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それが、人間

2026.01.07 公開 ポスト

誰の欲望を生きてるんだ

己の傷を引き受ける――性的倒錯者“エプロン窃盗犯”の裁判から見えるものインベカヲリ★(写真家、ノンフィクション作家)

誰の欲望を生きてるんだ

「制服がかわいい」と、SNSで話題になった横浜市の県立高校で、女子生徒を狙った盗撮被害が相次いでいるらしい。2025年の約1年弱の間で、書類送検された男は9人。さらに、最寄り駅で警戒を強化したところ、約1か月で新たに4人の容疑者が浮上したという。
その中の一人、20代の会社員は、わざわざ大阪から夜行バスに乗って上京しており、「関西には好みの制服がない」と供述した。つまり彼らが反応しているのは、年齢や人格ではなく「制服」ということだ。

1980年生まれの私は、96年が高校1年生で、女子高生ブームど真ん中の世代だ。「女子高生」「ルーズソックス」「援助交際」のイメージがセットになり、社会が急速に女子高生を性的記号化しはじめたのが96年なのである。
ちなみに1980年代までは「女子大生ブーム」で、キャンパスを歩くオシャレな女子大生が注目を浴びていた。そのころはまだ、高校生は未熟だと思われれていたはずだ。
ところが、時代は突然変わり、20代の女性を差し置いて女子高生が「女の旬」にすり替わったのである。最初はスカートの短い茶髪のコギャルだけだったが、そのうち「おとなしそうな子ほどエンコーしてる」という噂をメディアが流しはじめ、派手であろうが地味であろうが、制服を着ている女子生徒は、ただ道を歩いているだけで値踏みの視線にさらされるようになった。
もちろん、これは都市部に限ってのことかもしれない。だが、私は池袋が通学路だったので、そうした環境を避けて通ることはできなかったのだ。

さて、ここで私が言いたいのは、社会によって女子高生が突然「欲望の対象」にされた現象についてだ。
その後もメディアは、「32歳人妻」やら「団地妻」やら、「巨乳」に飽きれば「貧乳」をもてはやし、時代ごとに性的消費対象を生み出していった。男たちは「これがエロです」と言われれば、「そう見えてきた」とばかりに従ったのである。
つまりだ。男たちが性欲を向ける対象は、個人の嗜好ではなく、大衆の合意に基づく幻想であることが少なくないということだ。

もちろん、これは性の話に限らない。私たち人間は、人生のほとんどを、自分で選んでいるつもりで選ばされている。己の欲望とは向き合わず、他人の理想を生きている人が99%だ。誰にも理解されない幸福より、他人に羨ましがられるものを選ぶほうが手っ取り早いのである。
だが、性的嗜好という、もっとも自由で個人的であるはずのものさえ、借りものの欲望でいいのだろうか。そんな人生で、彼らは情けなくないのだろうか。

「じゃあ己の欲望を生きてる人ってどういう奴だよ」と思う人もいるかもしれない。
私が尊敬している性的倒錯者のひとりに、エプロン窃盗犯のピアニストがいる。その裁判がすべてを語っているので、ここで紹介したい。

2024年6月、ANAの飛行機内で客室乗務員のエプロンを盗んだとして、ピアニストのS氏が逮捕された。容疑はエプロン1枚だったが、自室からは53枚のエプロンが見つかったほか、2022年には椿屋珈琲店のエプロンを盗んで逮捕され、執行猶予中の身でもあった。
一見すると、ありふれたエプロンマニアによる窃盗事件だ。しかし、その裏には極めて切実な事情が隠されていたのである。

S氏は東京藝術大学を卒業後、フランスとドイツに留学し、数々の国際コンクールで入賞を重ねてきた人物だ。CD制作や演奏会などの活動を行い、ピアニストとしてはきわめて華やかなキャリアを持つ。

そんな彼は、エプロンを盗んだ動機について、裁判でこのように語った。
「エプロンには、人格のようなものがあるように感じていて、守ってあげなければと思いました。粗末に扱われているエプロンを見ると、虐待されているように感じ、そのエプロンを救うことに、一種の正義感を覚えるのです」
逮捕のきっかけであるANAの場面では、客室乗務員がサービスを終えたあと、エプロンを丸めてポンと置いていた。それを見て、とても粗末に扱われていると感じ、「反射的に、恐怖や慈悲などの感情が沸き上がった」と、言う。
彼にとって、エプロンが汚れたり、しわになっている姿は、まるで「アウシュビッツでガス室に送られる人々のよう」で、「救えるなら救ってあげたい」という衝動に駆られるというのだ。

そんなS氏にとって、古くなったエプロンが処分されることは、なによりも恐ろしいことだった。とりわけその引き金となるのが、「制服リニューアル」に伴う大量廃棄である。

実際、前科となった椿屋珈琲店での窃盗も、リニューアルがきっかけだった。
客として店を訪れたS氏は、エプロンが新しいものに変わっていることに気づき、古い制服が破棄されてしまうのではないかという強い恐怖と焦燥に襲われた。そこでバックヤードに侵入し、救いたい一心でエプロンを持ち出したのである。
今回のANAの事件も、まったく同じ構図だった。
ある日、ANAのインスタグラムで、客室乗務員が制服のスカーフのようなものを投げる動画が公開されているのを見たS氏は、「これは制服リニューアルの伏線では」と直感。奇しくも、ANA創立70周年という節目の年でもあり、その可能性は一層強く感じられた。
以来、「少しでも早く救ってあげなければ」という思いから、飛行機による移動の際は、意識的にANAを使うようになったという。
彼はこう語る。
「古い服やエプロンは、いずれ処分される運命にあるのが社会的ルールだと思います。でも私にとっては、エプロンは人格を持つもの。それが処分されるのは、人が虐殺されるのと同じように感じてしまうのです」

