日本の歴史を面白く読ませる、房野史典さんの新連載!『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』は、いまだに増刷を続けるロングヒット作品ですが、さて今回の連載は「歴史を動かした”事件”」で歴史を読んでいこう!というもの。
かの有名な「大化の改新」の話なんだけど、「日本書紀に書かれていたことは嘘だった」って。。。どゆこと!?
* * *
さて、ここまでをおさらい。
唐がデッカくなって、朝鮮へのプレッシャーがハンパない。
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これをキッカケに朝鮮や日本で”権力集中”祭りが開催。
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「この国はオレが仕切る!」と入鹿や中大兄たちがモメる。これが『乙巳の変』。
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だけど『日本書紀』は「蘇我氏が悪かった!」と書き立てている。
なんでそんなことすんのよ? という疑問はいったん置いといて。お先に、
『大化改新』
についてお話ししていこうじゃありませんか。
乙巳の変のあと、新政府メンバーとなった孝徳天皇(軽皇子)、中大兄、鎌足、石川麻呂らが行った”一連の政治改革”を、大化改新といいます。
んで、「大化改新でこういうことやるよ!」と発表した基本方針を『改新の詔(みことのり)』というんですね(『詔』=天皇の命令です)。
では、そこに何が書かれていたのかを、超現代語訳にして、ガバッとはしょって、僕なりに補足して書いてみたので、ちょっと読んでみてください。
1. これまでの天皇や豪族たちが持っていた『自分が持ってる”民(名代・子代や部曲)”』や『自分が持ってる”土地(屯倉や田荘)”』をすべて廃止するね。その代わり、偉い豪族には『食封(じきふ。特定の世帯から税を受け取る権利。給与っすね)』を与えるし、それ以外の役人や一般の人たちにも”布や絹(給与っす)”を与えるよ。
2. ちゃんと都を定めて、都の周辺エリアを治める『畿内国司』や、地方を管理する『郡司』を置いて、さらには関所や監視所 etc. を整備し、通行許可証を作って、国と郡の境界をはっきり決めるよ。地方の『郡』はサイズによって、大郡、中郡、小郡に分けますね。
3. 初めての『戸籍』と『計帳(税を取るための台帳)』と『班田収授法(土地を貸し出す制度)』を作ります。地方の最小ユニットは、”五十戸で『里』”として、各里に「長」を置こうじゃないか。
(※当時の”一戸”は平均20数人の超大所帯です)
4. これまでの古い労働サービスや税はすべてやめて、田んぼの面積に応じた『調(みつき)』という税を納めてもらうからね。絹や布、綿などを納めてほしいんだけど、サイズも細かく指定するからよろしく。これとは別に、世帯ごとに”特産品(塩や魚など)”も納めてね。

