私たちの日々、そして人生に欠かせない「睡眠」。眠る前と目覚めた後で、「私は私である」という自己認識が一貫しているのはなぜか?——そんな疑問を感じたことはありませんか? そして、眠っている間「私」という自我はどこでなにをしているのか? いざ聞かれるとうまく答えられないことだらけです。
睡眠研究の第一人者である筑波大学の櫻井武教授が、意識の役割と“自分”の正体に迫ったサイエンス新書、『意識の正体』。本書より、一部を抜粋してお届けします。
* * *
毎晩くぐり抜ける「意識の停止」
まぶたの裏にたまっていた静けさが、ゆっくりとほどけていく。光が染み込み、音が戻り、体の重みが意識の岸へ引き寄せられる……。
死をもち出すまでもなく、私たちは毎晩、もっと身近な〝意識の停止〞をくぐり抜けている。「睡眠」だ。
眠っている間、意識を司る脳の活動は一時的に静まり、世界との接続は途絶える。だが、死と決定的に違うのは、目覚めたときに再びその接続が回復することだ。そして私たちは、何の違和感もなく「眠る前の続き」として世界を受け入れている。
まるで途切れた物語のフィルムが、密かに編集され、次のコマへと滑らかにつながっているかのように。

途切れているのに、つながっているもの
だが、考えてみれば不思議なことだ。
意識は明確に途切れているのに、「私」という感覚はなぜ連続しているのか。
眠りに落ちた瞬間を覚えていなくても、「眠っていた」という確信がある。眠る前に見ていた世界が、そのままの姿で待っていたと信じられる。これは本当に〝当たり前〞のことなのだろうか。
意識というスポットライトはなにを照らすのか?
意識は、広大な脳活動の中で、わずかな範囲を照らすスポットライトのようなものだ。
その光が届く場所こそ、私たちが「今考えている」「感じている」と認識する領域である。しかしその範囲は驚くほど狭い。なぜならば、私たちが認知や思考に用いる「作業記憶」はせいぜい7±2個の要素を、わずか数十秒しかとどめられないからだ。
だから脳は、注意という選別装置で何を舞台に上げるかを決めている。
その外側には、言葉にならない感情や思考の欠片が漂う薄明かりの層――潜在意識が広がり、さらにその下には計り知れない無意識の海がある。
眠っているあいだに更新される「私」
眠りは、このスポットライトを完全に消し、無意識の深みに身をゆだねる時間だ。
だが意識は消えても脳は沈黙しない。シナプスを整理し、記憶を整理し、感情を織り直し、経験を未来に備えて組み替えていく。眠る前の自分を「自己N」とするなら、目覚めた自分は「自己N+1」に生まれ変わっているかもしれない。それでも私たちは、その変化を感じ取らない。

自己の物語をつなぎ止めているのは、記憶と文脈だ。時間感覚は曖昧でも、「しかるべき時間が経った」という確信が、私たちの連続性を保証している。
無意識が問い返す「私」と「世界」
睡眠以外の〝無意識〞ではどうだろう? たとえば、全身麻酔はこの自己史ともいうべき物語を断ち切る。
そこには夢も時間感覚もなく、ただ〝無〞が広がる。目覚めたとき、世界はゼロから立ち上がる。その質感は、睡眠からの覚醒とはまったく異なる。
この違いは、人工冬眠や死、そして人工知能(AI)の意識を考える上でも、深い示唆を与える。
意識が消えても、〝私〞は続くのか。
私がいなくても、〝世界〞は続くのか。
意識のどこまでが「私」なのか。
AIは、この儚い光を宿せるのか。

本書は、この問いの深みに降りていく旅である。
覚醒の狭い光と、無意識という広大な闇。その境界で、自己はどのように姿を保ち、再びかたちを得るのか。
意識とは、暗い海の上に一瞬だけ浮かび上がる灯火のようなものだ。
それでも私たちは、夜ごとその灯を消しながら、〝私〞という物語を途切れさせることなく紡ぎ続けている。
そしてまた、今夜もその光を沈め、夜明けとともに新しい「私」を迎え入れるだろう。
そして、無意識は覚醒の中ですら重要な仕事をし続けている。
* * *
書籍『意識の正体』は、2026年1月26日発売です! ぜひご期待ください。
意識の正体

「意識」は感情や意思決定に深く関わっているとされるが、それは錯覚にすぎない。例えば、あなたが今日コンビニでペットボトルの水を買ったとしよう。数ある種類の中からその水を選んだ理由を説明できるかもしれない。しかし最新研究では、私たちの意思決定を下しているのは“意識”ではなく、“無意識”であることがわかっている。だとすれば、私たちが「自分で選んだ」という実感はどこまでが本物なのか? 意識は何のために存在するのか? 日常のささいな選択から「自分」という感覚まで──生命科学最大の謎に迫る!










