1. Home
  2. 生き方
  3. 愛の病
  4. 彼、彼女、女友達、男友達

愛の病

2026.03.19 公開 ポスト

彼、彼女、女友達、男友達狗飼恭子

ある日、一緒に仕事をしている知人が言った。

「これからはわたしについて、女性を意味する表現をしないでください」

鼎談の直前だったので少し面食らいながら、「分かった」とわたしは答えた。

すぐに鼎談ははじまった。三人で楽しく会話している途中、思わずその知人のことを「彼女」と呼んでしまった。無意識に出てしまったのだ。わたしは慌てて謝った。知人は少し無理して口角を挙げた。

 

鼎談が終わったあと、知人はわたしに性別を公表するのをやめることにしたのだ、と教えてくれた。わたしはもう一度謝って、そのときは終わった。

それ以来、ずっと考えている。

わたしが今まで「彼」「彼女」と呼んでいた人たちは、もしかしたら「彼」や「彼女」ではなかったかもしれない。確認が取れるほど近しい仲の人ならいい。前述の知人のように自分の要望を伝えてくれるのもありがたい。でも何も言わない人のほうがきっと多い。わたしはその人たちを知らぬ間に嫌な気持ちにさせていたかもしれないのだ。

そのときから、わたしはなるべく「彼」「彼女」「女友達」「男友達」という言葉を使わないようになった。このエッセイからも、あるときからそれらの言葉がだいぶ減ったことにお気づきの方はいただろうか。本当に近い人たち以外のことは「知人」「友人」「仕事相手」などと表現し、性別を決めつけないような書き方を選ぶようにしている。

しかしこれが結構難しい。

小説や脚本はだいたいにおいて架空の人を書いているわけだから、ある程度の采配はできる。でもエッセイは実在する他者のことを書くことも多いものだ。誰も傷付けない表現なんて存在しないことは分かってるけれど、なるべくなら誰も傷つけたくない。当たり前に。

言葉の重複はあまり美しくないからなるべくたくさんの言葉を使いたい。でも使えない。使わないと決めたのだ。文章を痩せさせないようにしながら、使う言葉と使わない言葉を仕分けていく。

もう一つ悩んでいることがある。

配偶者の表現の仕方についてだ。

「夫」は基本的に男性を示す。エッセイに夫と書くことはわたしが婚姻関係を結ぶことのできる性別でありその相手もそうである、ということの証明になる。一時期、夫を「家族」と表現していたけれど家族で表せる間柄は多すぎて上手く伝わらない。

相方とかパートナーとか同居人とかあいつとかいう呼び方をする人もいる。

でもなんだかぴんと来ないのだ。

恋人時代は良かったな、と思う。

恋人という呼び名は性別も状態も関係ない。ただわたしが恋しく思っている人、ということだからわたしの気持ちの問題だ。

しかし考えてみれば結婚した相手のことを恋人と呼んではいけないということもない。ならばこれからは夫のことを恋人と記せばいいのではないだろうか。

というところまで考えた。まだ答えは出ない。

もしかしたらこれから先わたしがなんらかの文章を書く際、「恋人」という言葉を使い出すかもしれない。それは新しく恋愛をしたわけでも離別したという意味でもないと思うので、その点は安心して欲しい。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

狗飼恭子『幸福病』

平凡な毎日。だけど、いつも何かが私を「幸せ」にしてくれる--。大好きな人と同じスピードで呼吸していると気づいたとき。新しいピアスを見た彼がそれに嫉妬していると気づいたとき。別れた彼から、出演する舞台を観てもらいたいとメールが届いたとき。--恋愛小説家が何気ない日常に隠れているささやかな幸せを綴ったエッセイ集第2弾。

狗飼恭子『ロビンソン病』

好きな人の前で化粧を手抜きする女友達。日本女性の気を惹くためにヒビ割れた眼鏡をかける外国人。結婚したいと思わせるほど絶妙な温度でお風呂を入れるバンドマン。切実に恋を生きる人々の可愛くもおかしなドラマ。恋さえあれば生きていけるなんて幻想は、とっくに失くしたけれど、やっぱり恋に翻弄されたい30代独身恋愛小説家のエッセイ集第3弾。

{ この記事をシェアする }

愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

バックナンバー

狗飼恭子

1992年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「ストロベリーショートケイクス」「スイートリトルライズ」「遠くでずっとそばにいる」「風の電話」「エゴイスト」、ドラマ脚本に「忘却のサチコ」「神木隆之介の撮休 優しい人」「OZU 東京の女」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。2025年8月22日から脚本を担当したドラマ『塀の中の美容室』(WOWOW)が放映。

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP