新学期もはじまり、新しい環境に胸を躍らせる方も多いのではないでしょうか。ふたりの女子大学生の連帯を描いた、真下みことさん『春はまた来る』は、ぜひこの春大学生になった方や、その親世代の方に読んでいただき、この先の大学生活を健やかに過ごしていただきたいという願いも込められた一冊です。試し読みをお届けします。
* * *
(承前)
電車がW大の最寄り駅に到着し、二人は電車を降りた。紗奈の最寄り駅はここから地下鉄で四駅らしかった。二駅のところに紗奈の大学があり、そこから二駅先に住んでいるという。
階段を降りながら、紗奈が自分のスウェットで、ださいビーチサンダルを履いているのが不思議に思える。
「どうしたの?」
気づかずに立ち止まっていたらしく、紗奈がこちらを振り返る。
「いや、なんか不思議だなって」
順子は思ったことをそのまま言うと、紗奈がおかしそうに笑った。
「確かに、順子と二人でこんな話してるのって、なんか不思議」
それは順子が不思議に思ったこととは少し違っていたが、順子はそれについて何も言わなかった。地下鉄独特の薄暗い照明の改札を通り、ホームで電車を待った。
紗奈の悲しみは一見なくなったように思えるが、おそらく心の奥底ではその出来事があったという事実を認めたくない気持ちに溢れているのだと、先ほどの話で思った。だって、わざわざ多田さんの話をする必要はないのだ。それはきっと紗奈の信じたくない気持ちが表れたもので、だからこそ紗奈は多田さんの良かった思い出を話して、なかったことにできないか試しているのではないか。順子はそう思った。
地下鉄はそれからすぐに来て、順子たちが乗り込むと発車した。車内は先ほどより空いており、順子たちは空いていた席に座った。地下鉄はずっと景色が見えないのに、窓があるのはどうしてなのだろう。紗奈が何も話さなかったので、順子はそんなどうでもいいことを考えていた。すぐに隣の駅に着いて何人かが乗車して何人かが降車する。
次に電車が停まったのはT女子大のある駅だった。本当にW大から近いんだなとぼんやり思い、新歓でビラを配りに行くW大の男子たちもこの電車に乗ったのだろうと思う。たくさんのビラを抱えて、できるだけ可愛い女子を入れよう、何人が目標だ、なんて会話をしながら、きっと彼らは笑っていた。電車はすでに発車したが、順子は新歓にやってくる男子たちのことをずっと想像していた。ビラは誰が作ったのだろう。どれくらいの一年生と連絡先を交換したのだろう。そんなことをこれまで考えたことはなかったので、こうやって想像しているだけでも、順子は自分が知らない世界を勝手に覗いているような、妙な感覚があった。
「次だよ」
紗奈に声をかけられ、順子は電車がもう次の駅を通過していたことに気づく。変な想像に頭を働かせていたせいで、周りを見ていなかった。座席はだいぶ空いてきており、人が降りていく一方だった。
駅に着き、紗奈が立ち上がった。順子も遅れて立ち上がり、電車のドアをくぐる。駅はW大の最寄り駅とほとんど変わらない作りで、まあ地下鉄の駅なんてどれも似たようなものなのだが、それでも別の駅だとわかるから不思議だ。
エスカレーターで改札の階まで上がり、改札を出て、紗奈は慣れたように二番出口を目指していた。小さい駅で、出口は三つしかなかった。
二番と書かれた階段を順子より先に上がりながら、紗奈はこちらを振り向いた。
「ごめんね、色々」
そう言って紗奈はすぐ前を向いてしまったので、順子は気にしないで、と大きめの声で言うしかなかった。

夕方とはいえまだ街は明るく、紗奈が一人で帰っても危なくなさそうな、のどかな住宅街だった。小さな商店街があり、そこを通って、紗奈は家に帰るらしい。
「そういえばね」
商店街を背景に、紗奈が思い出したように言った。倉持紗奈と商店街という組み合わせが、なんだか意外で、順子は珍しいものでも見たような気分だった。
「サークルの女子って、ずっとチヤホヤされるわけじゃないんだよ」
「え?」
「さっきの話聞いて思ったでしょ。女子大の子ってチヤホヤされてるなって」
「まあ、それは、多少は」
「けどそれって一年生の間だけなの。一姫二女(いちひめにおんな)、って知ってる?」
「知らない」
順子の生活に出てきたことのない単語だった。頭の中で変換するのにも苦労したくらいだった。
「正確には一姫二女三婆四屍(いちひめにおんなさんばあしかばね)っていうんだけど、一年生は姫、二年生になったらただの女、三年生はお婆さんで、四年生は屍」
「何それ」
悪趣味にも程があると思った。
「だから私はもう女で、来年にはお婆さんってわけ」
「そんなの、本気で信じてるの?」
「信じてるっていうか、周りがそう扱ってくるから、自然と。それこそジェンダーの授業とかではね、そういう分断を煽るようなことをするのはおかしいって、みんなで連帯しないといけないって勉強するんだけど、今そういう扱いなのは、私には実際変えようがないよね」
紗奈がそう話し終わるのと同時に商店街を抜け、温かみのある光景から冷たい住宅が並ぶ風景に変わった。
「それの男子版はないの?」
「ない。強いて言えば、三年が一番強い、くらい?」
紗奈が歌うように言ったので、順子はおかしいと言えなかった。男子と女子で、年齢で区別があるのはおかしい。けれどそもそも、男子はW大学で、女子はいろんな女子大から集めているのもおかしいのだろうか。だんだん自分でもよくわからなくなって、順子は紗奈の歩く後をついていくだけだった。
「ここ曲がって、その先を左に行くと、うち」
「そっか」
さっきの話を蒸し返す雰囲気でもなく、順子たちは無事に紗奈のアパートに到着した。二階建ての小綺麗なアパートで、紗奈の部屋は二階にあるらしかった。上がっていくかと聞かれたが、申し訳ないので断った。紗奈は玄関の鍵を開けて家に入ると、ドアを閉める直前、順子に手を振った。順子は手を振り返し、紗奈がドアを閉めたのを見届けると、ふうっと息をついた。
紗奈のワンピースはまだうちにあった。今度のゴミの日に処分しなくてはならない。昨日電話が来てからずっと、紗奈と何かしら話をしていた気がする。しかしこのときようやく、順子と紗奈の長い話が終わったのだと、順子はどこか安心していた。それは紗奈がこの出来事からすぐに立ち直るだろうという楽観的な考えも含んでいたし、実際このとき紗奈は元気そうだった。
アパートに背を向けて駅の方向に歩き出すと、近くにいたらしいカラスが鳴き、それからばさっと音を立てて飛び立った。
* * *
このあと、順子と紗奈が、ともに考え、戦い、生きていく様子が綴られます。彼女たちの物語が気になった方は、ぜひ単行本をお読みいただけますと幸いです。
春はまた来る

2月19日発売の真下みことさん『春はまた来る』に関する記事を公開します。
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