
オシャレな空間には憧れる。でも、その加減が難しい。オシャレすぎる場所に身を置いていると、自分が余所者(よそもの)になってしまったようで落ち着かなくなってしまう。そんな性分だから、年下の友人に「K5ってホテル、めちゃくちゃオシャレですよ。泊まってみては?」と言われたとき「そうだねぇ」と微笑みつつも、ためらいが走った。K5。シンプルで尖っていて、やけに今っぽい響き。あたしには無理……。
だけど、あれこれググっているうちに「もしかして、ありかも」と気持ちが傾いてきた。まず場所がよき♡ かつて「日本のウォール街」と言われた日本橋兜町の中心、東京証券取引所のお隣なのだ。1923年竣工の銀行の別館ビル「兜町第5平和ビル」をリノベーションしたのだという。歴史を重ねた空間にはえもいわれぬ余白や厚み、そして温かみがある。デザインを監修したのはストックホルムの建築ユニット「クラーソン・コイヴィスト・ルーネ」。北欧モダンと和の融合は気おくれしてしまうほどオシャレではあるが、写真ではわからない空気がそこにあるはず。そう信じ、いざK5へ。

宿泊当日は猛暑日。ふき出す汗を抑えながら、目的の地へと向かう。さすが金融の街として知られてきた兜町、古くからある証券会社の看板が目立つ。スペイン瓦、アーチ窓に施された意匠、石張りの列柱……創建時の面影を残すレトロ建築の中に溶け込むように、あった、K5が。こちらも100年前の外観そのままの重厚な石造り。大正、昭和、平成のスクラップ&ビルドを生き抜いた建造物はちょっといや、かなり敷居が高い。でも、ひるまず「えいやっ」とエントランスをくぐる。……うん? なんだ、この軽やかさは。背丈をはるかに超える観葉植物と和紙のシェードランプ。フロントデスクで宿泊客と談笑していたスタッフがこちらを見て「いらっしゃいませ」と微笑みかけてくれた。チェックインは入って右脇にあるバーラウンジ。「兜町の父」渋沢栄一の書斎をイメージしたという空間は天井も床もソファーまでもが茜色。勝手に「あかねさす間」と命名。ウェルカムスイーツとして出てきたかき氷が大窓から入る陽を受け飴色に輝く。

早速、エレベーターで客室フロアへ。ドアが開いた途端、またもやがらりと雰囲気が変わる。何これ? たまらん♡ これまで見たことのない景色、想像を超えた色彩が広がっていた。待てよ。でも、あたし、知っていたかも。露草色、琥珀色、二色がまじりあう若竹色……飴細工を想わす色ガラス、縁台のように窓に沿って置かれたベンチ。そこに並ぶさまざまな植栽、青磁色と白のテラコッタタイル。ひとつひとつはかつて見慣れたものばかり。なのにこうして掛けあわされると、とてつもなく新しい。足もとに貼られた浅葱色と白のテラコッタタイルはヴィンテージなのだろう。欠けたところには金継ぎが施され、リズムを奏でるように少しずつ組み合わせが変わっていく。美しいアールを描く杉材の柱が見えてきた。この先を曲がったところでは、どんな植物が葉を広げているのか、タイルの模様は? 足取りもステップを踏むように軽やかになる。これは単なる通路にあらず。五感がほどけるプロムナードだ。


かくして本日のお部屋の前に到着。杉材の壁に囲まれたドアは銅製。ところどころ傷もあるけれど、ノイズさえも美しい。傷は味へ、変色は風合いへ。これこそがK5の世界観よね、などとひとり肯きながらドアを開ける。うわぁっ♡ 心拍数があがるとオーバーリアクションになりがちのあたしは、思わず両手で胸を抑えた。とてもつもなく高い天井。大窓からは自然光が降り注ぎ、見事なモンステラがコンクリートの床に鈍色(にびいろ)の影を落としている。リビングスペースでは藍色のソファー、茜色のラウンジチェア、墨色の折り紙チェアがローテブルを囲んでいる。まずは藍色のソファに腰をおろす。うん? このラグ、なんだか畳みたい。サンダルを脱ぐと、足の裏からひんやりとした感触が伝わってきて極楽、極楽。正面の天蓋付きベッドを愛でる。天井から下がる薄麻のカーテンは深い藍から淡い水色へと移ろうグラデーション。広重が描く富士山のようでもあり、北斎の滝のようでもある。それにしてもなぜかさっきから頭の中でユーミンの曲が流れている。……待てよ、これは幻聴じゃない、ホンモノだ。どこから聴こえてくるんだろう。腰を上げ、音のする方へ。ここだ。ベッドの後ろのデスクにレコードプレイヤーが。ウェルカムミュージックだったのか。なんと小粋なはからい。ターンテーブルの上でまわる音はコンクリートの壁の残響でひと味もふた味も違う。




夜の最大のお愉しみ。それはバスタイムだ。最初足を踏みいれたときは、紅(くれない)に染められた空間に度肝を抜かれた。なんなのこれ? よく見ると、洗面台の鏡の中心にある丸い照明は薄桃色から深紅まで調光できるようになっている。湯舟に浸かれば、鏡の中の「太陽」が反射し水面が好みの夕暮れ色に染まる。バスルームにいながら、陽の移ろいが感じられるのだ。少し開けた引き戸からは音楽が流れ、あ~、身体がとけていく。


あまりの心地よさに長い長い間、湯に浸かっていた。茹でダコ状態でベッドへダイブ。薄麻の帳(とばり)がまぶたの内側まで静けさを連れてくる。和紙を通した灯りがおりなす陰影、ゆらぎ。日本の文化や伝統を北欧のデザイン集団の解釈でモダンに落とし込んだ空間は、ただいたずらにオシャレなものではなかった。自分の部屋にいるのと同じくらい、いやそれ以上に五感をほぐしてくれた。こまやかさ、軽やかさ、くつろぎ、重なり、きらめき。あたしにとって大切な5つのKをはるかに超えた「K5」。いつの日かまた、戻ってきたい場所となった。



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暮らすホテル

遠くへ出かけるよりも、自分の部屋や近所で過ごすのが大好きな作家・越智月子さん。そんな彼女が目覚めたのが、ホテル。非日常ではなく、暮らすように泊まる一人旅の記録を綴ったエッセイ。