彼は窃盗だけでなく、ネットで中古のエプロンを購入することもあった。それについては、こう述べている。
「購入することも、救うことと同等の行為。訳アリな感じで、傷だらけの写真が載っているのを見ると、エプロンが悲鳴を上げているように見えてしまうのです」
彼の主張は、終始一貫しており、
「何度も申しますが、エプロンという人格を持ったものが、ひどく扱われている場面に何度も出くわして、救ってあげたい気持ちが断然勝ってしまうのです」
と、繰り返し述べている。

前回の裁判で執行猶予を受けた後、カウンセリングを受けることも検討したという。だが彼は、
「治療してしまったら、エプロンを助けられない。少数派の自分のなせる正義だと思っていたので、治すことを恐れていました」
と、そのときの心情を述べた。

S氏は結婚しており、妻は大切なパートナーだと語る。しかし、女性に性的関心はなく、その対象は「服」だけだった。

では、エプロンとの関係はどのようなものなのか。
裁判ではこう語られた。
「すべてのエプロンに感情を抱くわけではなく、最初はエプロンも性的な対象ではありませんでした。エプロンを自慰行為に使うようになったのは、椿屋珈琲店とANAの間からです」
エプロンが人格を持つと考えると、長く一緒に過ごすうちに親密さが増していくことは、自然なことなのかもしれない。

そして、こう続けた。
「ANAのエプロンを自慰行為に使うといっても、乱暴にしたり、自ら汚すようなことはしていません。枕元に置いて眺めたり、ときに触れたりする程度です」
検察側から、「陰茎を押し付けたりとかは?」という、失礼な質問を受けた際も、
「そういうことは、私の望みに完全に反します」
ときっぱり否定している。

一体、なぜ彼はエプロンに強い感情を向けるようになったのか。

S氏がピアノ教室に通い始めたのは4歳のころだ。しかし、小学2年生で親の帯同がなくなると、それまで優しかったピアノ講師の態度が豹変。S氏に対し、罵声を浴びせたり、椅子を投げたり、手を叩いたりといった体罰が日常的に行われるようになったという。
「泣くと先生はもっと怒るので、私は耐えることが一番だと思い、泣かずにとにかく先生を怒らせないように努めました」
と彼は語る。
こうして幼少期より、女性に対し強い恐怖心が刻まれていった。

休日や深夜に「今から来なさい」と急に呼び出されることも多く、一度は母と相談してピアノを辞める意思を伝えたこともあった。しかし講師は、「とても才能があるのだから、ここで辞めるのはもったいない」と取り合わなかったらしい。
やがて講師は母親にも連帯責任で怒るようになり、母子ともに強い恐怖心で講師に従うようになった。レッスン中の怒鳴り声はドアの外まで響き、母親が涙を流しながらそれを聞いていたこともあったという。

この経緯を元にエプロン窃盗を考えると、彼が感じ取っていた「悲鳴を上げるエプロン」は、まるで彼自身の姿のように見えてくる。
エプロンの役割は、服を守ることだ。油はねや水汚れを一身に引き受ける、いわば「盾」のような存在だ。
彼はピアノを続けることで、講師や母親といった周囲の期待に応え続けてきたのだろう。暴言や暴力といった「汚れ」を自分ひとりで引き受け、その背後にいる人たちを守ってきたのではないだろうか。
だからこそ、彼にはエプロンの悲鳴が聞こえた。世界で自分にしか聞こえないその声に反応した。それは、長年押し殺してきた自分自身の叫びではなかったか。救いを求めていたのは、ほかでもない彼自身ではないのか。

法廷では、エプロンの入った段ボールの山がプロジェクターに映し出された。そこには、中をこじ開けられ、白いエプロンが散らばる様子が映っていた。
それを見たS氏は、すかさず言った。
「これは、警察が捜索したあとの写真です。私はこのような乱雑な状態にはしていません」
彼は救出したエプロンを丁寧にたたんで保管していたと主張したかったのだろう。
さらに、こう付け加えた。
「それに、これはANAのエプロンではありません」
「では、この白いのは何ですか?」
弁護人が問うと、彼はゆっくりと答えた。
「これは、私が自分で購入した看護師さんのエプロンです」

私は、心の中でスタンディングオベーションをした。
それでこそだ。

S氏は、エロいからエプロンに反応したのではない。エプロンを救出することで、自身のトラウマを言語化したのだ。まさに、社会構造がつくりだした傷の証言者である。

かたや、女子高生を盗撮する男たちはどうだろう。
彼らが追いかけているのは、量産されたエロの型番にすぎない。社会が提示した性のテンプレートに乗っかり、他人に傷を与えて消費しているだけだ。
同じ性的倒錯者でも、「社会が作った欲望に乗る人間」と「己の傷を引き受ける人間」では、まったく違うのである。

S氏の裁判では、弁護人が、彼の演奏するラフマニノフの素晴らしさを熱弁し、制止される場面もあった。
しかし、これから数年のときを刑務所で過ごすことになれば、ピアニストとして復帰することは難しいだろう。だが、彼はきっと、別のかたちで再生を遂げるに違いない。
アーティストとは、処理できなかった心の傷を、作品に変えて差し出す存在だからだ。

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写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。

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インベカヲリ★ 写真家、ノンフィクション作家

写真集『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』。著書『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』『私の顔は誰も知らない』『伴走者は落ち着けない』『未整理な人類』など。

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