
写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。初回は、どんどん増えていく「ルール」について。
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「謎ルールがはびこる」
大阪府は、高齢者によるATM前での通話禁止を義務化したらしい。全国初の条例改正案として、2025年8月より順次施行されるとのこと。今後、65歳以上がケータイで喋りながらATMの前に来たら、店員がすっ飛んできて「どうしたんですか!? 電話の相手は誰なんですか?」と、問いただす可能性があるということだ。
満席の電車内では、席を譲ろうとする若者に「俺はまだ年寄りじゃない!」と激高する高齢者がたまにいるが、今後はATM前でも「俺はまだ年寄りじゃない!」という口論が勃発するかもしれない。
そもそも、なぜこのような条例ができたかといえば、高齢者の老後資金を狙った特殊詐欺事件が一向に減らないからである。「俺だよ俺」と電話をかけて家族を装い、金銭をだまし取る「オレオレ詐欺」は、2000年代初めより爆発的に広がったが、その後も手口を変えて増殖し、被害総額は過去最高を更新し続けている。
近年にいたっては、架空請求を疑った市民が、わざわざ交番を訪れ警察官に電話を代わってもらったにもかかわらず、一緒に詐欺に引っ掛かるという体たらくぶりだ。それも、徳島県、京都府、釧路市など、全国で相次いでいる。
警察官も見抜けないとなると、「じゃあもうATM前では電話禁止」という、半ばヤケクソ的な策に落ち着くのも無理はない。特殊詐欺集団に打ち勝つためには、バカになるくらいがちょうどいいのだ。
こうして、ルール、義務、規則は増えていく。
公園では「寝泊り禁止」、エスカレーターに乗れば「2列で立ち止まろう」、駅のトイレでは「注射針を捨てないでください」だ。
もっとも、これくらいなら、現在進行形の問題として背景を想像することもできる。厄介なのは、問題が解消したあともルールだけは残るというケースだ。
私の通っていた私立高校では、「毛皮のコート禁止」という校則があった。かつて、毛皮のコートを着て登校した女子高生がいたのだろう。だが、彼女はもういない。月日を重ね、実態はなくなり、規則だけが残ったのである。
のっぴきならないルールの裏には、必ずやらかした奴がいる。先日私は、そんな謎ルールを追加させそうな人物と会った。
仮にK氏としておこう。最近になって、女装をはじめたという男性だ。
その日、黒の膝丈ワンピにエナメルのハイヒール姿でやってきたK氏は、どうみても男だった。細身で色白だが、身長は180㎝と高く、雑踏の中でもやや頭が突き抜けている。
彼はLGBTの類ではなく、ただの女装癖。つまり男だ。顔にマスクをつけていたが、その理由は「顔を晒すのはまだ怖い」だった。
K氏は、子どものから女装に興味があり、20代のときには、通販サイトでこっそり女性服を買い、家の中だけで楽しんでいた時期もあったという。しかし、妻との交際を期に封印。結婚後は、自分好みの服を妻に着せることで楽しんでいたという。
彼は言う。
「ぼくは脚フェチで、韓国アイドルみたいな、ロングブーツ、レザー、シースルー素材が好きなんですよ。妻と付き合い始めたころは、よくミニスカ+ブーツを履いてもらっていたんですが、子どもが産まれてからは、なかなか付き合ってもらえなくなったんですね」
諦めたK氏は、外へ出て好みのファッションをした女性を探すことで心を満たすようになった。同時期、モラハラ・DV加害者の自助グループへ通うようになり、はたと気付いたという。
「自分のフェティシズムを他人で満たそうとすることの、恐ろしさと限界を知ったんです。ぼくは、ミニスカ+ブーツの女性なら、妻でなくてもよかったんですね。他人をつかって自分の欲求を満たそうとしているだけ。結局、女性を人ではなく、モノ扱いしていたということです」
猛省したK氏は、ミニスカ+ブーツの押し付けをやめた。
「で、自分で着ることにしました。去年の夏から、ムダ毛処理もしていますね」
なんだか女装する口実を手に入れただけのようにも感じるが、とにかくK氏は改心し、健全さを取り戻すべく、堂々と女装をするようになったのである。
最初は、玄関を出るのもおそるおそるだったが、だんだん日常生活でも着るようになり、次第に人の目も気にならなくなってきた。
そして先日、ついに妻に内緒で、女装姿のまま子どもの保育園の送り迎えをしてきたという。それも、マイクロミニ丈のスカート風ショートパンツに、肌色ストッキングで、脚をスラリと露出するスタイルだ。
「ぼくの姿を見て、担任の先生は絶句、園長先生は二度見していましたね」
K氏は、たちまち女子児童らに囲まれ、「〇〇くんパパ。どうして女の人の服着てるの?」と聞かれたらしい。彼は、悠然と答えた。「男の人でも、女の人の服が好きな人もいるし、女の人にも、男の人の服を着るのが好きな人もいるんだよ」。その説明は、暗に先生たちに聞かせる狙いもあったようだ。園は、その場では何も言えなかったが、後日、「女装は問題ないけど、スカート丈を膝が隠れる長さにしてほしい」との要望が出されたという。問題は、女装ではなく、スカート丈へと転換されたのだ。
K氏は、こう分析する。
「女性は、小学生の頃からスタート丈で怒られたりして、淑女教育を受けるわけですよね。でも、ぼくはスカート丈で注意された経験がないまま、何も知らずに我流で女装をはじめてしまった。着たい服が露出系だったから、そのことで女性たちから、敵認定をされてしまったわけです。女性は、スカート丈で社会化されるんですね」
私は、この解説に深く納得した。これまで、なぜ女装男性には、年齢不相応の露出度の高い格好をする人が多いのか不思議でならなかったからだ。なるほど、「スカート丈で注意されたことがない」というのは大きな違いだ。
さて、この一件で、夫が女装して保育園の送り迎えに行ったことを知った妻は激高。夫婦間に致命的なヒビが入ったという。
K氏の言い分はこうだ。
「これまで、ぼくは妻に『この服着て』と自分の要求を押し付けてきた。そのヤバさに気付いて、ぼくは自分で着るようになったんですよ。そしたら妻は、『それを止めろ』と言って、逆にぼくをコントロールしてくるんです!」
そして続ける。
「なぜマツコ・デラックスの女装はよくて、夫はダメなのか理解できない」
いや、ダメだろ! という突っ込みはさておき、ものごとの本質を考えるK氏にとっては、理屈の通った言い分なのである。この理屈をねじ伏せるためには、ルールを作るしかない。こうして謎ルールは生まれるのだ。
今後、この保育園では「女性装の父兄による過度な露出禁止」という規則が追加されることだろう。その規則は、子の卒園後も存続し、人々に多大なインパクトを与えるに違いない。
男性はエロい女装姿で保育園の送り迎えをしてはいけないし、高齢者はATM前で電話をしてはいけないのだ。こうして事故は未然に防がれるのである。
後日、別件の取材で会ったK氏は、淑女教育を学んだためか、たおやかな白のロングワンピースを着ていた。女装が板についたのか、不思議と前ほどの違和感はない。歩き方も、心なしか女性らしい。
K氏は、スカートの裾をふんわりと風に揺らしながら、爽やかな笑顔でこう言った。
「ぼくは、クソ男なんですよ。モラハラ、DV、児童虐待、無職、全部ぼくのことですね」
私は走って逃げた。
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