ある日、一緒に仕事をしている知人が言った。
「これからはわたしについて、女性を意味する表現をしないでください」
鼎談の直前だったので少し面食らいながら、「分かった」とわたしは答えた。
すぐに鼎談ははじまった。三人で楽しく会話している途中、思わずその知人のことを「彼女」と呼んでしまった。無意識に出てしまったのだ。わたしは慌てて謝った。知人は少し無理して口角を挙げた。
鼎談が終わったあと、知人はわたしに性別を公表するのをやめることにしたのだ、と教えてくれた。わたしはもう一度謝って、そのときは終わった。
それ以来、ずっと考えている。
わたしが今まで「彼」「彼女」と呼んでいた人たちは、もしかしたら「彼」や「彼女」ではなかったかもしれない。確認が取れるほど近しい仲の人ならいい。前述の知人のように自分の要望を伝えてくれるのもありがたい。でも何も言わない人のほうがきっと多い。わたしはその人たちを知らぬ間に嫌な気持ちにさせていたかもしれないのだ。
そのときから、わたしはなるべく「彼」「彼女」「女友達」「男友達」という言葉を使わないようになった。このエッセイからも、あるときからそれらの言葉がだいぶ減ったことにお気づきの方はいただろうか。本当に近い人たち以外のことは「知人」「友人」「仕事相手」などと表現し、性別を決めつけないような書き方を選ぶようにしている。
しかしこれが結構難しい。
小説や脚本はだいたいにおいて架空の人を書いているわけだから、ある程度の采配はできる。でもエッセイは実在する他者のことを書くことも多いものだ。誰も傷付けない表現なんて存在しないことは分かってるけれど、なるべくなら誰も傷つけたくない。当たり前に。
言葉の重複はあまり美しくないからなるべくたくさんの言葉を使いたい。でも使えない。使わないと決めたのだ。文章を痩せさせないようにしながら、使う言葉と使わない言葉を仕分けていく。
もう一つ悩んでいることがある。
配偶者の表現の仕方についてだ。
「夫」は基本的に男性を示す。エッセイに夫と書くことはわたしが婚姻関係を結ぶことのできる性別でありその相手もそうである、ということの証明になる。一時期、夫を「家族」と表現していたけれど家族で表せる間柄は多すぎて上手く伝わらない。
相方とかパートナーとか同居人とかあいつとかいう呼び方をする人もいる。
でもなんだかぴんと来ないのだ。
恋人時代は良かったな、と思う。
恋人という呼び名は性別も状態も関係ない。ただわたしが恋しく思っている人、ということだからわたしの気持ちの問題だ。
しかし考えてみれば結婚した相手のことを恋人と呼んではいけないということもない。ならばこれからは夫のことを恋人と記せばいいのではないだろうか。
というところまで考えた。まだ答えは出ない。
もしかしたらこれから先わたしがなんらかの文章を書く際、「恋人」という言葉を使い出すかもしれない。それは新しく恋愛をしたわけでも離別したという意味でもないと思うので、その点は安心して欲しい。
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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。














