漫画家・わたなべぽんさんの新刊『思い出ごはん』が発売になりました。これまで「やめてみた」シリーズや『自分を好きになりたい』といった著書で、ご自身の生活や人生を描いてきたわたなべさんですが、美味しいもの好きゆえ、食にまつわるエピソードもちょこちょこ登場しています。今回は、それを「思い出」という軸から描いて頂きました。刊行を記念して、以前から親交のある料理家・井澤由美子さんとの対談を掲載します。それぞれの懐かしい食にまつわるエピソードから、「嫌だった思い出ごはん」まで語って頂きました。
・・・
きっかけは与論島。
―まずは出会いのお話からお聞きしたいのですが、お二人が初めて会われたのは?
井澤 それが与論島なんです。森瑤子さんのご著書に与論のお話が載っていて、以前からずっと訪れてみたかった場所でした。そうしたら、娘が「社会人になった記念に」と連れて行ってくれたんです。
ぽん 素敵!
井澤 居酒屋さんを2軒ほどはしごしたあと、タクシーの運転手さんに「どこか面白いところへ連れて行って欲しい」とお願いしたんです。そうしたら、地元の大勢の方々が飲んだり踊ったりして賑わっている場所に案内されて(笑)。そこでぽんさんと出会ったんですよね。
ぽん そうでしたね。「東京に戻ってもまたご飯でも食べましょう」ということになり、ご一緒させてもらっています。私はほぼ毎年、与論に出かけているんですが、そこで見かけたお野菜や果物をお送りしたりして。
井澤 そうなんです! 与論島はお野菜も独特で本当に美味しいですよね。冬瓜のような稀に見る赤い瓜だったり、大きなオクラは角がない丸みを帯びた形をしているんです。産毛が少ないので、生のままスライスしていただいても、サッと茹でても美味しくて。紫がかった島ラッキョウも風味が強い、そして美しい。
ぽん 串に刺して焼くんですよね。
井澤 皮をきれいに剥いて串を打ち、炭火で香ばしく焼いていただくんですよね。
ぽん 最高ですよね!
レシピ本は難しくても、漫画だったら子どもでも楽しめそう
―今回のわたなべぽんさんの新刊『思い出ごはん』ですが、井澤さんはどんな感想を持たれましたか?
井澤 私は料理家としてこれまで色々なレシピ本を出してきましたが、僭越ながら「私もこんな風に表現できたらいいな」と感じました。本当に楽しくて、スルスルと引き込まれるように読ませていただきました。
ぽん 嬉しいです! ありがとうございます。
井澤 私には、孫がいるのですが、どうやら食いしん坊に育っているみたいで(笑)。子どもにとってレシピ本は少しハードルが高いかもしれませんが、漫画なら「これなら作れそう!」と興味を持ちやすいですし、読んでいて楽しい。
そして、かつおぶし削り器のような昔ながらの道具のことも書かれていて、描写が素敵なので実際に鰹節と一緒に購入しました! 実用的な情報もたくさん詰まっているんですよ。それからお友達との炒め物のエピソード、「動かさない」戦法もやってみたくなりました。やっぱり「食べる」ことって、何よりの癒やしなんですよね。それをぽんさんの温かい漫画で読むことで、余計にリラックスできて癒やし効果が倍増するような気がします。私もいつか、ぽんさんの漫画に登場してみたいなあと思ってしまいました(笑)。
ぽん そう言っていただけると嬉しいです。ぜひ今度登場してください!(笑) 私は料理が専門ではないのでレシピや調理法をどの立場からどう描けばいいのか悩みましたが、食を通して思い出される記憶だったり、日々の逡巡だったり、そんなささやかなものを描けたらなと思いました。それにこれまでの本ではテーマが合わずに描けなかったエピソードを盛り込みたいと思っていたので、描けてうれしかったです。
―(『思い出ごはん』プロローグのお話を踏まえて)今もかつおぶし削りは続いてますか?
ぽん 続いてますよ! わが家ではなくてはならないものになりつつあります。
井澤 削りたてのかつおぶし、やっぱりそそる香りですよね?
ぽん とてもいいです。数か月前、ふるさとの友達が地元の麹屋さんのお味噌を送ってくれたんですが、それが美味しくて美味しくて。かつお節を削っておだしを取って、野菜やキノコをたっぷり入れて、ふるさとのお味噌を溶いて、毎日食べています。
井澤 削りたてのかつおぶしでお出汁をひいて、美味しいお味噌でお味噌汁を作るなんて、体も心も喜ぶいいことづくめですね。
ぽん お味噌汁と言っても具だくさんすぎて野菜の味噌煮込みみたいになっちゃってますけどね。
井澤 たっぷりのお野菜に、なんなら卵もポンと落としたりしてね。それから、削りたてのかつおぶしをご飯にたっぷりかけて、お醤油をちゅっと垂らしただけの「おかかご飯」!