とんっ……でもない大改革です。
当時の人々は、「はーい、じゃあグループになって。あなたたちは山の管理、あなた方は豪族のために働いて、で、あんたらは……」
といった具合に、スキルや所属ごとにグループ分けされていて、天皇・王族や豪族は、この集団を支配したり所有したりしてたんですね。
このグループを『部(べ)』、部の民を『部民(べみん/ぶみん/べのたみ)』と言いました。
んでね、『部民』の中でも、豪族たちが”自分専用として抱え込んでいる民”を『部曲(かきべ)』といったのですが、それをこのたび一気に取り上げて、
改新政府「きみたちの民は、もうきみたちの物じゃない。これから民はみな、”国家の民(公民)”だ」
豪族「そんな殺生な(泣)部曲はわてらの言わばリソース(資源)や。そないなことされたら、お仕事も生活もできまへんで(泣)」
改新政府「せやから、これからは部曲から直接収入を得るんやのうて、こちらからお給料を払うさかい、『国家のもとで働く官僚になれ』っちゅう話やないかいはいさいおじさん」
と告げた(告げ方は知らないけど)。つまり、
王族や豪族が支配していた民を国家のものにするぞ! という〈公民システム〉
中央と地方の豪族をすべて細かくランク付けするぞ! という〈官僚システム〉
この2つを、同時に一気に創り上げようという大計画だったわけです。
さらに、公民となった民衆をスムーズに支配していくために
〈国 ー 郡 ー 里(クニ ー コホリ ー サト)〉
という、今で言う〈県 ー 市 ー 町(村)〉みたいな地方行政組織&区画も創り出したんですね。
いやはや、大化改新はホントにものすごい、と、言いたいところなんですが……この改革が本当のことなのか、少し疑っちゃうんですよね。
なぜなら『改新の詔』が書かれているのが、
『日本書紀』だから(ね、怪しいでしょ)。
実は昔から「郡(コホリ)」と「評(コホリ)」の問題がずっと議論されてましてね(郡と評?)。
さっき〈国 ー 郡 ー 里〉ってのが出てきましたよね。『日本書紀』では「郡」という漢字が使われているんだけど、金石文(金属や石などに刻まれた文字や文章)などには「評」と書かれたものが見つかっているんです。
で、みんな思ったわけ。
「あれ? もしかして当時の”コホリ”は、「評」って書いてたんじゃねぇのか? 日本書紀さん、あんたもしかして漢字を書き換えたんじゃ……」と。
ただ、いくら日本書紀さんでも、そこまでは、やり
ます。
思いっきり書き換えてました(イェーイ)。
なんと、当時の”木簡(文字の書かれた木の板)”がいくつか見つかり、それらを調べてみると、
〈700年までは「評」、701年以降は「郡」〉
が使われていたことがハッキリとわかったんですね(どういうこと?)

701年てのは、有名な『大宝律令』って法律ができた年で、「郡」はそこから使われるようになった文字なんですね。
だとすると、646年に出された『改新の詔』に「郡」が使われるはずがありません。
つまり、昭和40年代の新聞に「サブスク」や「エモい」って言葉が並んでる、ってくらいおかしなことが起こっちゃったわけです。
さらに言うと、”サト”も「里」ではなく「五十戸」と表したので、ホントは
〈国 ー 評 ー 五十戸〉という表記が正しいんです。マジためらいなく書き換えてる。
しかし、何が一番問題かって、やっちゃってるのが”文字だけじゃない”ってとこ。
第一条で「部民は廃止!」と宣言してるのに、次の次の次の天皇(天武天皇)のときにも、「部民廃止!」という命令が出されてるんですよ(これが675年)。
おかしいじゃないのさ。本当に改革をやったんなら、そのあと同じ命令を出す必要なんてあるかね?
そうなんです。実際に部民が廃止され公民が実行されたのは、646年の改新の詔からずーーっと後になってからで、675年のこと。大化改新で行われたわけじゃなかったんですね。
それだけじゃありません。
これまた天武天皇の時代、683年~685年にかけて「諸国の境を定める!」と、国境を画定する事業を行なったのですが、これで初めて〈国 ー 評 ー 五十戸〉のシステムが完成したんです。
『改新の詔』の内容の全てが、ホントは後の時代に成立した事柄ばかり。
文字の書き換えに、ウソの内容。みなさんも薄々気づいていると思います。驚くべき事実ですが、
大化改新は日本書紀が作り出したフィクションだった——。
と、大化改新を否定する声の方が強かったんです、”これまでは”。
しかし、この流れをぶち破るものが、近年”地中”から掘り起こされたんです。
それが……
(つづく)
13歳のきみと、日本の歴史を動かした事件の話をしよう。

『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳戦国時代』『笑えて、泣けて、するする頭に入る 超現代語訳 幕末物語』『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう』などなど、ロングな人気作の多い房野史典さん。
絵がうかび、笑いながら読んでいたら、気づけば頭に入ってた! という、驚異の歴史語りは、一度読んだら大人も子供もみんなハマる!
歴史の大先生方からもお墨付きをいただいている房野さんの新連載は、「有名な事件を読み解くと、歴史の動きが見えてくるよ!」ということを教えてくれます。
歴史の面白さがグングン深まっていく、ゾクゾクする感覚をお楽しみください。










