わたし」と語り、家族全員に勝利してみせたときであった。
宿で温泉やサウナを満喫し、北の大地が生み出した食材に舌づつみを打ち、大満足。
一同はレストランの前にあった、レトロなゲームセンターへと足を運んでいた。
これがゲームなのかと目を疑うほどリアルになった現代のレーシングゲームでは考えられないほど2Dのグランツーリスモに白熱する妹。
パンチの威力で敵を倒すゲームでは、私が家族でいちばんのスコアを叩き出した。誕生より三十年間の記憶のどこを探しても父に優ったことは一度もなく、突如おとずれた歴史的瞬間に戸惑い、この驚きと喜びと恥じらいが同居する名前のない感情をどう命名しようか頭をもたげていた。
そんな中「ホッケーつよいのよ、わたし」と母が発し、始まった第一回大石家エアホッケーチャンピオンシップ。
ディスクの行方に一喜一憂し、子どもみたいにはしゃぐ母。初戦、なんなく長女に勝利。次鋒であった長男である私もあっけなく敗北し、母は勝ちを積み上げる。続く、次女、父にも母は連勝し、宣言通り四戦四勝でチャンピオンになってみせた。
UFOキャッチャーに夢中になっていた台湾人男性二人組も途中から、ヒノカミ神楽を舞う炭治郎よろしくホッケー台で乱舞する母に熱狂していた。
母と父が一家の威信をかけた天王山を繰り広げている様子を妹ふたりがわーきゃー叫びながら嬉々としている姿を見て、胸の奥がじんわりと暖かくなっていくのを感じた。
そうか。幸せとは、温泉宿にある古びたゲームセンターでエアホッケーを家族で囲み大熱戦を繰り広げること、なんだと。
私は勘違いをしていた。
幸せと言うのは、なんの苦しみもない心地よい状態が常に続くことだと。幻想を抱いていた。幸せという概念に理想を背負わせすぎていた。
人生から苦悩がなくなることは決してない。
でも、TVショーやソーシャルメディアで輝く人たちを見ていると、四六時中、幸福に包まれているように錯覚する。対して、私たち凡人はいつまでこの苦しみと戦い、いつになったら幸せが訪れるのかと溜め息をつく。
けど、違ったのだ。
大好きな人たちと夢中になれるひとときがある人生を幸せと言うのだ。
旅行から帰っても、変わらず仕事はあるし、変わらず好きな人に振り向いてはもらえないし、変わらず世界は理不尽と不平等が跋扈している。
けれど、あのワンシーンを思い出すとき、自分は幸せなのだなと感じることができる。明日に向かって歩き出すことができるのだ。
私は、古びたゲームセンターで家族とホッケー台を囲んだ夜を両手ですくい、胸の奥の方にある宝箱の中にそっとしまった。
アウトドアブランド新入社員のソロキャンプ生活

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