ぽん もう他に何もいらないですね!
料理上手の祖母が作ってくれた素朴ごはん
祖父のお手製自然薯
―井澤さんの「思い出ごはん」話もお聞きしたいです。
井澤 私の実家は祖父母の家と同じ敷地内にあって、お庭が繋がっていたんです。ですから、幼稚園から帰ってくると真っ先に祖母の家へ直行していました。祖母が漬けたぬか床に手を突っ込んでグルグル探し「これがちょうど食べごろだな」と見極めて、きゅうりやカブを出し、軽く糠をぬぐってそのまま食べてました。塩梅の良い乳酸菌の塊は、花のような良い香りがするんです。それから「しょうゆご飯」も思い出深いですね。おしょうゆだけで炊き上げるシンプルなご飯なのですが、料理上手な祖母は「おしょうゆが入っているだけだよ」なんて照れながら出してくれて。私はその祖母の表情を見るのがとても好きでした。お庭で採れた栗を使った栗ご飯や、庭の梅で作る赤い梅干しもよく覚えています。
一方で祖母はとてもハイカラな人でもあって、冷蔵庫は重たい扉のアメリカ製だったし、カリッと焼いたイギリスパンにバターをたっぷり塗っていただくような面もありました。浅草っ子の美大出身ということもあり、粋な器選びや、盛り付けの色彩感覚も豊か。本当に様々な影響を受けましたね。現在の私の「旬の食材を日々取り入れて、美味しく健やかな料理を作る」というスタンスは、まさに祖母の暮らしの美学から受け継いだものだと感じています。
―庭といえば、ぽんさんのご実家もすごいですよね。
ぽん 周囲を田んぼに囲まれているからか、とにかくアマガエルだらけの庭でした(笑)。
井澤 私もアマガエルって可愛らしくて大好きです。
ぽん 夜になると家屋の灯りに誘われて小さな羽虫が集まってくるんですが、それを食べようとアマガエルたちがいっせいにガラス窓に張り付くんです。多いと1枚のサッシに20匹くらい。ジーッと虫の様子を窺って、近くにきたらバクッと食べちゃう。口にはいらないほど大きな虫を食べちゃったときには、目を白黒させて器用に手を使って口に押し込んだりして、見てるとかわいいんです。
井澤 そんなふうに張り付いていても、落っこちないんですね。
ぽん 器用にひっついて落っこちないんですよね 。あと庭といえば祖父が「うちの庭で自然薯を作って楽して収穫したい」と言い出した事があって。当事わが家は兼業農家だったので肥料袋がたくさんあったんですが、まずその袋の上下を切って筒状にするんです。それを2~3袋縦に重ねて土を入れれば、高さのある植木鉢になるんですよ。祖父はそこに山で採ってきた自然薯の新芽を植えてました。秋になったら肥料袋をナイフでスーッと切って土をほぐせば楽に収穫できるわけです。思いついた祖父はとても誇らしげでした(笑)。
井澤 自然薯は薬膳の世界では「山薬(さんやく)」と書いて、まさに「山の薬」と呼ばれているんです。とても滋養強壮に優れた、贅沢でパワーのある食材なんですよ。それをお庭で栽培されるなんて、おじいさま、素晴らしいアイデアマンですね!
ぽん アイデアマンでしたし、思いついたことなんでもやってみたい人でしたね。おじいちゃんの畑の収穫や、田植えや稲刈り、当時私もよくお手伝いしました。
井澤 自然と触れ合いながら命をいただく、最高の食育ですね。
ぽん そうですね、今思うとありがたいことです。でも、今ならあの風景をとても懐かしく思い返せるんですけど、子供だった当時はお手伝いより友達と遊びに行きたくて仕方なかったなぁ(笑)。
体調が悪い時の定番になった「思い出のミルク粥」
―お二人は、大人になってからのご自身の「思い出ごはん」はありますか?
井澤 私はもともと料理家を目指していたわけではないのですが、小学生の頃からお料理を作るのが大好きで。よく女の子たちとそれぞれの家に集まっては、一緒にお菓子やごはんを作っていたんです。今思えば、小さな料理教室のようなことをやっていたのかもしれませんね。そのうち自然と「味付けは由美子の担当ね」という流れになって。みんな少し味付けに自信がなかったからか、私に任せてくれていたんです。
その後、大学を卒業する頃に、母から「そんなに食いしん坊なら、自分でお店でもやってみたら?」と言われまして。冗談かと思っていたら、なんと1週間後には母が本当に店舗の物件を見つけてきてしまったんです(笑)。そこでお店を開くことになり、一応決まったメニューはあったのですが、そのうちにお客さまのその日の体調に合わせて、リクエストされたお料理をお出しするようになっていきました。
ぽん すごい行動力! そんなお店が近所にあったら通いたくなっちゃいますね。
井澤 それがきっかけで本格的に食のお仕事に携わるようになり、後に「マーサ・スチュアート」の日本版雑誌の編集部でも働くことになりました。当時は編集部やお店、子育てで、1日に2時間ほどしか眠れないような日々でしたね。ですから、毎日パーフェクトなご飯を作れないこともたくさんありました。それでも「お味噌汁だけは」と毎日欠かさず作っていたのですが、忙しさでなぜか3日間ほどネギを買い忘れてしまって。
その後、ようやくネギを入れたお味噌汁を出した時、小学生だった娘が「あー、やっぱりネギが入っているお味噌汁って美味しいなぁ」としみじみ言ったんです。その違いが分かる子どもに育ってくれたことが嬉しくて、思わずくるっと後ろを向いてホロリと涙が出てしまったくらい。真っ直ぐに育ってくれている証みたいな勝手な感覚に浸りました。ぽんさんはありますか? ご主人から「きみのこれが美味しい!」と言われて嬉しかった思い出のごはん。
ぽん んー …… ちょっと照れちゃうんですけど、結婚する前、あるとき夫が風邪を引いて寝込んでると連絡があって。「なにか食べた?」と聞いたら「食欲はあるんだけど家に何もないし、買いに出かける気力がない」と言うので、お粥を作りに行ったことがあるんです。そこで食欲があるなら普通のお粥より食べ応えのあるリゾット風にしてあげようと思って、刻んだ玉ねぎやベーコンを炒めて牛乳で煮込んだミルク粥にしたんですよ。一口食べてただのお粥じゃないと分かった瞬間の夫の「んーーーーー!!」って顔が今でも忘れられない(笑)。
井澤 あはは(笑)。心温まる、とってもいいお話ですね。
ぽん そう、だから今でも時々、具合が悪くなると夫は「ミルク粥食べたい」って言うんですよ。
井澤 弱っている時に思い出すのがそのミルク粥だなんて、とっても素敵。
薄焼き卵のオムレツから甘いおでんまで
「嫌だった思い出ごはん」あれこれ
ぽん あとは「思い出ごはん」というか、「嫌だった思い出ごはん」なんですが……。
井澤 あ! それ、私にもあります。実は子どもの頃、母の作るおでんが唯一好きではなかったんです。みりんが多めに入っていて、甘い味付けで……。子供心になんで? 何かが絶対に間違っているぞ! と感じていました。当時は、味醂が多すぎるよ、とか言えないし。笑
ぽん ありますよね~。私は子供の頃、母の作るオムレツがすごく嫌いだったんです。私の知識ではオムレツといえばバターで焼かれたフワフワの卵がアーモンド型に整えられたもので、ケチャップをかけていただくものなんですけど、母のオムレツの作り方はまず、大量の野菜を千切りしてウスターソースで炒めるところから始まります。
井澤 まさかの、そこからスタートなんですね(笑)。
ぽん それを、薄焼き卵で包むんです。
井澤 お母さまなりの、愛情たっぷりのヘルシーメニューですね。
ぽん ピーマンやニンジンといった苦手な野菜だらけの、ソースの酸味でむせ返るようなオムレツが私はとても苦手だったんですが、母なりのヘルシーメニューだったんでしょうね。結構な頻度で食卓にのぼってました …… 。 それから、当時秋田の海沿いに住む親戚が定期的に海産物を送ってくれてたんですが、あるとき手のひら大くらいのとても立派なシャコをたくさん送ってくれたんです。両親はとても喜んで全部そのままみそ汁に入れちゃったんですよ。
井澤 ええっ、殻も剥かずにそのままですか!?
ぽん そう、そのまま(笑)。 シャコってエビよりもちょっと怖い見た目をしてるじゃないですか。虫っぽいというか。反り返った大きなシャコがお椀から飛び出していて、まずそのビジュアルにギョッとしてしまって …… 。 家族はうまいうまいとかぶりついて食べてましたが、私は怖くて食べられなかったですね。それ以来シャコが送られてくると台所に近寄るのも怖かったです。あ、もちろん今は平気ですけどね。
井澤 それは子ども心にはちょっと怖いビジュアルですよね。でも、それを聞いて私も思い出しました! 運動会の時、母が面白がって私のおむすびの中に「イナゴの佃煮」を忍ばせたことがあったんです。
ぽん ええー!? それまたすごいビジュアル!笑
井澤 もう大騒ぎですよ。「井澤が食べてるおむすびから虫が出てきた!」って(笑)。帰ってから母に「あんなの入ってたら、ショックで運動会まったく頑張れなかった」と大抗議しました。私、かけっこ速かったんですけどね。
ぽん うん、井澤さん速そう!
井澤 その後、同級生たちから1年くらいそのことでいじられました(笑)。あの時の母のイタズラには、今でもずっと怒っています(笑)。
ぽん ひいいい(笑)
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