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日本の「食」が危ない!

2025.06.02 公開 ポスト

小学校で教えたいのは株よりも蕪。豊かな「食」が育む、生きる力中村桂子(JT生命誌研究館名誉館長)

米の値上がり、野菜・果物の不作、水揚げ量の低下……。歴史的な食糧危機から抜け出すため、私たちが今取り組むべきこととは。

生命誌研究の第一人者である中村桂子さんが、40億年の生命誌の観点から「食」と「農」の未来について語った『日本の「食」が危ない!』(幻冬舎新書)が発売になりました。本書より、試し読みをお届けします。

*   *   *

食べることは生きること

日本の「食」は豊かです。街に出ればあらゆる国の料理が食べられます。しかもそれは時に日本人の口に合うようにアレンジされているなど工夫が上手です。和食は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。日本列島の自然が育んださまざまな食材をていねいに調理し、美しく盛り付けたら芸術品にもなります。

このような豊かさも含んでの「食」の楽しみが続いていくためには、良質な食材の供給がなければなりません。やたらなぜいたくやお金で何でも手に入れようとする方向でなく、家族や仲間といただく日常の食事が安全で良質で、おいしいといいなと思います。社会が和やかになるでしょう。

食べることは生きることです。食事が満足にとれない子どもたちのために開かれた子ども食堂の利用者が大人にまで広がっている様子を見ると、胸が詰まり、これは本当の豊かさではないと思うのです。

食べることは生きることという、あたりまえだけれど本質的なところがしっかりした社会をつくることが大事です。

金融市場にばかり目を向けた「経済優先」の大型化志向でなく、地球に暮らす人、一人一人が生きているという実感を持ちながら笑顔で暮らす社会に転換できないものでしょうか。テレビやラジオのニュースが頻繁に株価と為替レートを報道するようになり、子どもに経済を教える必要があると言って、その内容は株の話というのは「なんだかおかしい」の典型例です。経済は、皆が安定した生活ができる社会を支えるものですから、誰もが食事を楽しめるようにするにはどうするかということを考え、農業を学ぶ方が大事なことが見えるはずです。

小学校で株について教えることが大事という動きに対して「株より蕪だと思います」と私が言ったことから、小学校に農業科が生れることになりました。最初に始めて下さったのが福島県喜多方市です。時間割の中に農業があるので子どもたちはとにかくいつも作物のことを考えていてお米やお芋、トウモロコシなどと仲良しになります。未来を考えたりクラスでの助け合いが増えたり、人間としてとても成長します。北海道でも美唄市で農業科が生れ、少しずつ広がっています。こうして育つ子どもたちの将来がとても楽しみです。

豊かな食とはどこから来たかわからない材料で誰かがつくってくれたぜいたくな料理を食べることではなく、食べることが身近になることです。今の「食」は豊かとは言えません。

食料不足が招く文明滅亡

古代四大文明のうちエジプトやメソポタミアが滅んだのは、気候変動や難民の増加などが影響しているとも言われています。ローマ帝国は栄華を極め、人々は美食や美酒に酔い、ぜいたくで享楽的な生活を謳歌しました。しかしやがて政治は腐敗し、インフレや疫病に見舞われ、没落の運命を辿ります。

古代ギリシャも滅んでしまいました。滅亡の理由はいろいろあるようですが、貿易によって穀物を得ていたものの、農業地域の不作で穀物不足になり、食料難を招いたことも国を衰えさせる原因のひとつだったと言われています。どれだけすばらしい彫刻などの美術品、宮殿などを創り出せても、食べものがつくれなければ文明は衰えます。

今は、世界が複雑に絡み合い、地球上のすべてがつながった大きなひとつの文明とも言える状態になっています。今の食べもののありようを見ると、私たちの“文明”も、ローマ帝国や古代ギリシャ、メソポタミアなどと同じ道を辿るのではないかと思えてなりません。この大きな文明の滅亡は人類の滅亡につながります。

ちょっと大袈裟だと思うかもしれません。格差社会の中で、生活が苦しく今日を生きるので精いっぱいだったり、お金があるので自分は大丈夫と思っていたりして、人類の滅亡など他人事になっています。

でも文明は滅びることがあるのだと、歴史が教えてくれているのですし、今の文明にも終りがあると考えるのは決しておかしいことではありません。今の状況では滅びるのかもしれない、でも滅んで欲しくはないというのが正直な気持です。生きものの研究をしていれば、生きものはいつかは滅びるものということはわかっているのです。恐竜のように人類も滅びる時が来るだろうと。ただ、自分たちで滅亡への道をつくるのはいやです。

