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暮らすホテル

2026.02.02 公開 ポスト

東京の中心で触れあう ジャパニーズホスピタリティ 星のや東京越智月子(作家)

東京・大手町。地下鉄出口Cの階段を上がる。行きかう人の歩幅は速く、ビル群から吹いてくる風は冷たくせっかちで「ほら、急いで」とばかり背中を押してくる。その流れに抗いながら歩いていくと——あ、あれだ。ビルの谷間の木立の先に「漆黒の塔」が建っている。周囲のガラス張りの建物とはあきらかに違う佇まい。それでも不思議とその場に馴染んでいる。そう、ここが本日の宿「星のや東京」。一枚板の大木戸に手が届く距離になると、漆黒に見えた塔は「麻の葉くずし」柄の黒格子で覆われていることがわかる。どこからともなく清々しい香りが。自動扉が静かに開く。見上げれば格天井。左の壁には竹編みの下足箱が奥へ奥へと続いている。「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」と迎えられた先はあがり框(かまち)。そうだった。ここは「日本旅館」なのだった。靴を脱いであがると、畳の感触が足裏に広がる。井草と白檀のお香と木の香りが混ざりあう中で、足が深呼吸しているようだ。

樹齢300年を超えるヒバの木扉

 

「チェックイン」のため二階フロントへ。エレベーターが降りてきて電子音のかわりに「カンッ」と拍子木をつくような音が鳴る。踏み入れた瞬間、またもや足が喜ぶ。中まで畳なのだ。スリッパもはかず、懐かしい感触を足裏から受け取れるのは思った以上に心地よい。自動扉が開く。柔らかな灯りに包まれたフロントが広がり、朱色の漆塗りレセプションカウンターでスタッフが出迎えてくれる。声の調子にも所作にもこちらの呼吸に沿うような間合いが心地よい。署名を済ませ、宿泊階へ。鍵はそこで渡されるのだという。

うなぎの寝床の奥には季節のしつらえが

宿泊階に着くと、まず目に飛び込んでくるのが「お茶の間ラウンジ」だ。「星のや東京」には、フロアごとにこのセミプライベートスペースがあり、畳続きの客室から24時間行き来が自由。季節や時間にあわせたお菓子や飲み物とともに宿泊客がくつろげる居間のような空間になっている……などなど説明とともに「お茶の間さん」と呼ばれるスタッフがお茶を淹れてくれる。低温で玉露のような甘みと旨味が味わえる一煎目。つづいて二煎目は和菓子、三煎目には口直しの一品が添えられる。温度ごとの味わいの違いから、茶葉を使ったお茶受けのレシピまで心地よいテンポで会話が進む。木の芽オイルであえた茶葉をいただき、三煎目の茶を飲み終えたほどよい頃合いで、木製の鍵が手渡された。いやいやいや。すっかり寛いで、もう何時間も滞在しているような気分になっていた。まだ客室に入ってもいないのに。

1フロア六室の宿泊者だけが利用できるお茶の間ラウンジ
煎茶の新しい愉しみ方を教えてくれるウェルカムドリンク
ここはホテルではなく日本旅館なのだと実感!

「百合」と名づけられた部屋のドアを開ける。なるほど。廊下から続く畳に沿うようにベッドやソファが置かれて、和の心地よさに洋の機能美が溶けこんでいる。奥の障子窓をあけると、麻の葉くずしの格子から斜めに差し込む陽が、浅葱色の壁や畳に影を浮かびあがらせる。ヒバ材の背面のソファに身を預けると、視線は正座をしたときと同じくらいの位置で定まる。この椅子から眺める江戸小紋はいっそう鮮やかだ。光の角度で影絵が刻々と変わっていく。ただそれだけなのに幸せ。ふとした加減で凛とした香りが立ちのぼる。ああ、これ。宿に足を踏み入れた瞬間から、空気に溶け込んでいたものが同じ香りだと今さらのように気づく。

奥の障子をあけると、江戸小紋、麻の葉づくしの窓枠が現れる
刻々と変わりゆく影に見惚れる
うっとりするほど座り心地のよいオリジナルの椅子
これぞ和モダンの粋!

 

麻の葉くずしの窓の向こうが闇に染まってきた。栗の木枠と竹細工で作られたクローゼットの中に用意されていたのは、館内着「キモノ」。ジャージ素材で滞在中は館内だけでなく、ちょっとそこまでの外出着としても使える。着替えて向かった先は17階にある「大手町温泉」だ。地下1500メートルから組み上げられた湯は、ほのかな琥珀色。しっとりと馴染むナトリウム泉の温もりに身を預け、極楽、極楽。ほどよく身体が温まったところで、内湯の先にある露天風呂へ。瑠璃色の麻のれんをくぐると、視界は一転して、垂直に抜けていく。天に向かって高く伸びる壁の先に、吸い込まれるような藍色の夜空、目を凝らせば星の瞬きも見えそうだ。絶え間なく流れる湯の音。はるか階下を走る車や街のざわめきが風にのってかすかに降ってくる。壁を伝って落ちる外気の冷たさ、立ち上る湯気の温もり。その不思議な重なりに身をまかせる。

さりげなく置かれた団扇のデザインにもキュン♡
使う順番に番号がふられアメニティを並べる心配りが憎い

お風呂三昧の翌朝、お茶の間ラウンジで借りていた本を返しに行った。「おはようございます。ゆっくり休まれましたか」奥のカウンターで作業していた「お茶の間さん」が柔らかな笑顔で話しかけてきた。「はい、おかげさまで」。本を元の位置に戻し、踵を返す、木目のテーブルの前を通ると、昨夜はなかった文箱が置かれていた。……うん? 中には江戸和紙の便せんと封筒が。その隣には薫香。弁柄色の千代紙も置かれている。小さな説明書きを見る。……なるほど、これで文香を作るのか。え~と、まずは三角に追って折り目をつけてから……と掌サイズの香入れを折る。へぇ、こうすると封筒みたいになるんだ。耳かきのようなスプーンで中に薫香を入れ、できた! 文箱から季節の花が描かれた越前和紙の便せんを選び、ペンをとる。さて誰に書こうか。博多に住む姉の顔が浮かんできた。少し気取った字で「前略お姉さま……」と書き始めたときだった。後ろからすっとお茶が置かれた。うん? 振り向くと、お茶の間さんの笑顔。「目覚めの和漢茶です」。どこまでもさりげなく、軽やかに。「ありがとうございます」こちらも自然と顔がほころぶ。「ほしのや・ファミリア」ふとそんな言葉が浮かんだ。

手作り文香と共に旅の記憶を大切な人と共有する
彩り豊かな目覚めの朝食
刻々と変わる日の光を届けてくれる格子窓

 

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暮らすホテル

遠くへ出かけるよりも、自分の部屋や近所で過ごすのが大好きな作家・越智月子さん。そんな彼女が目覚めたのが、ホテル。非日常ではなく、暮らすように泊まる一人旅の記録を綴ったエッセイ。

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越智月子 作家

1965年、福岡県生まれ。2006年に『きょうの私は、どうかしている』でデビュー。他に『モンスターU子の嘘』『帰ってきたエンジェルス』『咲ク・ララ・ファミリア』『片をつける』『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』『鎌倉駅徒歩8分、また明日』など。

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