滅びを防ぐには、政治の役割が大事ですが、政治や経済の中心になって今の社会を動かしている人が、変革の役割を果たすとは思えません。

変革と言うと大袈裟ですけれど、「なんだかおかしい」と思っている人が日常を少しずつ変えていくことで社会が変わっていくしかないでしょう。

お金や権力よりも大切なもの

個人の力は、小さいものです。でも、一人一人が「本当に大事なことは何だろう」と考えて行動すれば、社会の転換につながる可能性があることも、また確かです。

私はもうすぐ90歳ですから、あえて乱暴な言葉を使うと、「逃げ切る」ことができる世代です。でも、子どもや孫、ひ孫の世代のことを考えると、このまま黙って去るのは、申し訳ない。

私は太平洋戦争を子どもとして体験し、お米は兵隊さんが戦うために食べるのだから子どもは我慢しなさいと教えられ、さつま芋を食べて過ごした世代です。皆がニコニコしながらおいしい食事を楽しめる社会にしたいと願いながら大人になりました。

幸い、戦争をせず、子どもたちが食べることを楽しめる社会になり、すばらしいと思っていました。ところが、いつの間にか何でもお金で考え、しかも格差を大きくする経済システムになって、食事が思うようにとれない子どもが7人に1人と増えました。皆が貧しい時は我慢できるけれど、全体としては豊かな中での貧しさはつらいものです。こんな社会にしようと思って生きてきたのではないとため息の出るこの頃です。

私は「生命誌」という地球上の生きものについての勉強をしてきましたので「生きるとはどういうことだろう」と考え続けてきました。

そこでは「人間は生きものであり自然の一部だ」という事実を大事にします。お金の力や権力ではなく「生きる力」が一番大事です。それは誰もが持っているものです。

生きる力の象徴は笑顔です。思いやりです。話し合いです。みんながそのようにして生きる社会にするにはどうしたらよいでしょう。生きるために必須の、「食べること」をよく考えると、生活に目が向き、食べものづくりは健康や環境の問題につながるので、「食」を徹底的に考えることによって、どう暮らしたらよいかが見えてきます。実際に今、世界中で農業の見直しなどを基本に新しい暮らし方への動きが出ています。

食べることなら誰でも得意です。そこから考えれば社会を変えられるかもしれないのです。NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』の主人公・寅ともこ子さんの口癖「はて?」が共感を呼びましたが、生きものについて考えていると、まさに今の社会に対して「はて?」だらけです。どなたも「なんだかおかしい」と感じていらっしゃることがたくさんおありなのではないでしょうか。日常の中でそう感じたことを一人一人がていねいに考えてみることで、社会が少しよくなっていくのではないかと思います。

関連書籍

中村桂子『日本の「食」が危ない! 生命40億年の歴史から考える「食」と「農」』

米の値上がり、野菜の不作、漁獲量の激減……。 日本の「食」は今、かつてない危機に直面している。 その原因は、私たちが便利さを追い求め、大量のエネルギーを消費してきたことにあるのではないか。 生命40億年の歴史が教えてくれる生きものの世界の本質は、格差も分断もなく「フラット」で「オープン」であること。人間は特別な存在という思い込みを捨て、この本質に立ち戻ることにこそ、危機を乗り越え、ほんとうの豊かさを取り戻す鍵がある。 持続可能な「食」と「農」の実現のため、人類の生き方を問う一冊。

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日本の「食」が危ない!

米の値上がり、野菜の不作、漁獲量の激減……。日本の「食」は今、かつてない危機に直面している。その原因は、私たちが便利さを追い求め、大量のエネルギーを消費してきたことにあるのではないか。生命40億年の歴史が教えてくれる生きものの世界の本質は、格差も分断もない「フラット」で「オープン」であること。人間は特別な存在という思い込みを捨て、この本質に立ち戻ることにこそ、危機を乗り越え、ほんとうの豊かさを取り戻す鍵がある。持続可能な「食」と「農」の実現のため、人類の生き方を問う1冊。

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中村桂子 JT生命誌研究館名誉館長

1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長。東京大学理学部化学科卒、同大学院理学系研究科生物化学専攻修了。国立予防衛生研究所研究員を経て、1971年三菱化成生命科学研究所に入所。同研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993年JT生命誌研究館副館長、2002年同館長、2020年同名誉館長。1993年毎日出版文化賞、2007年大阪文化賞、2013年アカデミア賞、2024年後藤新平賞など受賞。『自己創出する生命』(ちくま学芸文庫)、『科学者が人間であること』(岩波新書)、『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)、『老いを愛づる』『人類はどこで間違えたのか』(ともに中公新書ラクレ)など著書多数。

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